さて、話を戻そう。以上のことをふまえて、「鍋」について外国人に紹介する自由英作文を翻訳ソフトを使ってつくるため図書閲覧室に香月先輩を訪ねようとしたわけだが、運の悪いことに僕は但馬たじま先輩に捕まってしまった。

「なんだ、穐山あきやま、また英作文か。翻訳ソフトの調子はどうだ?」

 実は、同じ文芸部に所属する高等部三年の但馬先輩にも僕は何度も話を聞いてもらっている。ウナギ文のご高説も賜った。日本語独特の「はが構文」についての造詣も深い。

 しかしとにかくこの但馬たじま先輩という人は薀蓄うんちくを語りたがるのだ。そして語り出したら止まらない。香月かづき先輩なら十分じっぷん程度ですむ内容を但馬先輩は一時間以上かけて語る。もううんざりするほどに。

 だから僕は逃げ出したかった。何しろ時間がない。冬休みに入る前に、学校にまだ香月先輩がいるうちに会っておきたかった。

 しかし僕は但馬先輩に捕まってしまったのだ。


「ほう、自由英作文で外国人に鍋を紹介するのか」但馬先輩は興味津々だ。

「鍋がうまいなんて言ったら外国人は変な顔をするだろうな。そんなもの食べて歯が折れないのか?とか」ひとりでウケている。気持ち悪い笑みだ。

「動画投稿サイトで昔のしゃべくり漫才を観ていると飽きないな。とても面白くて腹が痛くなる……」そして勝手にひとり漫才を始めた。


「……正月のおせちとか餅とか、食べるのは飽きて来たね」

「飽きてきたら、君は何を食べるの」

「僕は鍋」

「鍋???」

「鍋はええよ、大好物や」

「君、鍋、食べるの?」

「うん、うまいで」

「丈夫な歯してるね……僕は歯が弱くなって……」

「鍋とちゃうわ!」

「今、鍋食べるって言うたやん」

「鍋そのものやのうて、鍋の身」

「鍋の身? あんなもの、どこをどう剥いたら身が出て来るの?」


 ひとりで喋ってひとりでウケている。

 僕はそっと逃げ出そうとしたが逃げられなかった。

「ということで、もちろん鍋とは鍋料理のことだ。レトリックの換喩かんゆだな。一部で全体を表す技法。『赤ずきんちゃん』とか。鍋は入れ物でもって中身を表現するタイプだ。酒を銚子と言ったり、そばをせいろと言ったりするタイプだ。せいろ一枚食ったといえばそばを食ったことになる。だれもせいろを食べたとは思わない」

 話が終わらない。但馬先輩の声だけが閲覧室にこだまする。そこにいる生徒たちはみな見て見ぬふりをしている。関わりたくない感じだ。

 最高学年の、応援団長のような大男が演説しているのだ。誰も「静かにして」とは言えない。気の毒そうな目で僕を見るだけだった。

「鍋料理を英語でどのように言うのか、調べてみよう」

 但馬先輩は僕を端末機のあるところまで引っ張っていった。自分のスマホはもうチャージが必要なところまで使い込んでしまったのだろう。

 但馬先輩は調べるのが速い。香月先輩の次くらいだ。香月先輩に劣るのはすぐに別のところに興味が移って本題からずれてしまうからだ。それさえなければ但馬先輩が一番なのに。

「やはり鍋を使った料理の英語表現は、hot potかstewが多いようだな」

 ネイティブスピーカーが何人も出てきて「鍋料理」の英語表現を答えるサイトをすぐに見つけ出していた。


 鍋はpotだ。hot potで「鍋料理」を表すようだが、より「料理」の意味合いをはっきりさせるためにdishをつけてhot pot dishという言い方を薦めるひともいる。


 煮込んだ料理という意味合いで、似た料理を使ってstewシチューと表現することもあるようだ。brothという言い方もある。


 どのように言えば相手に伝わるかを考えながら英語表現を選ぶことになる。


 NabeあるいはNabe cuisine Nabeで通じるひともいるようだ。cuisineは調理法をさす。


 One pot dish ひとつの鍋で煮込んだことを意識した言い方らしい。


 communal food みんなでつつきあう食べ物を強調した言い方だ。


 A dish where meat and vegetables are cooked in one pot of broth(野菜と肉をだし汁を入れた鍋で煮込んだ料理) 説明文としてはこれが詳しくて相手に優しいだろうと僕は思った。


「ひとことで鍋といってもいろいろあるからな」但馬先輩が語り始めた。「俺は寄せ鍋とか水炊きを連想するが、すき焼きもあるし、ジンギスカン鍋もある。しゃぶしゃぶだって鍋だろう。あの独特な形状の鍋を使うが。そして中に入れる具材や味付けでいろいろあるなあ」

 やばい気がする。これはやばい……。

「石狩鍋も良いなあ。すると石狩という地方について説明しなければならないのかなあ……。鮭は英語でsalmonだが、カタカナでサーモンと書かれているものは実はニジマスが多いんだよなあ……」ヤバすぎる。

紅葉もみじ鍋とか牡丹ぼたん鍋なんてのもあるなあ。そういうのを説明するとなると花札の説明もしなければならないな……」ヤバいったらありゃしない。「……花札と言えば知っているか? 任天堂は花札を作っていた会社なんだぜ……」

 泥沼にはまっている。

「会話がはずむじゃないか!」

 いや、会話がはずまなくても、僕は宿題ができれば良いんですけれど。

「あんこう鍋、食べたくなったな。チョウチンアンコウじゃないぞ、キアンコウが入った鍋だ。なんでノ〇プ〇の『鍋』の課題でチョウチンアンコウのアバターがもらえることになったんだろうな」

 知るか、ボケ!

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