第9話 消えた傷跡

 なんだか身体が軽い。ここ数カ月ではありえない事だ。


 一体どうしたんだろうと考えて、そういえば魔王城に潜入して魔族に捕まったのだという事を思い出す。


 とは言っても、体の感覚はあるから、死んだ、という事はないだろう。と、いうことは俺は投獄されているということか。


 でも目を開けるのは怖い。目を開けたら、目の前に魔王とあのガキがいて、『目覚めたか?』などと怖い声で問いかけられるかもしれない。


 それにしても、手足を縛られたり鎖で繋がれたりしていないのはどうしてだろう。寝かされているところも感触的に悪くはなさそうだ。


 捕らえられたとしたら絶対に地下牢に入れられるだろうと思っていたから意外だ。


 ただ、魔力は相変わらず封じられているようだが、それは仕方がない事だ。


 そっと薄目を開ける。視界に入ったのは思っていたより良い部屋だった。今、俺が寝かされているベッドの他に、食事用であろう小さなテーブルと椅子が置かれている。バスルームらしき部屋に続く扉もある。見た目だけで言えば簡素な客室といった感じだ。ただ、窓に鉄格子が嵌められていることと、入り口の扉がかなり頑丈そうだということで普通の部屋ではない事が分かる。


 なるほど。貴族用の牢屋か。思ったよりずっと良い待遇にしてくれたらしい。貴族でよかったと思うべきだろうか。


 見張りの気配はする。きっと起き上がれば、お世話という名の監視の為に誰かが部屋に入ってくるのだろう。

 試しに体を起こしてみると、予想通り、すぐに侍女であろう女性が一人入ってきた。囚人相手なのでノックはない。当たり前だ。


「体調はいかがですか、キアント伯爵令息」

「問題はありません」


 いつもより体が軽い気がするのが不気味だが、そんな事は言わない。魔族に弱みは見せたくない。


「少し汗をかいていますね。お召し替えをいたしましょう」


 お召し替えと言っても、俺は囚人だからシンプルな服には変わらない。でも、確かに汗はかいているようだ。なので素直に『はい』と答える。


 俺は自分でも着替えは出来るが、貴族扱いされているのだから従ったほうがいい。拒否をして舐められるよりはいい。


 それにしてもこの女性が俺に悪感情を持っていなさそうなのは不思議だ。普通、国王殺害補助をやらかした罪人など、嫌悪感を持って接するのが普通なのではないだろうか。

 うまく表情に隠しているとかそういう事ではなく、なんだか同情的な目線を向けられている気がする。


 不思議に思いながらも服を脱がしてもらう。そしてすぐに違和感を覚えた。


「え?」


 ついそんな言葉が漏れる。


 そんなはずはない。俺の体はこんなに綺麗じゃない。


「どうかいたしましたか?」


 侍女が不思議そうに尋ねてくる。でも、こんな事は言いたくない。なので、黙ってそのまま着替えさせてもらった。


 その時に見た体の他の部分も同じだった。鞭打ちの跡、暴行の跡、火傷の跡などが綺麗に体から消え去っている。ここに来る前に魔族の貴族の配下から受けた魔術攻撃の跡さえもない。どうりで体が軽いわけだ。痛みとダメージがないのだから。


 間違いない。気絶している間に誰かが俺の傷跡を消したのだ。多分、魔王が。


 俺は囚人だ。自分の意見を言う権利はない。それは分かっている。


 魔王には、魔族には俺の気持ちなど、どうでもいいのだろう。醜い傷跡などない方がいい。そう思っての事だとは分かる。


 でも、こんなのはあんまりだ。


 食事の用意をしてくると言って侍女が去ったのを確認してから、ベッドに腰掛け静かに唇を噛む。


 今までコツコツと魔術で残してきた傷跡。俺が兄達や魔族から酷い目に遭わされていた証拠。それが全て奪われてしまった。


 いずれ、みんなに兄達の所業を知らせてやりましょうと家庭教師に言われて始めた事だった。それがいずれ俺の武器になると言ってくれた。いつか思い知らせてやるのだと魔術を使いながらずっと願っていた。なのに。


 処刑されるから『過去』などいらない。そういう事だ。俺は捕らえられた刺客で罪人だから。


 もう一度唇を噛む。そうして涙をこらえた。

 本当はもう一度ベッドに飛び込んで泣きたい。でもこんな人の気持ちを踏みにじる奴らに弱みなど見せたくはない。


 侍女が戻ってくるまで俺はずっとそのまま座っていた。

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