第8話 アレがない!

 

「犯人は…………慎ちゃん。あなたですね」


 桃山のしなやかな指は僕に向けられていた。

 それを合図に生徒会メンバー全員が僕に顔を向けた。

 静まり返る生徒会室で、自分の息遣いがやけに大きく感じられた。


「いやいや。僕な訳——」

「——お黙り!」


 僕の言葉はぴしゃりと跳ね除けられた。

 お黙り! じゃねーよ。弁明もさせないんかい、この迷探偵。金○一少年だって、コ○ンくんだって弁明くらいは聞くだろうが。


「慎ちゃんの、えーと、ア、アレは全部すべて、ペロっと、じゅぽっと、じゅるっとお見通しだ!」照れながら桃山が言った。照れるならやらなければ良いのに。

 卑猥な言葉を混ぜてト◯ックの仲間由◯恵みたいなことを言うんじゃない。仲間さんはそんな卑猥な解決編は始めない。

 『アレ』とか言うから余計に卑猥な想像を掻き立てられるじゃないか。僕のアレが音に反応した野生の鹿のように、一瞬だけ、首をもたげた。僕のは野生の鹿並みに素早く立ち上がるから注意が必要だ。





 何故僕が犯人に仕立て上げられているのかと言えば、ことは数十分前に遡る。

 月曜日の憂鬱な放課後、生徒会室に全員が揃い、「今日は何して遊ぼうか」と会長がアホ丸出しで口走ったときに起こった。


「あれ?! え……ない!? ないです! 会長! 非常用のアレがないです!」桃山が脚立に乗って、生徒会室の棚の一番上の戸棚を開けながら叫んだ。


「え、アレって、アレのこと?! ぇえ!? そんな!」


 何故か『アレ』で通じ合った会長が動揺する。

 『アレ』ってなんだ?


「バカな! 金曜日には確かにあったぞ! 私が帰りに確認したから間違いない!」と薫先輩がすごい剣幕で桃山の下まで駆け、「見せてみろ」と脚立に登って絶句した。

「確かにない……!」


 美咲ちゃんが眉を落として、

「困りました……。アレがないなら、今日そうなったらどうしたら良いのでしょう……」と俯く。



「え。待って待って待って。皆が言うアレって何のことですか? 何皆だけで通じ合ってんの?」


 疎外感がひどい。僕だけ訳もわからず、悲しみや途方もない気持ちを共有することもできない。仮にも副会長なのに。僕だって無理矢理就任させられたとは言え、生徒会役員だ。『アレ』を知る権利はあるはずだ。

 僕は半ば責めるような口調で皆に尋ねた。


 女子4人が顔を見合わせる。どうする、いいんじゃない、といったところだろうか。僕の中の疎外感がむくむくと膨れ上がっていく。なんだいなんだい、僕だけ除け者にしてェ!

 意見がまとまったのか、全員が同時に僕の方に顔を向け、声を揃えて言った。



『コンドーム』



「………………は?」


 理解が追いつかない。

 コンドーム?

 コンドームって避妊用具のアレ?

 え? 非常用のコンドームって何?!

 なんでコンドームが生徒会室に備品顔して常備されてんの?!

 いや、待て。もしかしてコンドームって避妊用具以外にもあるのか? 専門的な防災用具か何かなのか? 

 くそっ、ひっかけ問題なのか? 童貞を炙り出す罠なのか?



 僕が混乱しているのを察してか、桃山が説明し始めた。


「セックスの時、ゴムを用意するのは女の務めだからね。でも常時ゴム持ち歩いていたらプレイガールだと思われるでしょう? だから、もし、この部屋でそういう事態になった時のために、非常用に皆でカンパして用意しておいたの」


 やっぱ避妊用具でしたァア!

 というか、この部屋に入る男子なんて僕しかいないんだが!? 何本人を前に堂々と『もし、この部屋でそういう事態になった時』とか言っちゃってんの? アホか!


 僕は一気にどうでも良くなって、投げやりに言う。「それなら話は簡単じゃん。この中の誰かがゴムを持ち出して、男とチョメったってだけの話だろ?」


 自分で言っておいて少し胸が苦しくなった。他の男とチョメチョメする皆は、なんか嫌だ。

 ——だが、


「いや、それだけはないよ」

「ああ。あり得ん」

「うん。ないない」

「そんな尻軽じゃありません」


 全員が少し不機嫌そうに口を揃えて否定した。

 僕はこっそり胸を撫で下ろした。ところでなんで怒ってんの?


