第2話

翌日。街は、聖女の顔を拝めると活気だっていた。

俺はいつものように、食堂に野菜を納品する。

「——あれ、女将は?」

いつも厨房で元気に鍋を振っているはずの女将の姿が見えない。

辺りをキョロキョロを見渡すと、小さな男の子が厨房にちょこんと立っていた。

「坊主、お前んとこの母さんは?」

「……昨日、腰をぶつけて歩けないんだって……。今日、一緒にお祭りに行こうって行ってたのにぃ……。」

半べそ状態の坊主は、女将の一人息子だ。早くに父親をなくしてからは、女手一つで坊主を育てている。

無茶して仕事していたせいもあるのだろう。

「そうか……。なら仕方ないけど、家で大人しくしてるんだな。」

「うっ……うええんお祭りー!!」

子供を置いて、その場を後にしようとした瞬間、わんわんと大きな声で泣き出された。

行きたいー!行きたいー!と泣きじゃくる子供に、動揺する。

これだからガキは……!!

このまま置いてく訳にもいかず、俺はゆっくりと腰を下ろす。

「祭りに行ければいいのか?」

「ぐすっ……聖女様に会いたい……。」

おい、勝手にわがままが増えてるぞ!?

女将にはいつも世話になってるし……仕方ない。ここは一つ、恩返しだと思うしかない。


「なら、さっさとその聖女の顔みて、帰るぞ。」

「〜〜!!うん!」


さっきまでの涙は何処へやら。

満面の笑みの子供と共に、俺は外へと出る。


『明日はずっとここに居て。』


昨日のリーエとの約束を思い出す。

大丈夫。この子供のわがままを叶えて、すぐにいつものベンチに行けばいい。

それなら全て、問題無いはずだ。

なのに……何故こんなにも胸騒ぎがしているのだろう。


「うわぁー!すっげぇー!!」


街の中心部、王城を一望できる一本道には沢山の人で溢れかえっていた。

様々な屋台や出店も並び、街はいつも以上に色付いている。

子犬のようにはしゃぐ子供に、「遠くに行くなよ」と注意しながら俺も俺とて辺りを見渡す。

道行く人々は皆口を揃えて、『聖女』というワードを口にした。

これまでずっと隠されていた聖女の素性が分かるのだ。気にならない訳がない。

それは、俺とて変わらなかった。確かに聖女と呼ばれる奴がどんな顔をしているのかは気になる。

民衆からの熱い希望の眼差しに、さぞや気分良く手を振るのだろう。

だが、俺には関わりの無い話だ。興味はあっても、関心は無い。

だからさっさとこんな祭りなんか終わらせて、俺はリーエを待つんだ。


「——おい、パレードが始まったぞ!!」


王城の門が開き、無数の兵士が足並み揃えて行進する。

その後ろには、この帝国の国王であるイグロダム国王の姿が。その後ろには皇太子や、王室騎士団団長の姿など、普段見られることの無い高貴な奴らが歩いている。

王宮音楽団の奏でる音楽に合わせて、道の中央を進行するパレード。

「ねぇ、兄ちゃん!ここからじゃ見えないよぅ。」

「ったく。仕方ねぇなぁ。ほら、落ちないようにしっかり捕まってろよ。」

肩にガキを乗せると、嬉しそうに「わぁ、おおさまだー!」とはしゃぐ声が頭上から聞こえてくる。

これくらいの事で喜ぶなんて、子供は単純でいいこった。

いよいよ俺達のいる中央付近に、兵士達が進む。

という事は、聖女の顔も拝めるという訳だ。

王城の方からは既に、歓声と喝采の声がこれでもかと聞こえてくる。

一体、どれほど満足気な面で俺たちを見下しているのか……。


「——お兄ちゃん!お兄ちゃん!!見て、聖女様だよ!!」



それは、期待にも似たものだったと思う。もしくは、多少の劣等感。

数多の人々が、彼女に希望を抱いた。嵐のような歓声が湧き上がり、それを一身に浴びる哀れな女。

その表情はきっと、自信に満ち溢れた顔だとそう思い込んでいた。

でもそれは、ことごとく砕けて地面に散らばって行った。


「…………え?」


思考が停止する。目の前がぐにゃりと歪む寸前、俺が見たのは真っ白なベールを纏った聖女の姿。

絹のように艶やかな白髪。今にも消えてしまいそうなくらいに、小さな身体。


——どうして。どうして、アンタがそこにいる……!?!?


