第2話 ヘタレな姉はほんわか母に電話する

「あはは……めちゃくちゃ汚い……」


 なんて事のない春休みのある日、私の家には長年顔を合わせていなかった妹、真恋の姿があった。

 リビングで私の家の有り様を苦笑しながら指摘する真恋を廊下から視界にとらえながら私は携帯電話を耳に当てる。四コールしたあたりで向こうから受話器を取る音がする。


『もしもぉし、どちら様ですかぁ?』

 

「私、愛純だよ」


『わぁ、あーちゃんだー』


 携帯からは、私の母、藤咲慈乃ふじさきしののポワポワとした声が聞こえてくる。


『どうしたのぉ?あーちゃんから連絡してくるなんて珍しいじゃない?』


「そんなのわかってるでしょ?真恋についてだよ」


『あ、まーちゃんちゃんとあーちゃんちに着いたのね?よかったわぁ』


 どうやら確信犯なようで、私が真恋の名前を出すと母は真恋が無事辿り着いたことに対する安堵を溢していた。


「私、真恋がうちに来ること聞いてなかったんだけど」


『それはぁ、まーちゃんがサプライズしたいから内緒にしといてって言ったからぁ』

 

「何で真恋がうちにいるの?」


『それについてはまーちゃんが自分で説明するって言ってたわぁ』


 私が真恋について問いただすも、母は意図的なのかそれとも素なのか、私の追及をのらりくらりと躱わす。


「真恋が来るってわかってたならあらかじめ掃除とかしてたのに……」


『あらぁ?あーちゃんいつもお部屋綺麗だったじゃない?いつものままでも十分よぉ』


 私の呟きに母はそう言ってくれるもそれは私が実家にいた頃の話だし、真恋に少しでもいいお姉ちゃんに見られたくてやっていたことだ。今の私の家を見たら絶対にそんなこと言えないだろう。


「真恋には家の場所教えないでって言ったよね?」


『でもぉ、私は二人のママだからぁ』


「答えになってないよ……」


 私が昔した約束について問うも、イマイチ要領のえない返事が返ってくる。どうやら何を聞いても無駄なようだ。


『それに、その家はパパが買ってくれた家でしょう?』


「ぐっ……」


『だからぁ、あーちゃんち行くのにあーちゃんの許可なんて必要ないもーん』


 今まで攻勢に回っていた私だが、母のその発言で立場は一気に逆転してしまった。この家は私が大学へ通うとなった際、心配性の父が私の一人暮らしを気遣ってセキュリティの高い家をと買い与えてくれたものだ。そのため私は実際には間借りしているに過ぎず、この家をどうするかの決定権は有していない。


『そんなことよりあーちゃんのこと聞かせてよぉ、こっちから連絡しても全然話してくれないんだもん。最近学校はどうなのぉ?』


 私が何も言えないのを察してか、母は露骨に別の話題に変えてきた。私自身、あのまま気まずい空気が流れるのは嫌だったので、それに乗ることにした。

 

「……学校は順調だよ、あと一年したら卒業できるし教員免許も取れそう。教員採用試験は……わかんない」


『そっかぁ、じゃあ頑張らないとねぇ』


「うん、頑張る」


『ママ、家事とか手伝いに行ってあげようかしらぁ?』


「それは遠慮しとくね、生活自体はできてるから。それに、お母さんが来たらお父さん寂しくて引きこもっちゃうよ?」


 正直今の状況が生活できているかと聞かれたらほとんどの人ができていないと答えるだろうが、私は生きているのだしそれくらい誤差の範疇だ。


『じゃあパパも一緒に引っ越しちゃえばいいのよぉ』


「そしたら真恋はどうするの?まさか実家に一人だなんて言わないよね?」


『それも大丈夫よ、だって……』


「……だって?」


『あらぁ、ママったらいけない、これは言っちゃだめだったわぁ』


 妙な溜めの後、母はそう言って話を切り上げてしまった。


『じゃあまた連絡するからぁ、まーちゃんのことよろしくねぇ』


「あ、ちょっと待っ――」


 私がそう言い終わる前に電話は切れてしまった。完全に母のマイペースさに惑わされて何1つとして聞きたいことが聞けなかった。


「……真恋が説明するって言ってたっけ」


 真恋が突然うちへ来た理由。それを聞くには真恋本人から直接聞き出すしかないらしい。リビングでは、ひとしきり部屋を見回して満足したのか、真恋はソファに寝っ転がっていた。まだ寝汗の消臭とかしてないからできればやめてほしい。


「どんな顔すれば……」

 

 三年前、真恋にキスをしたのが真恋との最後の記憶だ。そのあとは逃げるように上京し、実家にも帰ることはなかったので全く顔を合わせてなかった。


 当時、真恋がキスのことをどう思っていたか。今、真恋が私のことをどう思っているか。そんなこと私にはわからない。知らないことに不安を感じるくせに、それを知ることに対しても恐れている。真恋の口から嫌いという言葉が出ることを恐れている。


「行くしかないよね」


 それでも、話し合わなければ先へは進めない。どうせいつかは蹴りをつけようと思っていたことだ。それが少し早まっただけ。


 私は不安と恐れを募らせながらもリビングへと歩みを進めた。


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