第74話ミューとダグラッド

 [ミュー]


「いつもごめんなさいね、ミューちゃん」

「いえ、これも私の仕事ですので。奥様はお気になさらず休んでいてください。奥様が健康でいてくださることが、何よりも喜ばしいことですので」

「そう? それじゃあ、任せちゃうわね。ここに引っ越してきてから少しずつ体調が良くなってきてるから、そのうち私もちゃんと動けるようになると思うわ」

「でしたら、その時はよろしくお願いいたします」

「ええ」


 元同胞である魔族に狙われているとはいえ、それでも仕事を蔑ろにするわけにはいかない。

 かといって警戒しないわけにもいかないけれど、過度に警戒しすぎてもいけない。私が警戒していれば、きっと奥様も警戒し、その結果体調を崩されてしまうかもしれないから。


 そのため、私はいつもと変わらない態度で、いつも通りに仕事をこなしていく。

 仕事といっても、現在は私のせいで獲物の解体や肉の加工などの量が以前よりも減っているため、それに比例して仕事の量も減っている。なので、やっていることは情報集めと、隙を見つけてのオドの鍛錬。魔族として魔王軍にいた頃よりは格段に楽な生活となっています。

 あとは奥様の話し相手や軽い運動などの付き合いで、今も奥様とお茶をしながら話をしている最中です。


「なんか、主の母親とメイドってよりも、会話が嫁と姑の会話みたいだねえ」


 一緒にお茶に参加している傭兵のミリアムが頬杖をつきながら呟いているけれど、そう言われてもなんだかこれまでの生活と違いすぎて実感が湧かない。けど、嫌いではありません。


「ふふっ、そうかしら? でも、そうかもしれないわねぇ」

「そんなっ! 私はただ自身の仕事をしているだけですので——っ!」


 そうやっていつも通り話し、平穏な時間を過ごしていたけれど……そんな時間も終わりのようですね。


「どうかしたかしら?」

「いえ、なんでもありません。それよりも、私は外の掃き掃除に行ってまいりますね」


 できる限り奥様には心穏やかに過ごしていただかなければなりません。そのため、私は笑顔で誤魔化して外へ出ていくことにしました。


「行っちまったなぁ。さあてと、あたしはどうすっかねえ」

「……好きに動いていただいて構いませんよ」

「好きにって、そりゃあ……気づいてたのか?」

「ええ。これでも武門の出ですもの。おそらく、最近ディアス達が落ち着かなかったのも、そのせいではないですか?」

「お見通しってわけか。こりゃああの坊ちゃんもまだまだみたいだな」

「息子のことを分からない母親がいるものですか」

「はっ……ほんと、愛されてんなぁ」


 家の外に出ても、私の耳なら部屋の中の声くらい聞こえてしまう。

 その内容は、やはりというべきか、奥様もミリアムも、私がどうしていきなり立ち上がったのかその理由を察しているようでした。


 けれど、当然といえば当然ですね。あれだけの力を持っている奥様が接近している強者に気づかないはずがないのですから。


 それでも気づかないふりをして送り出してくれたのだから、私は何事もなかったかのように終わらせなくてはならない。


「まあそれはそれとして、あたしはここにいるとするかねえ。ミューだって、あたしがここにいるから外に出てったんだろうし」

「私が動ければよかったのだけれど……」

「まあいいんじゃないかい? どうせ、あたしらが何かするまでもなく全部終わるんだからさ」

「それじゃあ、待ってる間暇だし、せっかくだから何か話さないかい? たとえば、剣王について、とかさ」


 ミリアムは奥様を守ってくれるようなので、私はこのまま思う存分に戦うとしましょう。

 本来は傭兵であるミリアムが戦うのが筋なのだとは思いますが、これは私が原因で起きた騒動。だから、ただ見ているだけ、ただ待っているだけではいられない。


 魔族が私たちのことを連れ戻そうとする理由も理解できる。けれど、私はこの今の生活を気に入っているのです。

 だから、たとえ元同胞であったとしても、たとえ将来私が魔族領に戻った時に問題になるのだとしても、私は今の生活を脅かそうとするものは排除しましょう。


 ——◆◇◆◇——


「やはり来ましたか」


 外に出て音のした方向へ歩いていくと、角を一つ曲がったところで私が倒すべき敵……かつての同胞の一員であるダグラッドと顔を合わせることとなった。

 できることなら来てほしくなかった。いえ、この問題が片付くのだから早く来てほしいことは来て欲しかったので、正確に言うのならそもそも問題を起こしてほしくなかった、でしょうか。


「来るさ。来るとも。そう言っただろう?」

「そうですね。ですが、来てほしくなかったものです。こちらはそのために無駄な出費をすることになりましたので」


 この二ヶ月の間、傭兵を二人雇ったこともそうですが、個別に襲撃されることを警戒してロイドとマリーの二人だけで行動させることができず、二人の修行時間が減り、販売用の肉の確保をすることも難しかった。