「でも、そうなるといったい誰が持ち出したのでしょう?」美咲ちゃんがコテンと首を傾げて言った。ハーフ美少女がそんな仕草をすると、ドキッとしてしまう。可愛い。キミは奇行は卒業して、一生そうしてろ。


 皆、一様に思案顔で黙りこくる。

 沈黙を破ったのは、薫先輩だった。


「もしかして、これは生徒会に対する嫌がらせなのではないか?」

「嫌がらせ?」


 薫先輩は、ああ、と頷く。「犯人はこの学校のアイドルたる慎一が生徒会に在籍しているのが許せなかったんだ」

「え、待って。僕アイドルなの?」と口を挟むが、取り合ってくれない。

「そこで犯人は生徒会に嫌がらせをしようと考える。例えば、生徒会メンバーの誰かが慎一といい感じになり、ついにこの生徒会室で最終決戦セックスを迎えるとしよう」

「わざわざ生徒会室で最終決戦セックスしないでください」僕のツッコミはやはり無視される。

 薫先輩は続ける。


「セックスもたけなわ! さぁ挿入だ! と言う時、戸棚を開けると、そこにあるはずのゴムがない! あたふたしているうちに慎一は萎えてしまい、帰ってしまう。これで学校のアイドルの貞操は守られる。どうだ? こういうことだったのではないか?」


 どうだ? と聞かれても困る。

 僕は『セックスもたけなわ』というパワーワードが頭から離れなくて、まともな思考が働かなかった。何度イメージしようと思っても「セックスもたけなわではございますが」と変なおじさんが乱入してくる。


「でもさぁ」と会長が言った。「このコンドームの存在は生徒会関係者しか知らないはずだよ? 薫の説が正しいということは、犯人は私たち生徒会の誰かってことになっちゃうじゃん」


 会長の言葉に空気がピンと張り詰めた。お互いがお互いの様子を探るように視線だけを向け合う。

 確かに会長の言うとおりだ。

 犯人がコンドームの存在を知らなければ、薫先輩の仮説は成り立たない。

 薫先輩は一つ頷いて「確かにそうだな」とあっさりと自説を引っ込めた。


 迷探偵が暴走活躍するのはここからだった。

 唐突に桃山がハッと息を吸い込みながら、両手で口を覆った。どうでもいいが、この学校の生徒は演劇めいたムーブが好きみたいだ。

 たっぷりと尺を使って桃山がつぶやいた。


「私…………分かっちゃいました」


 ゆっくりと生徒会室を桃山が歩き出す。

 歩く必要あるのか? とは誰も言えない。

 よく見ると桃山の口が微かに動いていた。何か呟いている? 僕は耳を澄ませた。


「ちゃらちゃ、ちゃんちゃん、ちゃんちゃんちゃちゃーん♪

 ちゃらちゃ、ちゃんちゃん、ちゃんちゃんちゃちゃーん♪」


 歌っとるゥ! 金田一少年の事○簿のBGM、自分で歌っとるゥ!

 やめて桃山ァ! それ黒歴史になるから! それ絶対に黒歴史になるからァ!


 僕の祈りが通じたのか、あるいは探偵ムーブに満足したのか、桃山はBGMを歌うのをやめて、澄ました顔で語り出した。

「確かに、会長の言う通りだったんです。犯人は生徒会のメンバーだった」


 桃山の言葉に、会長が異議を唱える。「えぇ?! このメンバーでそんな足の引っ張り合いみたいなことする人いる?!」


 会長は生徒会メンバーをえらく信用しているようだった。

 だが、いつもこの4人の足の引っ張り合いを目の前で見ている僕に言わせれば、『いる』としか答えられない。

 ところが、桃山の推理はそういうことではなかった。


「いえ、そうではありません。そもそもコンドームを取った動機は『嫌がらせ』ではなかったのです」

「じゃあ、どんな目的があったのでしょう?」と美咲ちゃんが尋ねた。

 桃山が言う。


「それは『試着』です」


 おい待て。どういうことだ? 嫌な予感しかしなかった。

 桃山は続ける。


「犯人は童貞だった。しかし、見栄っ張りな面がある可愛らしい慎ちゃ……犯人は、本番でスマートにコンドームを装着できないかも、と不安だったんです」



「『だったんです』じゃねーよ。もう言っちゃってるじゃん。『慎ちゃ』って言っちゃってるじゃん」


 僕の抗議を含んだツッコミは例の如く無視される。


「そして、ある日、ふと生徒会室の戸棚を見ると、なんとあるではないか! コンドームが! 慎ちゃんはこれを使って予行演習をすることを計画した」


 薫先輩が何度も頷いて「リハは大事だな」とよく分からない納得の仕方をする。


「慎ちゃんのアレにゴムが装着されたその時——」と桃山が片手で作った輪っかに、もう片方の手の指をずぽずぽした。かろうじてそのジェスチャーだけは「やめなさい」と僕がはたき落とした。


「——慎ちゃんは生徒会メンバーが歩いてくる音を聞いたんです。そして慎ちゃんは思う。『ヤバい。まだ僕のたけのこの里はコンドームを付けたままなのに!』慎ちゃんは慌ててズボンを履いて、たけのこの里を隠し、コンドームの箱を窓から投げ捨てた」

「おい。待てコラ。誰のアレが『たけのこの里』だ?!」


 桃山は僕の抗議をやっぱり無視して、「これが真相です」と締めた。

 そして鋭い視線を僕に向ける。



「犯人は…………慎ちゃん。あなたですね」



 こういうわけで、僕は無実の罪を着せられるに至ったわけである。



 会長が俯いて首を左右に振った。「そんな、慎ちゃん……。心配しなくても、ゴムなら私がつけてあげたのに……」

「『なんでそんなことを……』のノリでエロいこと言わないでください」


 全員の視線が僕に集まる。

 いや、僕の『たけのこの里』に集まる。

 待て待て。僕はまだ『たけのこの里』だと認めてないからな! 断じてない! 『きのこの山』でも『さくさくパンダ』でもない!

