弟一筋の先輩

第8話 弟たちのために

 春。

 今日は、一日中降り続く雨。

 夜には、電車の窓ガラスを通せば見えないほどの雨量になっていたが、蛍一は四磨と、駅のロータリーで待っていた。

「こんぐらい、走って帰れるのに」

 四磨は、トタンのひさしの下から空を見上げて、口を尖らせる。四磨も蛍一も自分で帰ると連絡したのに、世話好きの次男が、迎えにくると言って聞かなかったのだ。

「まあまあ。心配させないことだって、ニトのためになると思って」

 そう言う蛍一には、二都に対する引け目があった。

 長男として、弟たちのために外で働いている――とは言え、両親からの仕送りは十分にあるし、蛍一にとっては大きな会社での仕事よりも、家事や畑仕事の方が、何倍も大変なことだった。

 それなのに、自分は大学へ行かせてもらったうえに留学までさせてもらって、今こうして、世間的には立派な仕事にかせてもらっている――。

「分かってるけどさあ」

 四磨が頭の後ろに両手を回したところで、聞き慣れた車の音が耳に入ってくる。

 四磨と二人で車に駆け寄り、互いを押し込むようにして後部座席に乗ったのは、雨が降っているからではなく、二都が人目もはばからず窓を開けて「ケーイチ兄ちゃん! シマ! お待たせ!」などと叫ぶからだ。

「ニト兄ちゃん、今日は部活のみんなで、夏合宿なつがっしゅくどうするってはなししたんだ。ほら、二年が中心でやるから――」

 四磨はシートベルトを締める前から、今日の出来事を、テーブルクロス引きに大失敗したシャンパンタワーが崩れるかのごとき勢いで喋り始める。

「一年生と、仲良くなれるといいねえ」

「そうそう。夏合宿はそれが一番の目的だからさ。でも、いつもの所がスケジュール的に難しいってなって、初めて使う宿やどとか練習場とかの下見を俺と佐久間さくまだけでやることになって――」

大役たいやくだねえ」

「そうなんだよお。俺もう、今から心臓バクバクだよお……」

 四磨が楽しそうに喋るのも、二都が楽しそうに聞くのも、蛍一は大好きだった。仕事疲れと車内の暗さと二都の安全運転にうとうとしながらも、眠らないよう、二人のやり取りに集中する――。

「あれ!?」

 蛍一は、四磨のその声に叩き起こされる。

 ――しまった。もう、家の前だ。

「ケーイチ兄ちゃん、見て! ほら!」

 二都に謝ろうとした所を、四磨の大声にさえぎられる。

「見て!」

 言われた通り、見る。

「あれ……」

 お向かいさんの家が、無い。

 昨日までは小さな家が建っていた場所が、土と砂利じゃりだけの、完全な更地さらちになっている。

「ほら、おじいさんとおばあさんが引っ越してから、買い手も借り手も付かなかったみたいでね」

 二都は更地の前に車を停めて、無よりも寂しい空間を見つめる。

「今日、みんなが出掛けてから、重機が何台か来て、夕方早くにはこうなってたよ……」

 以前ここに住んでいた老夫婦には、自分たち兄弟も、海外赴任前の両親も良くしてもらった。中でも二都は特に仲が良く、花や野菜の話をしたり、用が無くても互いにお茶を飲みに行ったりする間柄あいだがらであった。

「元気出しなって!」

 四磨が身を乗り出し、運転席の二都の肩を、握力一〇〇キロ、背筋力はいきんりょく二〇〇キロの全力ハイパーウルトラエクストリームアルティメットホーリーパワーで叩く。

「おじいさんとおばあさんは田舎で元気にしてる! で、ここに新しい家が建ったら、今度は小さい子のいる家族とかが来るかもしれない! 楽しみにしよう!」

「そっ、そうだね」

 四磨の全力ハイパーウルトラエクストリームアルティメットホーリーパワーに肩を五十回ほど叩いてもらった二都は、どうやら元気が出たようで、少なくとも肩凝かたこりは取れていた。

 ――今、悲しそうな二都をなぐさめることも、肩を叩いてやることもできなかった自分が、二都を始め、弟たちのために何ができるというのだろう。

 外で仕事をしているのは、逃げなのかもしれない。

 ずっと前から分かっていたはずなのに、今更いまさら、胸が針金に締め付けられたかのように痛み出す。

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