第10話 ナイアガラの悲劇あるいは奇跡 後編
一向に助けのこない薄暗い倉庫の中、僕らは身を寄せ合い、雑談しながら、2人で座っていた。
異変が起きたのは突然だった。
急に薫先輩が太ももをぎゅっと閉じ、もじもじし始めた。
はじめは『なんだ? 退屈に耐えかねてついに一人で致しはじめたか?』と疑ったが、ふらふらと目が泳ぐ薫先輩を見るに、どうやら違うらしい。
ソロプレイではないとなると——。
ぴんと閃いた。
「薫先輩、おしっこしたいんですか?」
薫先輩の顔がボッと赤くなる。少しデリカシーがなかったかもしれないが、いつもデリカシーがない言動をするのはこの人なのだから自業自得だろう。
「バッ、そ、そんな訳ないだろう!」と薫先輩は少し怒ったように言う。
「じゃァ、うんこ——」
「——おしっこだ! おしっこ! 断じて大ではない!」
薫先輩がそうそうに暴露した。言ってから、苦渋に満ちた顔を伏せた。
「…………」
「…………」
お互いに黙りこくる。
なんだこれ、気まずい。
「トイレ」と僕は呟いてみる。「行かないんですか?」
「慎一」と薫先輩が僕を睨む。「この状況でどうやって行くと言うんだ……?」
ですよねー、と僕が返すと、それ以上返事はなかった。必死に尿意に耐えているのかもしれない。
薫先輩がボソボソと何か呟いている。僕はそっと耳を傾けた。
「大丈夫だ、私は大丈夫、平気だ、がんばれ私、忍耐、忍耐の女、生徒会の
あ、これ大丈夫じゃなさそう。かなり差し迫っている。
黄色い荒波が膀胱を削る勢いで打ち付けられる様が頭に浮かんだ。
と、同時に薫先輩の言葉が蘇る。
——もっと私のことを苛めてくれていいんだぞ?
————いいんだぞ?
——————いいんだぞ?
————————いいんだぞ?
そうか。
これが。
これこそが。
アニメや漫画のラブコメに無理に当てはまることはない。
こういうヤバいラブこそ、生徒会にふさわしい、ということか。
僕は全てを理解し、そして呪文を唱えた。
「ナイアガラの滝、イグアスの滝、ヴィクトリアの滝、ヨセミテの滝、グトルフォスの滝、ガイアナの滝——」
「ちょ、おま、慎一ィィイイイ! 落ちゆく液体を想像させないでぇえええ!」
薫先輩が苦しそうに顔を歪め、額に汗を貼り付けて叫ぶ。
「——エンジェルフォール、ロワー滝、七姉妹の滝、ノウカリカイ滝」
「やめろォオオオ! というかバカなくせに何故滝にだけそんなに詳しい?! はゥウウウウッ」
唇を噛んで耐える薫先輩の目には涙が溜まっていた。
さぁ、同時多角攻撃だ。僕は薫先輩の腕を抱いて、上目遣いに見つめた。
「もじもじする薫先輩が可愛くてつい」とペロッと舌を出して、ウインクすると、薫先輩は「うぅ! 可愛い——が、ヤバ、い」と股を両手で押さえる。
よし、もう一押しか。
普段セクハラされまくっているのだ。たまにはお灸を据えてやらねばなるまい。
僕は薫先輩の腕を抱きながら耳元で唱える。
「ドデ◯ミン、リア◯ゴールド、ライ◯ガード、デカ◯タ——」
「し・ん・い・ちィィイイイ! マジで! マジでやめてェ! 黄色い液体を想像させないでぇええええ!」
顔を上気させ、身を
ここで僕が許してやる——
——ような甘い世界線も存在するのだろうか?
