第13話 計画的犯行

 

 放課後の生徒会室で僕はいそいそと水筒のフタを開けた。

 僕の最近のマイブームは昆布茶だ。昆布のうま味とやさしい塩気がセクハラの嵐を切り抜けた疲れた体に染み渡る。

 生徒会長席に座るちびっこ会長は今はスマホをいじくって沈黙を貫いている。他のメンバーもまだ来ておらず、今日の生徒会室は静かだった。珍しいこともあるものだ。

 僕は水筒に口をつけ傾けた。口の中でゆっくりと昆布の風味を味わ——



「慎ちゃん、時々私のブレザーくんくんしてるよね?」


「ブフゥゥ! ゴホッゴホッ!」



 盛大に昆布茶を吹き出した。昆布吹こぶふき小僧である。

 会長はカバンからタオルを取り出すと、僕の吹き出した昆布茶を綺麗に拭いていく。

 面倒見の良い先輩だ。


 大丈夫。大丈夫だ。まだ慌てる時間ではない。バレるはずがないのだ。会長は盗撮はしていないはず。

 以前「私は自分の手は汚さないで、盗撮者から買い取る派だから」と言っていた。それはそれでめっちゃ手汚れてますけど?! とは思うが、しかし会長が盗撮をしないことは明らかだ。

 つまり、これはカマかけ。ハッタリ。証拠はない!

 僕は得意のポーカーフェイスですっとぼけた。



「ナ、ナンノコトカナー」


「時々ブレザーの脇のところに慎ちゃんの匂いが残ってるから、バレバレだよ」



 犬かァァアアア! どんな嗅覚してんだよ!

 犬耳をつけて「わん❤︎」とウインクする会長が脳内に現れるも、そんな場合か! と手でかき消した。かき消した後で「いやでもアリだな、犬会長」と思い直すと、息子が「だよね!」と僕を見上げた。鎮まれ息子。



「慎ちゃん、そんなに私の匂い好きなの……?」



 会長はニヤニヤと嬉しそうに聞いてくる。若干息が荒く、恍惚の表情をしている。この人、ロリのくせに性癖がエグい。


 僕はどうしたものか、と黙っていると会長はおもむろに両手を上げ、頭の後ろで組んだ。



「そんなに好きなら……嗅いでも……いいんだよ?」



 長袖のワイシャツを着ているから直接脇が見えることはない。

 ないが、なんか逆にエロい! 会長が——まだ何もしてないのに——甘い吐息を振り撒く。まるで理性を溶かす鱗粉でも撒き散らしているかのような凶悪な誘惑。

 僕の理性など火山口に放り投げたガリガリ君のようにあっけなく蒸発した。



(今すぐ会長の脇に顔を埋めてくんくんしたい!)



 会長は緊張でもしてるのか、少しだけワイシャツの脇の辺りがにじんでいた。それがあってかは分からないが、刺激的な女の子の匂いが微かに僕に届く。

 ヤバい、と思ったのと同時だった。「何が? 何がヤバいの?」と人懐っこい僕の息子がパンツの奥でまた顔を上げた。だから鎮まれって息子よ。


 僕の脳裏が会長の脇でいっぱいになる直前、脳裏の隅っこからひょこっと顔を出す者がいた。ガリガリ君である!



(待ちたまえ。落ち着くんだ慎一よ。これは罠だ。孔明の罠だ)



 ガリガリ君ってそんな喋り方だっけ? とか、ガリガリ君って中国の人だっけ? とか思いつつも、僕はガリガリ君の忠告をもう一度よく考えてみた。



 例えば、僕が今会長の脇をくんくんぺろぺろしたとしよう。すると、何が起こる? 会長は必ず言いふらす。彼女面して他の生徒会メンバーに言いふらすだろう。

 そうなれば、もう取り返しはつかない。他の生徒会メンバーが黙っていないからだ。いつもドナドナされる会長を見てきた僕が言うのだから間違いない。

 つまり、訪れるのは——






(生徒会の……崩壊……!)





