第14話 遠足
「山中 美咲さん。これは何かしら」と田原先生が言った。
怒っている風でもなく、呆れている風でもない。ましてや本当にこれが何か知りたい訳でもないだろう。私の顔を、まるで得体の知れない生物でも見るかのように困惑顔で尋ねてきたのだ。
「これは慎ちゃん先輩です。先生」
私はたった一つの答えを告げた。なのに、田原先生はこの答えでは納得がいかないようで、頬を引き攣らせて質問を続ける。
「それは見れば分かるわ。どうして須田くんがこんなところにいるのかしら」
どうして、と来たか。
そんなの決まっている。
私はまたもたった一つの真実を田原先生に示した。
「慎ちゃん先輩は『おやつ』だからです」
田原先生は額を押さえて、大きなため息をついた。失礼なリアクションである。そもそも、田原先生が言い出しっぺではないか。ため息をつきたいのはこちらの方である。
今日は一年生の遠足で隣の県の大きな公園に来ていた。
水上アスレチックゾーンや広い原っぱなどがあるカップルやファミリーで来たらなかなか面白そうな公園である。
私たちはたった今、公園に到着したばかりだった。さぁこれから遊ぶぞ、と酸素カプセル機能付き特大キャリーケースを開いたところで先生に呼び止められたのだ。
慎ちゃん先輩は酸素カプセルが気持ち良かったのか、キャリーケースの中で丸まって収まり、すやすや眠っている。可愛い。おでこにキスしようとして、田原先生に止められた。
私は先生を安心させようと「大丈夫です。ここでセックスはしません」と伝えておくが「当たり前です!」と却って怒られた。
まったく、なんだというのだ鬱陶しい。
繰り返すようだが、それもこれも全部先生がはじめに言ったことなのに!
それは数日前、1年A組で遠足に向けて、オリエンテーションを行なっていた時のことだ。
「はい。遠足についての説明は以上です。何か質問はある?」と田原先生が生徒たちを見渡して言った。
田原 京子、36歳、独身。
この学校が最初の赴任で、以降14年、一度も異動がなく、この学校のベテラン教師として君臨している。その気の強さが災いして彼氏が一度も出来たことがない。
——というのが、私が調査した田原先生の経歴である。典型的な独身貴族だ。美人なのに、なかなかに残念な人生を歩んでいる。こうはなりたくないものだ。
だが、田原先生は陽気で明るく、時には生徒と冗談をかわす程、親しみ易い先生でもあった。
だからだろう。一人の女子生徒が手を挙げた。
「先生、おやつはいくらまでですか?」
持って行くおやつの金額上限についての質問であった。高校生にそんな制限があるわけがない。その女子生徒も分かっていて聞いている節があった。
私の苛立ちは募る。頬杖をついて『早く終われ』と呪いのように念じていた。こんな無駄な話し合いをしている場合ではない。早く生徒会室に行って、慎ちゃん先輩に会いたい。
「小さな子供ってわけでもないんだから、上限はないわ。節度を守って、各自の判断で持って来なさい」と律儀に先生は答えた。
すると「はいは〜い!」と今度はまた別の手が挙がる。ちっ、と意識せず、舌打ちが漏れた。
クラスのおちゃらけキャラの女子だ。どうせ、くだらない質問を繰り出すに違いない。『私の人生は本当にこれで良いのか?』という設問からまず考えてほしい。
「男子はおやつに入りますかー?」
ほら、きた。
案の定、何が面白いのか分からない質問が飛び出た。安易な下ネタである。下ネタは好きぴに
キャハハハハ、何それ〜という女子の笑い声があがった。それを『心底軽蔑する』と言いたげな男子の冷めた目が睨む。
よくある光景である。好きぴのその蔑む目もセットで楽しむのが玄人だ。おっと私はドMではない。薫先輩と同列に考えないでほしい。あの人は手遅れだ。
田原先生は答える。
「あー。そうだな。男子はおやつに入るぞ。ちょっと小腹が空いたから、唇でも……ってアホか! バカ言ってんなら質問タイムは終わるぞ」
あはははは、と笑う声は女子一色。男子は顔を顰めるか、無関心に窓の外を眺めるか。教室はほとんどの人がそのどちらかだった。
いつもなら、私はそれを軽蔑側で眺めているところだ。だが、この時ばかりは違った。
聞き間違いではない。確かに田原先生は言った。男子はおやつに入る、と。
田原先生と目が合った。私は田原先生に笑いかける。『言いましたね?』と。田原先生は不思議そうに首を傾げていた。
「楽しい遠足に……なりそうだね」
その後は簡単だ。
遠足の日の朝、慎ちゃん先輩に睡眠薬入りのカップケーキを食べさせてから、私が超特急で開発した酸素カプセル機能付き特大キャリーケースに収納して、何食わぬ顔でバスに乗り込んだ。
慎ちゃん先輩はカップケーキに嫌な思い出でもあるのか、『カップケーキかぁ〜……』と食べるのを躊躇っていたが、『私の作ったものなんて、やっぱり食べたくないですよね……』と悲しんでみせたら、食べてくれた。
優しい。好き。
そして冒頭に戻るのである。
田原先生が頭を抱える。「確かに言ったが……あれを本気にする奴がいるとは」
「ん……んんぅ……んぁ?」
慎ちゃん先輩が起きた。
ヨダレを垂らしてアホ面を晒している。見事だ! 見事なアホ面だ! 素晴らしい! アホ可愛い!