 皆すでに僕を犯人と決めつけている目をしていた。


「いやいやいや、本当に僕じゃないって! 僕が取ったっていう証拠でもあるのかよ!」


 つい本当の犯人みたいな言い逃れ方をしてしまう。だが、これで僕の無実は認められるだろう。疑わしきは罰せず、だ。証拠がなければ、どうしようもない。

 ところが、桃山は動じなかった。


「ふふっ。証拠。証拠ね。……あるよ、証拠」


 桃山の勝ち誇った顔が腹立つ。

 証拠などあるはずがない。

 だって僕取ってないもの。コンドーム。


「じゃあ出してみろよ」と言うと、桃山はやけにあっさり答えた。

「いいよ。でも、出すのは私じゃないよ」



 は? この迷惑な探偵——迷探偵——以外に誰が証拠を提示すると言うのか。

 桃山の薄紅色の唇がゆっくりと三日月型に歪み、それからなまめかしく動いた。





「慎ちゃん、証拠はあなたが出すの」




「…………は?」


 訳が分からなくて、つい素っ頓狂すっとんきょうな声を出る。自ら証拠を出す犯人など聞いたことがない。


「たけのこの里」と桃山が言う。「そのズボンの下のたけのこの里、私の推理が正しければ、今もコンドームを纏ったままのはずだよね?」



 ——なッ?! お前、まさか!



「さぁ! 出して慎ちゃんっ! 慎ちゃんのたけのこの里を!」



 しまった……! やられた!

 僕はここでようやく自分の思い違いに気がついた。

 桃山はこの推理が正しいとは、おそらく桃山自身思っていない。

 全てはこの流れに持っていくための布石。僕にたけのこの里を出させるための前準備!

 一見筋の通った推理に見せかけて、その実情はただの『ちんちん見たい』という性欲! 己の性欲を満たすために、黒歴史まで作って迷探偵を演じていた、というのか!



 僕は計算されつくした道筋を進まされていた……。

 この流れはもう…………たけのこの里を……出すしか——


























「——って出すか! アホ!」











 生徒会室のドアが開いたのは、僕の魂の叫びとほぼ同時だった。


「お〜っす。やっとるかぁ、ガキどもぉ……と慎ちゃん」


 入ってきたのは、この生徒会執行部の顧問教師である水島 詩織みずしま しおり先生である。

 20代後半(推定)の若手の先生で、赤髪ロングヘアを後ろで束ね、キリッとした猫のような目が特徴的な数学の教師である。

 女子に対しては口が悪いが、生徒からは見えないところで生徒のために行動をするタイプの良い先生だ。

 ちなみに僕に対してはめちゃくちゃ甘い。


「あれ? 先生今日来る予定ありましたっけ?」


 この先生はあまり生徒会室に来ない。来る時はあらかじめ、この日にこういった要件で行くから用意しておくように、と通達があるのだ。


「いや。ちょっとコレを返しにな」


 そう言って、先生がポケットから出したのは、僕たちが探し回っていた例のコンドームだった。

 よっこらしょ、と先生が脚立に登り、コンドームを戸棚にしまう。


 ぽかーん、と固まる中で真っ先に動いたのは会長だった。「な、なんで先生がそれ持ってんですかァ?!」会長も動揺しているようだった。


「へ? ああ。これ? 実は先週の土曜に男と会う予定があってな。会う前に学校で残務を片してて、ゴム用意し忘れてたことを思い出したんだよ。だから、とりあえず生徒会室のを借りたんだ。もちろん後で買い直す予定だったぞ? …………まぁ男が待ち合わせ場所に来なかったから、使わなかったがな……ハハ、ハハハハハハ……」


 先生の乾いた笑いだけが響く。

 誰も何も言えない。責めたくても、先生が不憫すぎて誰も責められなかった。



 気まずい空気の中、僕はひとまず疑いが晴れたことに安堵した。

 ——と同時に、桃山のとんでも推理には今後もよく注意しておかなければ、と心を引き締めた。

 放っておいたら、次こそたけのこの里を披露する羽目になるやも分からん。

 とにかく桃山が金○一少年を口ずさみだしたら、気をつけなければならない。




 迷探偵桃山の推理はヤバい!



——————————

読んで頂きありがとうございます!

評価、応援の方もよろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る