蕾の中の罪
桜部遥
第1話
——忘れないで。貴女を誰よりも愛していると言う事を。
♢
それは、いつも通りの日常。土弄りをして、出来た商品を店に持って行って。その店で一人孤独に昼飯を食らう。そんな、あたり前の時間の最中だった。
「——おい、聞いたか?この帝国に『聖女』が召喚されたらしいぞ。」
「聞いた、聞いた。異界から来た女の話だろ?これで帝国の未来は明るいな!」
店の隅から、そんな話し声が聞こえてくる。
ここ最近、国中がその話で持ち切りだ。
『帝国の優れた魔道士が、異界から聖女を呼び出した。』
と、そういう事らしい。聖女さえ居れば、この国が災いに襲われる事は無い。だから皆、こうして騒ぎ立てているという訳だ。
……実に阿呆らしい。
「——ん、なんだルエーデル。そんな湿気た面しやがって。お前も聖女がどんな奴なのか気になるのか?」
カウンターに座っていた男が、俺に話しかける。
「んなわけあるか。つーか俺は聖女なんざに興味無いんでね。」
「ほー、流石は『赤髪のルエーデル様』って事か?」
「その呼び方やめろ。第一、何処から来たのかも分からない一人の女に、国を任せるってのが馬鹿げてるだろ。」
人を小馬鹿にしたような言い方に、多少ムッとする。なーにが、『赤髪のルエーデル様』だ。この街の全てを知り尽くした、一番の農家だと言い回っていたら冒険者に笑われる様になった。
しかも俺の髪が赤いからって、変な異名まで付けられて……。
「とにかく!俺は興味無い!!女将、お勘定!」
「……。」
そそくさと逃げる俺をじっと見つめる、謎の視線に、その時の俺は気付かなかった。
「くそっ、折角の昼飯もまともに食えやしなかった。それもこれも聖女とかいう……。」
小川が見えるベンチに腰を下ろし、一人ぶつぶつと口を尖らせているとそよ風が靡いた。
「——ねぇ、貴方この街の人?」
その声に俺は肩を動かして、横を見る。
目線の先には、フードを深く被った不審者が立っていた。
さっきの声はこいつか?声の高さ的に女……だよな。身体も小さいし。
「……だったらなんだ?」
俺は目を細め、相手を見つめる。そよそよと、心地の良い風が彼女のフードをめくった。
俺の目の前に居たのは、美しい絹のような艶の、白髪の少女だった。
まるで絵画のような、けれど確かにそこに実在している。
夢か、幻か、目を疑いたくなるほどの美しい少女。でもそれは確かに現実で。
白髪の少女は、ゆっくりと俺に歩み寄ってくる。
彼女の足が一歩動く度、心臓は跳ね上がった。
「……あのね、良ければ……。」
なんだ、なんだ!?こんな美少女に言い寄られるような事をした覚えは無いぞ!?
頭と目がぐるぐると回る。そんな俺の動揺を他所に、女は俺の隣に座った。とたん。
「——この街を案内してくれない!?」
……は?
女はキラキラと目を輝かせて、俺の目の前に顔を突き出した。
意味が分からない。っていうか、状況がよく分からない!
「つーか、誰?」
それが精一杯の反応だった。
女の方も、自分の奇行に気付いたらしく、すとんと座り直して話を始めた。
「私ね、他所の場所から来たんだけれど、この街の事をもっと知りたいの。情報収集の為に、ご飯屋さんに入って『一番この街に詳しい人は誰』と聞いたら、皆口を揃えて言ったわ。——赤髪のルエーデルだって!」
くっっっそー!あいつらー!!!!
