第6話 笑わせ師

 平穏な放課後の生徒会室。

 僕と美咲ちゃんの茶をすする音だけが聞こえる和やかな空間ができていた。僕ら以外のメンバーはまだ来ていなかった。

 僕はゆっくりと茶を一口、口に含む。

 うむ。良い。

 やはり茶は和みの象徴と言えよう。この茶をすする音が好きだった。

 僕は喉が渇くから茶を飲むのか、すする音を奏でたくて茶を飲むのか。

 今度は美咲ちゃんが茶をすする。うむ、良い旋律だ。

 僕もまた一口、湯呑みに口をつけ、茶の音を——



「慎ちゃん先輩、ときどき会長のブレザーくんくんしてますよね?」

「ブフゥゥ! ゴホッゴホッ!」


 盛大に吹き出した。

 霧吹きのように『和みの象徴』が散布される。和みとは程遠い行為である。

 美咲ちゃんは文句を言うこともなく、ポケットからハンカチを取り出して、僕の顔と、僕が散布した『和みのなれ果て』を拭いていった。出来た後輩である。


「ナ、ナンノコトカナ」


 秘技すっとぼけ! 大体の事態はこの一言で収拾がつく。僕は目をぱちくりさせて、自然体を心がけた。


「いえ、カメラに収めてあるんで、取り繕わなくて大丈夫ですよ」


 やっぱりダメかァァ! そうなのだ! そんなに甘い女ではないのだ、この子は!

 僕が、どうしたものかと黙っていると、美咲ちゃんが僕を睨んで詰問口調で言う。


「会長だけ、ズルいです! 慎ちゃん先輩は会長が好きなんですか?」


 なんとも答えづらい質問だ。僕はとりあえずまた目をぱちくりさせる。


「ごまかさないでください」と真剣な顔で凄まれた。

 今日の美咲ちゃんは一段と怖い。怖さが桃山に迫る勢いだ。



 好きか嫌いか、で言えば僕は会長が好きだ。

 ロリだし、顔は可愛いし、胸はでかいし。面倒見がよくて優しく、家は金持ちだ。よく考えたら、会長は、負の要素が皆無の高スペックロリだった。え? ロリは負の要素じゃないのかって? バカやろう! ロリが負なわけねぇーだろ! ロリは正義だ! ロリの悪口は許さんぞ!


 だけど、僕は生徒会の皆とバカできるこの空間が好きなのだ。誰か一人と付き合えば、それはまず間違いなく崩壊する。では、全員と付き合えば良い、と思う向きもあるだろう。

 確かに世間一般では『浮気』という言葉は女性にしか当てはまらない言葉だし、一人の男に複数の交際相手や配偶者がいるのは別に普通だ。

 しかしながら、僕の相手はこの生徒会メンバーなのだ。いくらハーレム推奨の世界であろうと、彼女らは『皆で仲良くシェア』なんて決して認めないだろう。生徒会バトルロワイヤルが始まるのは火を見るよりも明らかだ。僕はそんな生徒会は見たくなかった。


「僕は『この生徒会』が好きなんだよ。誰か1人が好きだなんて思わないって」

「嘘です、だっていつも会長のブレザーだけ嗅ぐじゃないですか! やっぱり会長が好きなんでしょ!」


 僕を睨みつける目に涙が溜まっているのに気付いた。

 ドキリ、と心臓が僕を小突いた。冷や汗を伴う動悸が『とにかく何か言え! 早く!』と僕に命じる。


「ち、違う違う! 違うって! くんくんについては、会長がいつも無防備にブレザー置いていくから、つい性欲が膨張して、あ、でも膨張したのは股間の方で」


 何を言わされているんだ僕は。というか、なんで股間の膨張事情について暴露しているんだ。もう自分でも何を言っているのか分からなかった。

 しかし、何が功を奏したのか、美咲ちゃんはくすりと笑った。


「仕方ないですね、もぅ」ため息混じりに美咲ちゃんが言う。「じゃあ私にも慎ちゃん先輩をくんくんさせてください。それでおあいこです」


 美咲ちゃんが微笑む。僕もつられて笑った。

 ほっと胸を撫で下ろす。

 そして、言った。



















「ちょっとそれは違くない?!」


 何、『譲歩した』みたいな空気だして、訳わからん要求してきてんの、この子?!


「違いません。相互くんくん相殺現象です。最近の研究で分かってきてるんです」

「相互くんくん相殺現象って何?! 字面がおかしいから! 『くんくん』の部分の違和感が半端ないから! 最近の研究って言えばなんでも受け入れられると思うなよ?!」


 案の定、美咲ちゃんは情報元ソースを提示して来なかった。テキトーなことをもっともらしく言ってくるのが美咲ちゃんのやり方だ。

 だが、僕も言い負かされてばかりではない。


「相互くんくん相殺って言うのなら、僕が美咲ちゃんをくんくんするべきだろ! それが真の相互くんくん相殺現象だろ!」


 これなら僕はくんくんされない。それどころか、美咲ちゃんを直嗅ぎでくんくんできるのだ! 相互くんくん相殺現象ばんざい!