「慎ちゃん先輩、おはようございます」
「……あれ? ここは……どこ? 僕は確か……カップケーキを……ッ?! カップケーキ?!」
慎ちゃん先輩は何故かカップケーキに反応する。
そう言えば、食べるのも何故か渋っていた。
カップケーキがトラウマなのだろうか?
「須田くん。混乱するのも無理ないけど、落ち着いて。あなたは睡眠薬入りのカップケーキで眠らされて、山中さんに一年生の遠足に連れて来られてしまったの」
先生が状況を端的に慎ちゃん先輩に教える。が、カオス過ぎる状況に一度で理解できないようで渋い顔をして首をひねっていた。
だが、やがて慎ちゃん先輩も全てを把握し、嘆きの咆哮をあげる。
「またカップケーキかよぉおお!」
慎ちゃん先輩が泣き崩れた。可愛い。私はニュートラルだと思っていたが、ドSに目覚めそうだ。それ程に目の前の慎ちゃん先輩は哀れ可愛いかった。
「大丈夫です。強力だけど、人体に害はないやつです!」
「僕はもう二度とカップケーキは食べない。絶対に」
慎ちゃん先輩は硬く決意しているようだけれど、優しくてチョロい慎ちゃん先輩のことである。多分また泣き落とせばイケる。
「とにかく!」と先生が切り出す。「『須田くん』は没収です!」
「えぇ〜?! そんなァァ!」
「いや。先生、そんな物みたいに言わないでください」
慎ちゃん先輩は先生に連れて行かれてしまった。ジ、エンド。私の遠足は終わった。
かに思われた。だが、実態は違った。
まだ、私にもチャンスが残っていたのである。
この公園の原っぱはとても広い。
しかし、広いだけで何もないのだ。ただただ広い。
学校側もそれはあらかじめ分かっていたので、色々と道具を用意しているようだった。
原っぱに並べられる遊具。
一輪車。
大縄跳び。
サッカーボール、バレーボール。
野球ボール、バット、グローブ。
バドミントンラケットと羽
そして、慎ちゃん先輩。
——慎ちゃん先輩?!
慎ちゃん先輩が遊具顔で遊具の列に加わっている。ぽけーっとした無の顔だ。心まで遊具になりきっている。
周りも慎ちゃん先輩に気付き、ざわつきだす。
「え!? あれ……慎ちゃんじゃない?」
「え。本物?」
「でも遊具に並んでるよ? ラブドールなんじゃない?」
「遊具って大人のオモチャも含まれるの?」
皆、まだ本物だと確信していないようだ。
私は芝生を蹴って、いち早くスタートを切った。猛烈に走る。インドア女子の私は生命エネルギーを消費する勢いで腕を振り、腿を上げた。多分、私史上最速の50mだったと思う。
だが、位置が悪かった。
私よりももっと慎ちゃん先輩の近くにいた人も、ついに生の慎ちゃんだということに気付き、走り出した。最も早くスタートダッシュを切った私のアドバンテージが帳消しになる。
私が慎ちゃん先輩の右足を抱えた時には、同時に一人のギャルが慎ちゃん先輩の左足を抱えていた。
「ちょっとォ! あたしが先だったじゃん! 山中! 離してよ」と桜井さんが長い黒髪を乱して叫ぶ。
「嫌です! 私が先でした! 慎ちゃん先輩は絶対に渡しません!」
私たちはお互いを睨みつけながら、慎ちゃん先輩を全力で引っ張る。所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ……死ぬんだ!
「痛い痛い痛い痛い! 死ぬ! 僕が死ぬ! 股がァ! 股が裂けるからァァ! てかなんで足なん?! 手を引っ張れよ!」
慎ちゃん先輩は強引に引っ張られて、足を180度近く開脚する体勢になっていた。まるで裂けるチーズみたいだ。
ごめんね、慎ちゃん先輩! 女には負けちゃいけない戦いがあるんだよっ!
「ちょっと、ちょっと! 落ち着いて2人とも。慎一先輩が痛がってるよ?」
横から現れたのはクラス委員長の
メガネをかけ、柔和で争いを好まない優しい子である。そしておっぱいがデカい。
私は和泉さんとは結構仲が良い。賢く誰にでも気が使えるので、とても話しやすいのだ。
だが、今は邪魔だ。所詮、この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ……死ぬんだ!