「ああそうかい。そうだろうね。傭兵達のことだろう? 全くあんなものを雇うだなんて、そんなにこっちに戻ってきたくないのかな? それとも、君のご主人様の意向かな?」

「両方ですね。魔族領に戻りたい気持ちはありますが、私はこちらに残る覚悟をし、ご主人様と契約を結びましたので。最低でも契約期間中はご主人様に利のある行動をとるつもりです」


 そうでなくとも、私はこの今の生活が気に入っている。同族から爪弾きにされ、偶然出会ったローナと姉妹として暮らしていたけれど、私はここで新しい家族を手に入れた。私のことを家族だといってくれた。

 私は、家族を手放したくない。もう一人でいたくない。


「まったく。厄介な性格だね。本当に厄介だよ。君たちは姉妹揃って面倒な性格をしてるね。でも、その厄介さも今日限りでおしまいだ」

「……どういう意味か、聞いても?」

「いいよ。いいとも。でも、君だってわかってるんだろう? 君のご主人様とその友人達は、今僕の仲間達に襲われてるところだよ。傭兵を雇ったんだとしても、たかが人間の中で百二十三位程度の雑魚ならどうしようもない。それも、子供達を守りながらとなれば尚更だ。僕の仲間達なら、問題なく制圧することができるよ」


 確かに、人間領で行動を許されるような部隊の者であればそれなりに能力を持っているでしょう。人をうまく使えば、百位前後であればある程度余裕を持って処理することもできるでしょう。

 けれど、それは二ヶ月前の状況であれば、の話。今の彼らを倒すのは、おそらく無理でしょう。


 しかしそのことをおくびにも出さずに話を続ける。


「……ですが、あなた方では姉さんはどうしようもないのではありませんか? 魔王位十五位は伊達ではありませんよ」


 仮に傭兵二人を処理できたとしても、姉さんが暴れればそれで計画の全てが終わる。姉さんは、それだけ強い、どうしようもない理不尽な存在なのだから。

 もっとも、今の私はもっと理不尽な存在を知ってしまっているけれど。


「確かに。まさしくその通りだ。直接戦うとなれば、僕たち程度じゃどうしようもないね。でも『奇々怪々』の助けがあると思っているなら諦めた方がいい。アレは厄介ではあるけど単純だ。誘い出して時間を稼いでやれば、その間に事は済む」


 ということは、姉さんはどこか……おそらくは街の外へと誘い出されたということでしょうか?


「さあ、どうする? どうなんだい? 君がここで僕についてくると頷けば、君のご主人様達は襲わなくて済むようにしてあげるよ。君が頷けば、奇々怪々の方も頷くだろうしね」

「そうですか。では……」


 隠し持っていたナイフを取り出し、その鋒をダグラッドへと突きつける。


「……どういうつもりかな? あの子供達が死んでもいいと? それとも、僕は殺さないとでも思っているのかい?」

「いえ、あなたは実行するでしょう。ですが、なんの問題もありません。あの方は、あなた方ごときに負けるような弱者ではありませんので」


 少なくとも、ドラゴンほどの強さがなければロイドとマリーを殺すことはできないでしょう。

 あの子達が理解しているかはわからないですが、守りに徹すれば姉さんの脚さえ防ぐことができるのですから。


「わからないね。さっぱりだよ。あの傭兵をそんなに信用してるのかい? だとしたら、君の見込み違い、考え違いだよ」


 ダグラッドはそう言いながらくだらなそうに笑っている。

 けれど、考え違いなのはどちらなのか。実情を知っている私からしてみれば、こちらの方が笑ってしまう。


「仕方がないね。ああ、仕方がないさ。こうなったら、力ずくで連れて行くことにしようか。後の事を考えると友好的に解決したかったところだけど、無理なようだからね。どうせ、君じゃ僕には勝てないだろう?」


 そう言いながらダグラッドは両手を広げた。それの意味するところは、背後にいる仲間を……いえ、手下を示しているのでしょう。これだけ数がいるのに戦うつもりなのか、と。


「数の力ですか」

「そうさ。そうとも。僕は魔王位百番以内に入れない雑魚だからね。だけど、こうして一対多の状況を強いることができるなら、僕たちの方が上だ」


 確かに、魔力しか使えなかった時の私であれば、ダグラッドを相手にしつつその手下まで、と言うのは厳しいものがあったでしょう。


 ですが、まだ不慣れではありますが、それでもオドを使うことはできるのです。


「そう思うのでしたら、かかってきなさい。あいにくと、まだ家の前の掃き掃除が終わっていないのです。せっかくですから、一緒に掃除して差し上げます」


 今の私は、少しばかり強いですよ。

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