「何ですか、相互くんくん相殺現象って。字面がアホっぽいです」と美咲ちゃんが嘲笑った。

「お前が言いだしたんだろが!」


 舐めてんのか、こいつ。桃山とは別の方向に頭がイッちゃってる。やばい。


「嗅ぐのはいいですけど、嗅がれるのは嫌です。くんくんされるのは恥ずかしいし、私きっと汗臭いです」美咲ちゃんがもじもじして言った。


 それがいいんじゃないか、という言葉をすんでで引っ込めたのは我ながら英断だと言える。


「僕だって嫌だよ。今日体育あったし、汗めっちゃかいたから」

「本当ですか?!」


 汗というワードに美咲ちゃんが目を輝かせた。

 『汗かいた』で興奮するとは、変態過ぎる。仲間。


「いや、無理無理。男の汗はめっちゃ臭いんだよ!」

「それがいいんじゃないですか!」


 僕が躊躇ためらったワードをノータイムで躊躇ちゅうちょなく美咲ちゃんが口走る。

 変態性が羞恥心を上回っている……だと……?!

 基本的にこの生徒会メンバーはエロ発言に迷いがない。判断が早い。悪い意味で。 


「慎ちゃん先輩、エロは人を救うんですよ? 知らないんですか?」

「キミが救われた分、僕が滅ぶわ!」

「その時は私が慎ちゃん先輩にエロを与えて救います」


 うーむ、それはちょっと、あり……?

 いや、ダメだ。惑わされるな。絶対ダメ!


「マジで! マジで勘弁してください! この通り!」


 僕は僕でノータイム土下座を繰り出した。

 床しか見えない視界の中で、真上から大きなため息が聞こえた。

 え待って。いつの間に、僕が懇願し、美咲ちゃんが許しを与える立場が固定された? なんで僕が土下座している? 僕先輩なのに。


「もぅ。仕方ないですね。じゃあ代わりにデートしてください。下校デート」


 顔を上げると美沙ちゃんが微笑んで、僕を見ていた。

 天使、という言葉が頭に浮かんだ。


「分かったよ。じゃあ早速今から行くか」と僕が言うと美咲ちゃんが意外そうな顔をする。

「え? 生徒会は?」

「2人でバックれよう」


 その方が他の3人に目撃される確率は減る。

 生徒会メンバーに、この生徒会室で僕と美咲ちゃんが来るのを待たせ続けることで、この部屋に縛り付けられるのだ。

 若干、心が痛むが必要な犠牲だ。すまぬ。



「2人だけの逃避行ですね。ふふっ」


 美咲ちゃんが差し出した手を握る。

 さぁ、逃避行の始まりだ。




 ♦︎



 そこらかしこから大音量で垂れ流されている電子音や、ガチャガチャとした騒音。

 騒がしい店の中にあっては、顔を寄せ合わなくては会話が成り立たないため、二人の物理的な距離は必然的に近くなる。僕が美咲ちゃんに伝えたいことがある時は、美咲ちゃんのつるっとした小さな可愛らしい耳に口を近づけなければならないし、逆に美咲ちゃんが何かを言う度、美咲ちゃんの吐息が僕の耳に当たる。


 ゲームセンターってエロい。耳プレイの場所だ。


 僕は、もし次誰かにゲーセンに誘われたら「この変態が!」と罵ってやろう、と決めた。

 とは言え、今回は僕が行き先を決めただけに文句を言う権利はない。美咲ちゃんに行き先を任せたら、きっとラブホとかになるだろうと思い、僕が勝手に決めたのだ。

 ゲーム好きの美咲ちゃんを思ってのチョイスだったのだが、女子と来るゲーセンがこんなにエロいとは知らなかった。



「何しましょうかっ♪」と美咲ちゃんがはしゃいだ声を出す。可愛い。

 いつも美咲ちゃんの変態性にばかり目が行きがちだが、美咲ちゃんは過剰表現でなく、まさに『絶世の美女』と言うに相応しい容姿なのだ。

 透き通るようなプラチナブロンドと大人びた彫りの深い顔立ちが、彼女の人懐っこく愛らしい性格とちょうど良いバランスで調和されている。僕も何度このギャップにときめかされたことか。定期的にぶっこんでくる奇行さえなければ完璧であった。