「いたたたたた痛い痛い痛い!」と慎ちゃん先輩が悲鳴を上げる。可哀想に。
「山中さん落ち着いて! 慎一先輩が裂けちゃうよ?!」
「構わない! 私はその覚悟でここにいるの! 覚悟のない者は出て行って!」
「僕が構うんだが!? 勝手に変な覚悟決めないでくれる?!」
慎ちゃん先輩が苦痛に顔を歪めつつも、ツッコみは忘れない。プロフェッショナルである。
もう少し辛抱してね。後でヨシヨシしてあげるから。痛かったところをヨシヨシしてあげるから。ふふ、ふふふふふふ❤︎
「遊具はみんなで使う物でしょ! 仲良くみんなで慎一先輩を使いましょうよ!」と和泉さんが私と桜井さんを交互に見て説得する。
「僕遊具じゃないんだが!」と慎ちゃん先輩はいついかなる時でもツッコみを忘れない。
それでも諦めない私と桜井さんに、和泉さんは「じゃあ」と提案した。「じゃあ慎一先輩に誰に使われたいか選んでもらうのはどうかな?」
和泉さんがにっこり笑う。
「その『使う』って表現どうにかならない?!」
慎ちゃん先輩は痛がりながらも、ど根性でツッコむ。
「まぁ……それなら」と桜井さんが先に了承し、
「はい。慎ちゃん先輩が選ぶのなら」と私も乗っかった。
私と桜井さんは了承しつつも足を引っ張るのはやめない。
一瞬の油断が命取りなのだ。
「じゃあ……慎一先輩。山中さんと桜井さん、どちらと遊びたいですか?」
和泉さんが慎ちゃん先輩に問う。
私には勝算があった。
何せ私は生徒会役員である。これまでの慎ちゃん先輩との思い出は確かな絆となって私と慎ちゃん先輩を繋いでいるのだ!
そうたやすく崩れる仲ではない。
慎ちゃん先輩がおもむろに腕をあげ、
指さす。
その先にいたのは、
「「和泉さん?!」」
私と桜井さんの声が重なる。
なんで?!
なんでなんでなんでなんでなんでなんで?!
その思いは言葉となる。
「なんでですか、慎ちゃん先輩!?」
「自分の胸に、いや、僕の股を裂こうとしているその腕に聞いてみな」
えぇ?! 分からない! 慎ちゃん先輩の言ってることが全然分からない!
でも——まぁ大丈夫。心配はいらない。
だって和泉さんはさっきこう言っていたもの。
『仲良くみんなで慎一先輩を使いましょう』
慎ちゃん先輩を独占することは叶わなくなったけど、少なくとも独占されることはない。三等分すれば良い。仕方ないから股間のある下半身区域は桜井さんに譲ろう。お腹は和泉さん。そして私は顔。思いっきり満足のいくまで深い口付けで愛を確かめ——
「——私の慎一先輩から手ぇええ離せやァァァァ!」
突然の怒号。私の妄想も途切れるほどの咆哮だった。
和泉さんである。
豹変した。和泉さんが豹変した。
こんなヤンキーみたいな和泉さん今まで見たことがない。
「いや、和泉さん。さっき慎ちゃん先輩はみんなで使おうって――」
「――慎一先輩はワシのもんじゃァ! コルァァアア!」
巻き舌である。
あの優等生の和泉さんが巻き舌である。
一人称が『ワシ』になっている。怖い。
慎ちゃん先輩も和泉さんの豹変に恐怖し、震えている。涙目でぷるぷるしていて、まるでチワワだ。可愛い。
男性教諭の角野先生がやって来たのはちょうどその時だった。
「須田。帰りのタクシー着いたんだが、もう行けるか?」
「え……タクシー?」と慎ちゃん先輩がアホ面で聞き返す。
「ああ。帰るだろ? お前午後の授業だってあるんだから」と角野先輩が呆れたように目を細める。
慎ちゃん先輩は神の使いでも見るかのように、先生に手を合わせて拝み出した。
「ありがたや……。ありがたやァァ! 行けます! 先生、いえ、神様! 今すぐ行けます!」
角野先生はぎょっとして『神様……?』と割としっかりめに引きながらも、慎ちゃん先輩を連れて行った。
「慎一先輩!? 慎一せんぱァァァァアアアアアアアアアアい!」
未だかつてない大音量で、広大な公園内に委員長の咆哮が響くのであった。
この遠足事件をきっかけに、須田慎一ファンクラブの掟に『慎一くんをおやつにするべからず』、『慎一くんを遊具にするべからず』という条項が追加された。
もう慎ちゃん先輩を『おやつ』として、連れて行くことは叶わなくなった。
でも、心配はいらない。
慎ちゃん先輩は全てであり、全ては慎ちゃん先輩なのだ。
よって、慎ちゃん先輩は何にだってなれる。
そして、何になったとしても慎ちゃん先輩の魅力は失われない。
私は2年時のスキー教室では『ドライヤー』として慎ちゃん先輩を連れて行こうと画策している。
きっとなれる。慎ちゃん先輩ならばドライヤーになれる。
私はそう信じているのだ。人間の……可能性を。
慎ちゃん先輩のポテンシャルはヤバい!
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