 僕が誰かと結ばれたから、と潔く諦めて身を引くほど、まともな奴らではない。この生徒会はイカレ乙女の巣窟なのだ。

 あれよあれよと大戦争に発展する。


 それだけは絶対にダメだ。

 僕はこの生徒会が好きなのだ。

 仲違いする皆は見たくない。



 ガリガリ君はそんな僕を見て深く頷いた。



(そうだ。それで良い。お前はこれか——



「遠慮しなくていいんだよ? 頭のてっぺんから、足の先まで、全部慎ちゃんの好きにしていいんだよ? ほら、おいで?」



 ガリガリくんは今度こそ消し飛んだ。何か良いこと言おうとしていたのに、志半こころざしなかばで消し飛んだ。


 会長が両手を僕の方に伸ばす。

 慎ちゃん、と目をとろけさせて僕を呼ぶ。そこに沈めば、想像もつかない極楽浄土が待っている。そう思わせる麻薬じみた誘惑だった。


 一歩、二歩、と足が勝手に動く。

 頭ではダメだと分かっている。なのに体は会長にゆっくりと近づいていく。まるで蜘蛛の糸で絡め取られて引っ張られているかのように僕の意思では制御できない。

 会長の『可愛い』の前では僕の理性は無力だった。





(ダメだ!)





 ギリギリで思い留まる。

 これで会長に溺れたら死んだガリガリ君に顔向けできない!

 踏ん張れ! もう少しだ! もう少しで他の生徒会メンバーがやってくるはずだ!



 会長の口角が釣り上がった。

 全て見透かされている。妖艶に微笑む会長は、僕に絶望的な一言を落とした。



「皆なら来ないよ」



 なん……だと……!?



「今頃先生から山程の頼まれごとをされている頃じゃないかな。私と慎ちゃんは今日は生徒会を休むと嘘の報告を先生にしているから、あの3人にだけ、頼み事はされてるはずだよ」



(そんな……まさか……)



 信じたくない思いで、首を左右に振るが、会長の笑みが全て事実であると物語っていた。


 ——つまり、








(この誘惑は計画的犯行……!)







 というか、前にコンドームが消えた事件の時に、生徒会のメンバーに他人の足を引っ張るような人はいないとか言ってなかったか? 思いっきり引っ張っているではないか。むしろ引き倒して、手錠で拘束するレベルのことをしている。






 僕がピンと閃いたのはこの時だった。

 ふふ、会長もまだまだ甘い。

 心にできた余裕が不敵な笑みとなって表情に現れる。会長は不思議そうに首を傾けていた。

 会長は一つ見落としている。大事なことを、な。

 会長になくて、僕にあるもの。

 それは——









 ——盗撮だ!







 僕には盗撮がある!

 盗撮されていることを、まるで切り札みたいに言うのも嫌なのだが、実際、役に立つのだから仕方ない。

 僕は常に監視されているから、すぐに桃山辺りが駆けつけて——





「——盗撮ならされてないよ」と会長が僕の思考を先回りし、塗りつぶす。



 というか、さっきから心読むのやめて?!

 エスパーかよ!



「この生徒会室のライブカメラは今全てニセの映像が写されているから、誰も気付かない。ライブじゃないカメラは放置してるけど、データを取り込んだ時はもう後の祭り。私と慎ちゃんの営みをカメラで見せつけられるだけだよ」



 どうしてそんな技術力があるぅぅうう?!

 ホントその何でもできる才能をもっとマシなことに使いなよ!



「さぁ。邪魔者はいないよ? 慎ちゃん。私の全てをあげる。受け取ってくれるよね?」



 痺れを切らした会長が、両手を広げたまま、こちらに歩み寄ってくる。

 とろけた瞳が熱を帯びて僕を見つめた。男を魅了する怪しげな色が会長の目に映る。




 ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!




 この生徒会の存続がヤバい!

 言い換えれば、僕の貞操がヤバい!

 一歩、二歩と後ずさる。

 ——が、ついに僕の背中は壁に合わさった。

 もう逃げ場がない。



 ここまでか…………!






