第29話 エミール

 やっぱり魔王妃は俺の事を敵視してる。


 口では『心配はいりませんわ』なんて言っていても、顔が笑ってない。


 確かに強制されているだけで正式には寝返ってないけど、あそこまで厳しい態度を取る事は……あるだろうな。俺があの人の立場でも似たような態度をとるだろうし。それに、やっぱり魔王に従うのが不満で睨むような形になってしまったから余計に警戒されたんだろう。


 今思えば、最初の尋問の時も、最初は魔王の方が魔王妃を守っていると思っていたけど、きっと、魔王妃が『魔術師として魔王を守るために』ついてきたんだろう。

 ただ、魔王の方が間違いなく強いから、きちんと『護衛』を出来ていたかは分からないけど。でも、あの人がいなければ、間違いなく俺の目の変化は解けなかったわけだし。


 とにかく何をするとしても魔王妃には要注意だ。いや、今の所何も出来る気はしないけど。


 そんな事を考えながらエミールの所へ向かう。いつもの見張りの騎士も着いてきている。心配しなくても俺は逃げない。と、いうか逃げられない。


 エミールがいる所は地下牢だ。俺より待遇が悪い。『暗殺補助』でなく、完全に魔王を殺すために来たからこうなったのだろうか。


「……くが……ない……えない」


 牢の近くに来ると、エミールの声が聞こえた。低い小声でぶつぶつ言っているので、何だか不気味に聞こえる。


「こんなはずがない。このぼくがあんな魔族に負けるわけが……あんな卑怯な野郎に……」


 うわ、と声が出そうになる。


 今のエミールはいつも以上にみっともない。


 エミールは俺が思った以上に精神的に脆いらしい。魔力枯渇で弱ったせいで頬は痩け、目に生気がない。

 このみっともなさは何だろう。これなら、尋問時の俺の方がまだ上手くやっていた気がする。


 わざと靴音を鳴らしてエミールの前に立つ。

 きちんと監視されているのだから上手くやらないと。


——心配はいりませんわ。きちんと見ていますから安心して行って来て頂戴。


 魔王妃にあんな風に脅された以上、ミスは許されない。


 あの女は単純に見えるけど、何だか怖い。今日の実行直前の最終確認のための会議でも、魔王は気さくに——演技だろうが——声をかけてくれたのに、魔王妃はニコリともしなかった。


 いや、今は魔王妃に怯えている場合じゃない。


 一つ深呼吸をする。そして貴族としての表情を作った。


「久しぶりですね、エミールさん」


 俺はヴィシュの魔術師としては後輩だったから、きちんと『さん付け』はしておく。でも、身分としては俺の方が上だ。なので、目線はきちんと冷たく見下すようにした。

 エミールはようやく俺が目の前にいる事に気付いたようだ。はっと顔を上げている。気付くのが遅い、と言ってやりたいが、黙っておく。


「ウティレ様……」


 媚びた声を出す。でも、まだ修行中の身である俺を見下しているのが分かる。

 それにしてもよく年下相手にぺこぺこ出来るな。


「生きていたんですか?」


 エミールには俺が幽霊にでも見えるのだろうか。心外だ。


 俺が不機嫌になったのが分かったのだろう。またヘラリとした媚びた笑みを浮かべる。本当に気持ち悪い。


 きっと、尋問の時、泣き真似を使った俺もこんな風に見られてたんだろうな。


 そういえば、泣き真似はカイスリ姉さまにしか効いていなかった気がする。姉さまは騙しやすいから、罪悪感にかられて兄さま達を止めてくれたけど。ただ、次の日になったらまた殴ってたから意味ないんだけど。


「ウティレ様、よくご無事で……」


 エミールの言葉で現実に戻る。そういえば接触の最中だった。そして相変わらず媚びる笑みが気持ち悪い。


「さ、ここから逃げましょう! 牢から出して下さい。侵入が出来たのだから出す事も出来るでしょう?」


 出来ねえよ!


 つい、そう言いそうになる。


 普通に考えて魔王城から逃げられるはずがない。俺もほとんど諦めている状態なのに。

 現実が見えてないのか、こいつ。ああ、エミールだもんな。


「この警戒厳重な城からどうやって逃げるのですか?」

「もうすぐ勇者がぼくたちを救いにやってきます。暗示をかけてありますから魔王に寝返る事はないでしょう。きっと魔王を倒してくれます。そしたらさっさと逃げましょう」


 呆れて問いかけたら返答のついでにさらりと白状した。小細工も考えていたけど、全く必要なかった。


「あ、暗示ですか?」


 とりあえず驚いた演技をする。


「ええ。前の愚かな女勇者は裏切って魔王側にいるそうです。ぼくたちはもうこの失敗を繰り返すわけにはいかないのですよ。だから暗示をかけて魔王を殺せるように手助けをしたのです。何度も重ねがけしたから完璧ですよ!」


 エミールの言う『重ねがけ』はただ同じ魔術を二度三度かけただけのものだ。同じような効能で違う形の魔術式を複雑に組み合わせたものではない。それで『完璧』とか言われても……。


 それにしても、その魔王に聞かれているとも知らずにペラペラと白状する姿は哀れにしか見えない。


「そうだ。もういっそ元勇者の裏切り者も殺してしまいましょう。なに、魔王を失った力の弱い女など敵ではありません。このヴィシュ王国最強の魔術師が捻り殺してやりましょう!」


 それこそ無理に決まってるだろ!


 この男、さっき魔王妃に負けたばかりなのに、何を言ってるんだ。こんなになっても変なプライドは全然折れてなかった。


 本当にやめて欲しい。


 あの女は弱くなんかないし、もし、魔王が殺されたらどんな行動に出るか分からない。


 魔王の立派な右腕である魔王妃がエミールごときに捻り殺されるはずがないだろうに。逆にエミールが捻り殺されそうだ。


 ここまで白状させればもういいだろう。

 ふぅ、とわざとらしくため息をつく。


「陛下を裏切る事など出来ません」


 静かにそう言う。わざと大事な事を抜かしたのにエミールは気づいていないようだ。満足そうに頷いている。


「そうだろう。そうだろう。陛下は素晴らしい方だ! あの方に従う事こそが我々ヴィシュ王国の魔術師の務めだ!」


 いや、国王陛下はそんなに心酔するほどの存在ではない気がする。俺は捨て駒にされたらしいし。


 そう考えると、なんだか色々と馬鹿らしくなってくる。


 静かに息を吸ってから、エミールの目をまっすぐ見る。


を裏切る事は出来ません」


 そうしてきっちりと今度は何も抜かすことなくそう言い放った。

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