第15話 サヤ兄

 音、光、熱、振動。振動、光、音、熱。

 七那は熱狂する観客の中で一人くし、兄の姿を、ただ凝視ぎょうししていた。

 三夜が、近くて遠いステージの上から、七那だけのために手でサインを送る。

 沸き立つ周囲の観客に奪われぬよう、七那は小さく喉を鳴らしてそれを飲み込む。

 熱、光、音、振動。音、熱、振動、光。

 サヤ兄の姿。サヤ兄の音。サヤ兄の、全部。

 ニト兄みたいに優しくて、シマ兄みたいに熱くて、ケンゴ兄みたいにはじけて、ミロク兄みたいにエキセントリックなのに、ケーイチ兄さんみたいに落ち着いていて、サヤ兄だからカッコよくて、サヤ兄だから尊敬できて、サヤ兄だから大好きで、それで、それで――。

 言葉にならない。

 だから七那は、熱狂する観客の中で一人立ち尽くし、兄の姿を、ただ凝視している。

 三夜の顎先あごさきから、透明な汗が光って落ちて、黒いフロアで蒸発する。

 三夜の手は誰かにあやつられているかのように、それでいて三夜となく繋がって動く。

 観客は熱狂する。

 しかし、七那には分かった。

 サヤ兄。

 いつもと、違う。

 サヤ兄、苦しそう。

 弦をはじく指が、滑る。

 三夜を光の中に繋ぎ止めていた糸が切れる。

 ライブハウスを潰す轟音ごうおんが静寂を呼ぶ前に、七那の喉は熱く湿った空気を裂いていた。

「サヤ兄!」

 まだ何も知らない観客たちを掻き分け、兄に似て長い手足で柵を乗り越え、そこで警備スタッフに捕まって暴れる。

「サヤ兄! サヤ兄サヤ兄サヤ兄!」

 一瞬の静寂の中に、その声は数千キロ先まで届いた。

 それなのに、三夜にだけは、届かなかった。

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