 唐突に扉が開いたのは、その時だった。

 物語のヒーローというのはこういう顔をしているのかもしれない。そう思える程に彼女は勇ましかった。

 彼女が言う







「待たせたね、慎ちゃん! もう大丈夫だよ!」






 そこに立っていたのは桃山だった。

 全身汗だくで、肩で息をしている。走って来たのだろう。

 会長は桃山の登場で、初めて動揺を見せた。



「な?! なんで?! 盗撮カメラは全て封じたはずなのに!」


「そうですね」と桃山が言う。「確かにライブカメラでは気付きませんでした。会長にそんなことができたとは驚きです。ですが、私の盗聴はこの部屋だけではありません」



 何、得意気に犯罪行為を暴露してんだよ、とは思ったが、よく考えたら今更だったので指摘するのはやめておいた。せっかく2人が緊張感を高めて舌戦を繰り広げているのだ。水を差すのはよそう。



「それは有り得ないよ」と今度は会長がかぶりを振って否定する。「この生徒会室は防音材をふんだんに使った特別仕様だよ? 他の部屋からリアルタイムの盗聴なんて不可能だよ」



 なんで防音材をふんだんに使ってるんでしょうね? 絶対それやったの学校じゃないよね? 会長が独自でやってるよね?

 ダメだ。ツッコみたい。だけど、水を差すのは……よくない。



「私は別の部屋に盗聴マイクを仕掛けたのではありません」と桃山が言った。


「……じゃあどこに仕掛けたというの? この部屋のリアルタイム盗聴マイクは全てニセの音声を拾うように細工してあるんだよ?」



 最もな疑問だ。

 別の部屋ではない。

 この部屋のマイクは細工済み。

 では、どこに仕掛けたのか。答えはないように思える。



「それはですね——」







 桃山はおもむろに僕を指差して、不敵に笑った。






「——慎ちゃんに仕掛けたんですよ」



 …………おいこら。何ドヤ顔している。この変態め。

 だとしたら、何か? 僕はうんこぶりぶりしてる音も、トイレで息子を鎮めている音も全て筒抜けだったということか?!



 だが、会長はそれすらも否定した。



「いや。やっぱりそれもないよ。私は慎ちゃんと雑談しながら、さりげなく慎ちゃんの持ち物及び衣類検査をしたんだから。その結果盗聴器の類は一切なかった」


 …………おいこら。何すまし顔している。この変態め。

 だとしたら、何か? 僕のバックの中のエロ本も、拓也から借りたエロDVDも、全て筒抜けだったということか?!

 エロDVDがロリ系だったから自信をつけて、犯行に及んだのか?



「そうですね。外から見たんじゃ分からないですからね」


「外から?」



 どういうことだ?

 僕は疑問を抱きながらも心はざわついていた。なんだかすっごく嫌な予感がする。

 会長が「まさか……!」と呟いた。



「そうです。私が盗聴器を仕掛けたのは慎ちゃんの体内なんですよ!」桃山が高らかに種明かしをした。僕はふざけんな、という言葉はかろうじて飲み込む。



 というか、いつの間に僕は人体改造されていたのか?! 寝てる間か? 授業中に机で寝ているところにトコトコやって来て魔改造されてしまったのか?

 しかし、実態はそういうことではなかった。



「今日の昼休み、私は家で作ってきたカップケーキを慎ちゃんに食べさせました。美味しい美味しい言って、ほっぺにつけながら食べてて可愛かったなぁ。で、実はそのカップケーキに超小型防水高性能盗聴器を仕込んでおいたのです」



 僕は今後桃山の作ったものは毒見なしには食べないと決めた。



「体の……中に?!」



 会長が驚愕と絶望の色を見せる。

 一番驚愕して、一番絶望しているのは、何を隠そうこの僕だ。


 桃山はすたすたと歩いて、絶望している会長の横を通り過ぎると僕の真横で止まった。


 そして、ワイシャツの第一、第二、第三ボタンを開けて言う。


「慎ちゃん。あんなお子様より、私の方が大人な体で慎ちゃんを包んであげられるよ? 浮気さえしなければ、何でも慎ちゃんの言う通りにする。慎ちゃんを一生守って、一生養ってあげるよ? だから、ね? おいで❤︎」