 まず最初にやるゲームは決めていた。


「メリカートにしよう」と僕が座席に座ると、美咲ちゃんが「いいですよォ」と隣の座席に座った。

 メリカート——メリケンサックの不良男キャラとその愉快な仲間たちが乗ったカートを操作し、1着を競うレーシングゲームだ。

 僕が初めてこのゲームを触ったのはこの世界に転移された1週間後だ。女ばかりの世界で、熱い男に飢えていたのかもしれない。僕は吸い寄せられるように『メリカート』にのめり込んだ。メリケンサックの不良が織りなす熱いストーリーに心を打たれ、メリの全てを知りたい、と隠し技や隠しステージまで全てを頭に叩き込んだのだ。


「私パイナポー姫ぇ〜♪」と美咲ちゃんは楽しそうに操作キャラクターを選択する。


 パイナポー姫、か。確かに使いやすさという点では、非常に優れた初心者向けのキャラだ。だが、パイナポー姫は重量が軽すぎるため、簡単に吹き飛び、ぶつかっただけでいちいちクラッシュする雑魚キャラだ。

 そんな人権のないキャラを選ぶとは。ふっ、まだまだ青いな。

 僕のキャラは当然、メリだ。3年間積み上げた僕のメリ魂が、こんな小娘に負ける訳がない。

 美咲ちゃんに、僕の男らしさと勝負強さを見せつけて、格の違いを思い知らせてやろうではないか!

 さぁ、ショータイムだ!


「慎ちゃん先輩、なんで両腕広げてんですか? 邪魔なんですけど」



(5分後)




『WINNER パイナポー!』




「やったぁ〜! 私の勝ちぃ〜♪」美咲ちゃんがぴょんこぴょんこ、飛び跳ねた。


 いや。

 いやいやいやいや。これはビギナーズラックだ。そうに決まっている。

 僕はこのゲームを中2の時からやってるんだぞ? 負けるはずがない。

 僕のメリ男魂が負ける訳がないんだ!



「も、もう一回!」

「いいですよぉ」


 チャリンと硬貨を入れる。

 さぁ、今度こそ……。


 ショータイムの始まりだ!


「だから、その広げた腕は何なんです? ゲーム外の攻撃?」



(5分後)




『WINNER パイナポー!』




 美咲ちゃんは、今度は喜ばなかった。

 気まずそうに僕を見る。


「なぜだァァァアアア!」

「だ、大丈夫です慎ちゃん先輩! 可愛いですから! 慎ちゃん先輩には誰にも到達できない至高の『可愛い』がありますから! 下手くそ過ぎて可愛い! 下手可愛い!」

「下手言うな!」


 僕はもうヤケになっていた。「次はあれで勝負だ!」とエアホッケー台を指差し、叫んだ。

 流石にこれなら女子に負けることはないだろ!



(5分後)



「いぇ〜い! 私の勝ちぃ」



 普通に負けました……。



「男子が女子に勝てる訳ないじゃないですか」と美咲ちゃんが笑いながら、僕の頭を撫でた。くっそ、後輩のくせに!


 この世界では男女のパワーバランスが逆なのを失念していた。なんであの華奢な腕が僕よりパワフルなのか未だに謎だ。



「あ、慎ちゃん先輩! あれ! あれ取りましょうよ」


 美咲ちゃんが巨大なぬいぐるみが景品のUFOキャッチャーを指差して、駆け出す。取れるわけねーだろ、と苦笑しながら追いかける。

 僕らはその後も、パンチングマシン、クイズゲームなんかでも遊び、2人で思いっきりはしゃいだ。



 それは僕らが遊び疲れてベンチで休んでいる時だった。

 突然、美咲ちゃんが小さく「ぁ」と呟き、顔を伏せた。

 間も無くして、「キャハハ、まじそれェ」「まじヤバいんだけど」「それがしも完全に同意でござる。討幕とうばくはまじヤバいでござる」と派手目のギャル3人組が僕たちに近づいて来た。一人幕末の志士みたいなこと言ってるが、見た目はただのギャルだ。

 変なギャルだなぁ、と目を合わせないようにチューチューとリンゴジュースを吸っていると、ギャルの一人が僕らに近付いてきた。


「あー! やっぱりぃ! 山中じゃァん」


 美咲ちゃんを指差して大声で言う。

 美咲ちゃんは顔を真っ青にして、目だけをギャルに向けた。


「久しぶりだねぇ山中ァ!」ともう一人のギャルが言う。

 美咲ちゃんは「うん……。久しぶり」とだけ小さく言った。視線は彷徨っており一定しない。


 なんだ? 美咲ちゃんの知り合いか?

 だが、美咲ちゃんの様子がおかしいのが気に掛かった。

 ギャルが美咲ちゃんを小馬鹿にするように言った。




「山中ァ、お前高校でもギャグマシーンやってんの?」


 ギャハハハハと品のない笑い声が響いた。



 後編へ続く



——————————————


今日の21時頃に後編あげます。

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