第9話 強制スキンケアタイム

 夏。

「はいこっち」

 蛍一の毎朝の恒例行事は、三夜に洗面所に連行され、スキンケアをされるというものだ。

 洗顔、髭剃り、保湿。その間蛍一は、三夜にぺたぺた顔を触られながら、突っ立っているだけである。

 これは蛍一だけに限ったことではない。三夜はこれが終われば、今度は二都を洗面所に連行してくる。兄弟たちの中で、強制スキンケアタイムが設けられているのは蛍一と二都のみだが、その理由は、三夜が二人に対して「スキンケアに対する意識がドブネズミ以下」との判断をくだしているからである。

 七那は三夜に教わったことを素直にやるし、四磨は何でも真面目まじめにやるし、健五は何でも一生懸命にやるし、弥六は何でも歌いながら楽しくやる。セルフケアに関する助言に空返事からへんじをするのは、上の兄二人だけだ。

「自分ででき」

「喋らない」

 三夜に怒られるので、蛍一はやはり、突っ立っているしかない。

 そのうちに三夜が、蛍一の顔にぐっと自分の顔を寄せて、じろじろと観察し始める。

 蛍一の頬に、三夜の黒い直毛が触れる。くすぐったいが、怒られるから我慢する。

「肌の調子が悪い」

 三夜は、蛍一の頬にある小さな赤みに、細くも皮膚の厚い指先で触れる。

「ずっと」

 怒られるので、蛍一は黙っているしかない。

「ケーイチ兄さんとニト兄にこうしてるのは、二人がガサツだからってだけじゃない」

 三夜は保湿クリームの小瓶のふたを閉め、鏡の裏の収納棚に仕舞しまう。

「中身が表に出にくいから」

 三夜と蛍一は、二都が磨き上げた鏡を通して向かい合っていたが、やがて、三夜が目をらす。

「……何か、悩んでんの」

 うつむいた三夜は前髪に隠れて、すじの通った鼻を掻く。

 蛍一は黙ったまま、鏡越しに、三夜を見ている。

 三夜は不意に顔を上げ、そして、ふっと笑う。

 黙って突っ立っている蛍一と笑った三夜は、黒檀こくたん綿わたのように対照的だった。

「喋っていいよ」

 何故か息まで止めていた蛍一は、ぷはっと息をいてから、口を開く。

「新入社員の子にも、同じこと言われた」

 答えになっていないのは、三夜にも、蛍一にも分かっていた。

「じゃあ、その子のこと、大事だいじにしな」

 三夜はそう言い残して、ひらひらと手を振り、軽い足取りで洗面所を出ていった。

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