 桃山の耳にかかっていた髪が、はらり、と落ちて赤縁メガネに掛かった。桃色のウェーブした髪の奥で情欲に燃えた瞳が『逃さない』とばかりに僕を見据えていた。


 僕の心は激しく揺れ動く。息子は例の如く「なんで? ねぇなんで揺れ動いたの?」と懐っこく僕を見上げるが、いくら鎮まれと言っても鎮まらない。反抗期である。


 桃山が一歩僕に近づく。

 少しむっちりして、それでいてちゃんとくびれている体がすぐ目の前にあった。ワイシャツははだけて、薄黄緑のブラが見えている。

 僕は生唾を飲み込んだ。





 て、おい待て。

 桃山、お前何しに来た?!

 助けに来たんじゃないの?!

 誘惑が増えてんじゃねぇーか!





 はぁ、もう仕方がない。

 パシリみたいで出来れば使いたくなかったが、緊急事態だ。彼女も許してくれよう。

 僕は素早くある人物にメールを送った。

 そして窓を開ける。

 ここ生徒会室は2階であるため、流石に飛び降りて逃げることはできない。

 だから、僕は窓の外に向かって力の限り、大声で叫んだ。



「助けて! 長戸ながとらまーん!」



 すると、『お前絶対上階で待機してたろ?』という早さで、上階からロープが掛かり、上からシュルルルとポニーテールのキレのある細い目をした一年女子、長戸が降りてきた。


 覚えている人もいるかと思うが、長戸は反須田勢力取りまとめ協会の元会員で、バトミントン部の一年女子の長戸である。

 あの一件から、無事ダブルスペアの明美さんも部活に復帰し、何故か明美さんだけでなく、長戸まで僕に懐き、一方的にストーキングをされる間柄になっていた。要するにストーカーとその被害者、という関係だ。

 今回はその長戸を活用して逃げようという魂胆だった。



「慎一先輩! 助けに参りました! さぁ早く!」



 会長と桃山は、驚愕の顔で固まり、一瞬出遅れた。その一瞬の隙をついて、僕は窓から身を投げ、ギュゥッと長戸にしがみつく。そうしなければ落ちてしまうので、致し方ない。長戸は制汗スプレーの良い匂いがした。



「ぁ❤︎ 慎一先輩……❤︎ そんなに抱きつかれては……私の理性が……」と長戸が片手で股を押さえてもじもじし出す。


「ちょ! ばか! おま! こんなとこで発情すんな! 早く下に降りろ!」



 なんとか耐え切った長戸は下に着くと抱き止めていた僕を離し、息を荒げだした。股の手がなんか小刻みに動いているのは見なかったことにして良いだろうか? ——良い。僕は何も見ていない。



「慎一先輩、私は……自分が抑えきれません……! 早く、逃げ、て……!」


 苦しそうな——いや気持ちそうな顔をして長戸が言う。変態である。



「あ、ありがとな、長戸。じゃあな」



 僕は慌てて長戸から離れた。


 こうして、僕はついにあの生徒会からの逃走に成功したのである。

 でも、今回は本当に危なかった。長戸とガリガリくんがいなかったら今頃僕の貞操は失われていただろう。


 今後は僕がもっと鋼の理性を持たなくてはダメだ。ガリガリくんではなく、少なくともパルムくらいにはならなくては。今回のことでそれがよく分かった。

 このままだといずれ絶対に僕は彼女らの誘惑に落ちる。

 彼女たちはなりふり構わない。エロすの権化なのだ。




 この生徒会の誘惑はヤバい!



————————————

【あとがき】

のんびり更新で申し訳ない。先が気になる人はリメイク前の方が既に完結しているので、是非どうぞ。






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