僕は薫先輩の首筋に唇を寄せた。
「よせ……慎一……お前……何を——」
ゆっくりと薫先輩の汗ばんだうなじに唇をつけ——
かぷっ。
——噛みついた。もちろん歯を立てたりはせず、優しい甘噛みである。
「ぁひぃァん」と薫先輩が変な声をあげた。
そしてその時は唐突に訪れた。
薫先輩は「ぁ」と小さく呟く。
音はない。音もなく地面に着いていた僕のお尻にも温もりが押し寄せてきた。僕のズボンも生暖かい液体で湿っていった。
薫先輩は、これ以上は染まらないという程に顔を真っ赤にして、俯いた。ぴちゃっ、と一滴の音が鳴る。
先輩は湿って色が変わったコンクリートの床を見つめて無言で震えていた。
やっべ、やり過ぎた。
広がるドデ◯ミンから逃げるのも何か失礼な気がして、僕は濡れた尻をそのままに、恐る恐る薫先輩に声をかけた。
「だ、大丈夫です、薫先輩! ちょっとアブノーマルなプレイをしたと思えば、ね? 大丈夫!」
言ってから思ったが、全然フォローになっていない。
薫先輩は顔を隠して「うぅぅ…………死にたい……」と呟いた。
僕は不謹慎にもその姿に少し萌えた。
♦︎
そこら辺を漁って発見した柔道着のズボンをお揃いで履いて、またしばらく座って助けを待った。
あ、そうだ、と僕は不意に思い出した。
「やっべ忘れてた!」とポケットをまさぐる。薫先輩は何事かと僕に視線を向けていた。
僕はポケットのスマホを取り出すと「ログボ、ログボ!」とお気に入りのスマホゲームアプリを起動した。
よし、ログインボーナスをゲット。
ログイン勢の僕は、それで満足し、スマホをポケットにしまおうとして、その手を掴まれた。薫先輩である。心なしか、握る力が強い。
「……ちょっと待て慎一。お前が今手に持っているものはなんだ?」と薫先輩がこめかみをピクピクさせながら笑顔を作った。
「え? スマホですけど?」
「……そのスマホで助けを呼べば、ここを出られるとは思わなかったのか?」薫先輩の握る力は更に強まった。痛い。
「あー。言われてみれば、そうですね! 先輩頭いいなぁ!」と僕はにっこりと笑ってから、会長に電話をかけた。トゥルルルと電子音が鳴り始める。
「し・ん・い・ちィィイイイ! 何のために! 何のためにナイアガラの悲劇は起きたんだァァ!」
キレた薫先輩は速かった。目で追うことさえできない速さで、僕からスマホを奪い取り、走る。
「ああ?! ちょ、返してください!」と僕も追いかける。
薫先輩が用具倉庫の出入口に辿り着いた。袋の鼠、僕は嘲笑うように言った。
「先輩。いくら先輩が速くても、ここは閉鎖空間。僕から逃れることはできません。さぁ、早くスマホを返してください。一緒に外の世界に戻りましょう」
一歩、また一歩と薫先輩に歩み寄る。
しかし、薫先輩は動じなかった。それどころか、口角を釣り上げ、「ふふふ、はははははは」と声をあげて笑い出した。
「慎一、お前の言うとおりだったよ」と笑みを深くする。「このドアのガラリは指一本しか通らない」
薫先輩は、僕が先ほど調べたドアのガラリに指を抜き差しした。
「だが」と続く薫先輩の言葉に、僕は戦慄が走った。「スマホは通るようだな」
「まさか……おい……やめ、や、やめろォオオオ!」
薫先輩はガラリからスマホをドアの外に落とした。
「ああああああああああああ!」と僕は項垂れた。もうおしまいだ。「なんてことをォォ! なんてことをするんですかぁぁあああ!」
薫先輩はニッコリ微笑んだ。
そして静かに言う。
「慎一。私は何時間でも何日でも待つよ。だから慎一」
薫先輩がこの世のものとは思えない邪悪な笑みを浮かべた。
「お前もナイアガラしよう。ナイアガラの奇跡を」
い。
い。
いやァァァァアアアアアアアアアア!
結局、僕はその辺にあったバケツにおしっこするはめになった。
薫先輩は僕の奏でるチョロロ音に、鼻血を吹き出し、気絶した。
そして、その1時間後に、会長達によって無事に僕らは助け出されたのであった。
僕は今回の件で深く反省した。そして学んだ。
薫先輩は追い込まれるとドMからドSに変貌する。ただのドSではない。悪魔の如きドSだ。地獄の果てまでも追いかけてきそうな恐ろしいアブノーマルを秘めたドSだ。
今後はそれを踏まえて、上手く薫先輩をコントロールしなくてはならない。
マニアックなエロスにも対応可。この生徒会はヤバい!
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