第22話 交渉

「寝返りの事なら、ハンニを通してお断りしたはずですが」


 そう言いながらも内心では心臓がばくばくいっている。とんでもない事を言っているのだ。


「ああ、聞いていた」


 魔王の返事に『だろうな』と心の中で返事をする。


「気づいていたのだろう? ハンニとの面会の時も言葉を色々と選んでいたな。それに、一人になってから途端に口数が少なくなって」


 俺が警戒していたのを完全に気づかれている。


「別に本音を言ったところで、私は咎めるつもりはなかったぞ」


 そんなのは建前だろう。とりあえずそう言って俺の出方を見ているのだ。

 変な事を言うわけにはいかない。


「頑固だな」


 魔王は楽しそうに笑う。でも俺はちっとも楽しくない。


「ハンニはどうしていますか?」


 とりあえず聞かなければいけない事は聞いておきたい。


「別に変わりはない」


 穏やかに、そして、何も気にしない風に返事を返してくる。


「友人が心配か? そんなに心配なら希望通りにしてやればいいものを」


 そう来たか、という感じだ。

 頷きたくはない。俺はまだ魔王に屈する気はないのだ。


「お前が気にしているのはキアント伯領の領民だったか」


 ポツリと呟かれる。ハンニに話した事を魔王はしっかりと覚えていたようだ。

 無言で俯く俺を見て、魔王は呆れたように小さく笑う。


「私がそんなに残酷に見えるか?」

「はい」


 ついそう答えてしまってからハッとして口を押さえる。

 しかし、魔王は苦笑いを浮かべているだけだった。怒りを買わなくてよかったとほっとする。


「ウティレ、冷静になって考えろ。もし、私がお前の言うような事をしたら、お前は私に素直に従うか?」


 それは絶対にない。もし、罪もない者たちに魔王がそんな事をしたら、反逆の機会を虎視眈々と狙うはずだ。

 俺の表情だけで答えが分かったのだろう。魔王が『ほらな』と笑いながら言う。


「そんな無駄な事をする気はないから安心しろ」


 なんだかあっという間に理由を潰された気がする。


「それからな、キアント伯爵令息。そういう事はあまり『敵』の前では言わない方がいいぞ。お前の弱点が領民だと言っているようなものだ。もし、私が手段を選ばないのなら、速攻で彼らの命を盾にするだろうな」


 おまけに忠告までしてきた。完全に魔王の方が有利だ。分かってはいたけど、悔しい。


「親切なアドバイスをありがとうございます」


 でも、余裕を失うわけにはいかない。必死に笑顔を作って返事をする。


「それよりお前はお前自身の心配をしたほうがいい」


 突然魔王が冷たい声を出した。いきなり何の話だろう。


「お前の血はヴィシュに送った」

「え……?」


 何を言っているのか理解出来ない。いきなり何の話をするのだろう。


「採っただろう。尋問の時に」


 その言葉で尋問の最後の時の事を思い出した。確かあの時、最後に見たのは血を採るための魔道具を俺に振りかざす魔王で。


「あ……」


 自分のかすれた声が聞こえる。


「まさか『魔王の血』だと偽って……」


 どこから自分の声が聞こえているのか分からない。


 魔王が冷たく嗤ったのが見えた。


 やはり魔王というだけあってこの男は残酷だった。


 領民なんか盾にしなくていい。俺の命一つで脅せるのだ。次の勇者を捕らえ、剣を奪えばそれだけで俺の命を握れる。

 処刑などしなくても俺を静かに葬れるのだ。そうして裏切ったら殺せばいいから簡単に従わせられる。


「お前の立場は十分に分かっただろう、ウティレ・キアント」


 魔王が静かにとどめを刺してくる。俺はやはり俯くしかない。

 反論するのが怖い。どうしたらいいのか分からない。


「こちら側に寝返るのならお前の安全は保証しよう」


 魔王の言葉に返事は出来なかった。


 分かっている。ハンニが来ていた一ヶ月間に頷かなかったから、ラヒカイネン男爵から真実を聞いても意見を変えなかったから、こうして最終手段として脅されているのだという事は。


「本当に保証していただけるのですか?」


 喉がカラカラに乾いている。そして魔王の言う事が信用出来ない。魔王も俺の事を信用していないのが分かる。


「ああ、もちろん」


 だが、魔王は速攻で返事を返してきた。


「その身の安全というのは囚人として、ですか?」

「いや、臣下としてだ」


 思った以上にはよくしてくれるらしい。


「もちろん、この牢からも出してやる」


 それは当然の事だろう。


 よく考えておくように、と残し、魔王は牢の扉に向かう。だが、ふと、扉の所で立ち止まってこちらを見た。


「それから、牢から出たら寝返ったとみなすからそのつもりでいるように」


 それは、脱走するな、という事だろうか。言われなくてもここから脱走などできないのに。


「分かりました」


 俺は静かに魔王を睨みながらそう答える。


 魔王は満足そうに笑いながら部屋を出て行った。

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