ふつふつと煮えたぎるはらわたを必死に押さえ付ける。
次にあったら容赦しない。絶対に殺す。
それはそうと。
そんな話を鵜呑みにして、この女は俺を探したという訳か。
だが、俺にはその話を引き受けるメリットは無い。ただでさえ、農業が忙しいのにそんな事にかまけている暇は……。
ちらりと、横目に女を見る。
どことなく、切羽詰まった様に感じるのは気のせいだろうか。
他所から来た、とそう言っていたし頼れる人間が他にいないのだろう。
……まあ、引き受けるメリットもないが、デメリット無い、か。
「——いいぞ。案内してやる。」
俺がそう答えを出すと、女の表情はぱあっと華やいだ。
「本当!?」
「ああ。ただし、昼休みの時間だけだ。俺は忙しいからな。」
「いいわ!それでも!ありがとう、ルエーデル!」
女は満面の笑みを見せる。華が咲き誇るような、美しい笑顔。
不意の笑みに心臓が飛び跳ねた事を、俺は気付かないふりをした。
「じゃあ明日からだな。そういえばアンタ名前は?」
「……な、まえ……。」
女は口を閉じた。何秒か考えた後、ぶんぶんと顔を横に振る。
「無いわ。今は、名前が無いの。だから、ルエーデルが付けて!私の名前。この街での、私の名前!」
初対面の男に対して、随分と無茶ぶりを振る女だな、こいつは。
だが、名乗りたくないのなら仕方ない。これから案内をするにあたって、呼び名が無いと不便だ。
ふと、彼女を見る。今にも消えてしまいそうな程儚くて美しい。
その姿に、俺はある言葉を思い浮かべた。
「……リーエ。」
「え?」
それは、この帝国に咲く花。白くて小さくて、可愛らしい花だ。
リーエの花言葉は『貴方に幸運の風が巡りますように』
「アンタの名前、リーエって言うのはどうだ?」
そう尋ねると、女は一瞬目を丸くさせてから胸に手を当てた。
「……リーエ、リーエ。——うん、とってもいい名前。」
どうやら、気に入ってくれたみたいだ。
「じゃあこれからは、私の事リーエって呼んでね!ルエーデル!」
にっとはにかむ姿は、リーエの花のようで。我ながらいい名前をあげたなと自画自賛する。
「分かったよ、……リーエ。」
「じゃあまた明日!このベンチで会いましょう!」
なんて不思議な出会いなんだ、と俺は去っていくリーエの後ろ姿を眺めながら思う。
急に現れた美少女に名前を与えて、縁を結ぶなんて。
本当にこれは現実かと、疑いたくなる。
でも、きっと。
この胸の音が、現実だと知らせている。
決して夢でも、幻でも無くて。だからこそ、俺はこの時確信した。
——ああ、厄介な奴と顔見知りになってしまったな。
♢
それから、リーエとの不思議な関係は始まった。
まず、リーエはとてつもないお転婆娘だ。
『あれは何』『これは何』と、瞳に映るもの全てに興味を示し、落ち着きが無い。
見るもの全てに目を輝かせる様は、まるで幼い子供のようだった。
そして、リーエは自分の話をしようとしない。のらりくらりとかわされて、いつの間にか他の話題に移っている。
他所から来た、と行っていたけれど、一体彼女は何処から来たのだろう。それを詮索したら、リーエは消えてしまいそうで、その一線は越えられなかった。
「あー!今日も楽しかったー!」
いつものベンチに座ったリーエは、満足気に天を仰ぐ。
こっちは、いつはぐれるかとハラハラしていたと言うのに。気苦労が分からない奴だ。
などど愚痴を零しては見たけれど。実の所、俺はこの関係に心地良さを感じていた。
友達でも、ましてや恋人でも無い。歪で、形の無い関係。
リーエには気を遣わなくても良いし、何より彼女のコロコロと変わる表情を見ているのが楽しかった。
二人で肩を並べて流れる雲を追いかけていると、どこからとも無く子供達の笑い声が聞こえてきた。
川を挟んだ反対側で、子供達が楽しそうに追いかけっこをしている。
「そういえば、今日はやけに人が多かったな。何かあるのか?」
ふと、そんな言葉が口から出る。すると、横にいたリーエは、あー、と声を零した。
「……ほら。明日は聖女の披露祭があるから。」
その声色はいつもよりも暗く、重たかった。
聖女……。異界から呼び出された少女の事か。
「なら、俺には関係ないな。」
「ルエーデルは、どうして聖女に興味無いの?普通、自分の国の未来がかかっているんだから、気になるものでしょ?」
リーエは、ずっと空を見ながらそんな事を聞いてくる。
その質問の意図は、よく分からなかったけれど、俺は思った事を正直に口にした。
「何処から来たのかも分からない奴に、国を任せられるかよ。そんなに期待を寄せても、全てが思い通りに行くとは限らないだろ?」
俺の答えは、正しかったのか間違っていたのか。
それは良く分からないけれど、リーエはそのまま黙り込んだ。
今、彼女がどんな顔をしているのか。何を考えているのか。俺には分からない。
「……ねぇ、ルエーデル。」
「なんだ?」
「明日、ここで私を待っていてくれる?」
「明日もお前は来るのか?」
「分からない。でも……お願い。明日はずっとここに居て。絶対に祭りには行かないで。」
それが冗談じゃない事くらい、俺には分かる。
リーエは本気で、俺に言っているのだ。
だから俺は、
「……分かった。明日、ずっとここでお前を待ってる。リーエが来るまで、ずっと。」
そう答えた。
リーエはゆっくりと視線を下ろし、俺の顔をまじまじと見る。
多分、それ程見つめ合ってはいなかったと思う。長くても数秒。でも俺はその時間が永遠に感じた。
それくらい、彼女の瞳に吸い込まれていたのだろう。
リーエは、いつものように微笑んだ。
優しく、柔らかく。でも今は何処か寂しそうに。
「ありがとう。」
俺は、その言葉にどんな思いを詰め込んでいたのかを聞けなかった。
否。聞いてはいけないと、心のどこかで悟ったのだろう。
そうだ。明日もきっと変わらず、リーエとたわいも無い話で笑い合える。
明後日も、その先もずっと。何も変わらない。
だから、いつものように、俺はリーエにその言葉を告げて別れた。
「——また明日、リーエ。」
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