一瞬、彼女と目があったような気がした。

数え切れない人混みの中で、俺を見つけるなんて事、ある訳ないのに。

でも、彼女の口元は確かに動いたんだ。

切なげな顔で、泣き出しそうなくらいか細い声で。


「——ルエーデル……?」


彼女が、俺の名前を呼んだ気がした。



♢



絵の具を塗ったみたいに真っ青だった空は、いつの間にか赤紫に燃えていた。

目の前にキラキラと輝く小川も、赤い宝石のように煌めいている。

あの後、俺は逃げるようにあの場所を去った。

記憶を消したくて。忘れたくて。現実だと思いたくなくて。俺はすぐにこのベンチに向かった。

馬鹿みたいに走って、締め付けられる心臓を押さえ付けて。

そうだ。あれは幻覚だ。だって、そんなはずは無い。聖女が……。


「——ルエーデル。」


川の流れる音と一緒に、自分の意識をどこかへ流そうとした時、そんな声が聞こえてきた。

ゆっくりと瞼を開け、その声の主の方を向く。

「……リー、エ。」

真っ直ぐな眼で、俺を見つめるリーエ。その瞳に光は無く、ただ俺の姿を写すの機能だけを残した瞳。

リーエの纏っている洋服は真っ白で、まるで彼女の周りだけが白銀の世界に染まっているようだった。


「リーエ。……君は、聖女なのか?」


するっと、そんな言葉が口から零れる。

リーエは立ち尽くしたまま、スカートをぎゅっと握りしめた。

俯いたリーエの肩が、小刻みに震えている。

ああ、きっとこの質問はしてはいけなかったのかと、今になって気付く。

でも今更無かった事には出来ない。だってもう……俺達は元の関係には戻れないのだから。


「——ええ。」


彼女は短く答える。

実の所、何となく気付いていた。彼女が普通では無い事。彼女が住むべき世界が、ここには無いこと。

知った上で、知らないふりをした。

「なら、もう俺はアンタをリーエって呼べないな。せいぜい聖女様か、後は——」

「やめて!!」

後は、パレードの時に呼ばれていた、彼女の本当の名前。彼女の本当の世界での名前。

けれど彼女の声によって、それは遮られた。

ばっと、顔を上げたリーエは今にも泣きそうな顔をしていた。

ぼろぼろに傷付いて、ズタズタに切り裂かれたような顔で俺を見つめる。

「……お願い……お願い、だから……貴方のくれた名前で呼んで……」

張り詰めた声。なにかに縋るような、そんな彼女の言葉に、俺の血液が沸騰する。

これは怒りか?今まで俺を騙していたリーエへの怒り?それとも、彼女をこんなにボロボロに傷付けたこの国?


——違う。そうじゃないだろ。


この怒りは、気付いていたのに。悟っていたのに。上辺だけしか見なかった自分自身だ!


リーエは、すうっと息を吸い込んだ。

その言葉を言う事に躊躇するように唇を噛んで、けれどやっぱり口にする。


「——お別れしましょう、ルエーデル。」


その言葉が、自分に向けられる事を俺はきっと、ずっと前から知っていた。

出会いがあれば別れがある。始まりがあれば、終わりがある。

それは自然の摂理だ。そして、今がその時だった。それだけの話。

「……それは、アンタが聖女だから?だから、もう会えないのか?」

我ながら、なんて諦めの悪い奴なんだと思う。

自分で分かっていただろう?俺とリーエはここまでだと。

もうこれ以上は進めないと。一線を作って、踏み越えないようにと自分自身で壁を作って。

なのに、直前になったらこんな……。


「……違う、違うの。私……第一王子との婚約が決まったの。」


頭が真っ白になる。彼女は続けた。

「聖女の血を絶やさない為に、私は王家の人間と婚約しなくちゃいけない。これはずっと前から決まっていた事。仕方の無い事なんだって、そう……そう、わかってたのに……。」

バラバラになった言葉を、必死に繋ぎ合わせるような声。

リーエの大きな瞳は海のように揺らぎ、ぽろぽろと雫が光る。

胸が引き裂かれそうな思いに駆られる。

頭であれこれと考えるよりも先に、足が動いていた。

腰掛けていたはずのベンチから離れ、リーエの元に駆け寄る。

その距離、たったの数センチ。


「……!!」


気が付いたら、俺の肩に彼女の頭が収まっていた。

自分でも加減が出来ないくらい、強くリーエを抱きしめる。

「る、ルエーデル……!?いた、痛いよ……!」

「よく聞け、リーエ。」

俺は、彼女の耳元でそっと口にした。

それまで隠し続けていた、自分の本心。もう目を逸らせない本当の想い。


「——お前が、好きだ。」


その刹那、静寂が俺たちを襲う。

その後に聞こえて来たのは、川の流れる音。カラスが家に帰る為に飛び立つ音。そして、……俺の耳元ですすり泣く、健気な可愛らしい声。

「……なんで、……なんで、先に言うのぉ〜!私だって……私、だって……っ!ルエーデルが……好き、好き……っ!」

その声に、俺はまた、力いっぱい抱きしめる。

背中に回された小さな手が、ぎゅっと強く俺の服を握りしめた。

「もうルエーデルと会えないなんて嫌だよ……!聖女じゃなければ、もっとルエーデルと一緒に居られたの!?もっと隣に居られたの!?」

彼女の力強い声が、頭の中に響く。


リーエが聖女じゃ無ければ。

確かにそう思わずにはいられない。

彼女がそんなしがらみに囚われなければ、きっともっと歩み寄れたはずだ。

もっと彼女に愛を伝えられたはずだ。

でも、彼女が聖女として選ばれたから俺達は出会えた。

リーエが聖女で無ければ、彼女がこの世界に来ることは無かったのだろう。

だから俺は、彼女の吐いた本音に頷く事が出来なかった。


——アンタが聖女だったから、俺達は巡り会えたんだ。


そんな、否定したくなるような事実。

受け入れるしかない、神の悪戯。

俺も、リーエもきっと、神が弄んだ運命に絡まっているだけの、哀れな人形なのだろう。

それでも……。


「——お願い、ルエーデル。これが私の最初で最後の願い事。」


俺は。……俺達は。たとえその足掻きが、無駄だと笑われても。滑稽だと嘲笑されても。


「——今夜だけは、私を離さないで。」


俺達は、最後の瞬間まで足掻いてもがいてやると、心に誓った。

彼女の言葉に俺は答えを出さなかった。

ただ、それが当たり前かのように。それが摂理だったかのように。

俺達は唇を重ね合わせる。


——それが、神に向けた俺達の答えだった。

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