第48話新たな問題

 僕達がこの家に引っ越してから一ヶ月が経った。この一ヶ月の間は、特に何もなかった。ほんと、驚くほどに何もなかったんだ。


 あの日はルクストについても他の六人の家についても……それから、どうして最後に言葉を改めて礼を口にしたのかも聞くことができずおしまいとなった。


 あれ以来二人きりになっても特に何かを聞こうとはせず、また、何かを聞かれることもなかった。今まで通りの息子と母親の暮らしが続いている。まあ、変わらないと言っても場所や行動は変わったけど、親子としての態度は何も変わっていない。


 きっと、今の状態が壊れてしまうのが怖いんだと思う。だって、僕がそうだから。

 僕の秘密を話してしまえば、多分僕も母さんも色々と楽になる。でも、それによって変わってしまうこともあるかもしれない。それが怖いのだ。だって、僕にとっては今の母さんとの暮らしが幸せだから。


 だから、今しばらくはきっとこのままいくだろうと思う。


 ただ、それはそれとして、やはり色々と考えてしまう。

 一番考えたのは、ルクストについて。そして、母さんの境遇についてだ。


 母さんがこの街に来たのも、もしかしたらルクストとしての使命を感じていたからかもしれない。当時の首都であり、剣王の居城出会ったグリオラを取り返すため、あるいは守るために。


 なんてことを考えたりもした。そして、それはきっと間違いじゃないと思う。だって、あんな修行しか興味のなかった男が、僕が死んだ後も門番なんてやり続けたんだ。その義理堅さや忠誠心を受け継いできたとしてもおかしくはないから。


 ……次の戦王杯で取り戻されないように、僕がやるしかないか。元を辿れば、母さんの苦難は……ルクストの苦難は、〝私〟のせいなんだから。

 元々負けるつもりなんてなかったけど、負けることができない理由が一つ増えたな。


 それにしても、僕はなんでここにいるんだろう。もうちょっとあの時頑張っておくべきだったのかな……


 なんて、今になって後悔しても遅いか。今の僕がやるべきことは、かつての力を完全に取り戻した上で、ロイドやマリーを強くすることだ。

 魔族に勝つだけなら僕一人でも問題ないけど、万が一ってことがあるしね。それに、あの時は僕に並ぶものは誰もいなかったけど、もし僕と同じくらいの人が他にもいてくれたら、まだ踏みとどまれるかもしれないから。


「——それでは近況報告ですが、現在のところは順調に売れております。このまま順調にいけば、魔王軍の残した資金に手をつけることなく済むと思われます」


 あと、目の前の商売のことについてもちょっとは頑張ろうかな。二人の修行もある程度形になってきたから、余分な狩りをする暇もある。何をするにしてもお金は必要だしね。


「そうか。ならよかったよ。いくら問題ないって言われても、結局は他人のものだからね。後で難癖をつけられるかもしれないし、ミューやローナ達もできることなら危険な状況にしたくないしね」

「んまっ! それって私たちのことを心配してくれちゃってんの? いや〜ん。愛されてるぅ〜」

「やっぱりあれは危険な状況に合わせてもいいから、魔王軍の残した資金を使おっか。全部あいつが酒代に変えましたって言っておけば許されると思う」


 ローナだったら、多分本当に信じてもらえると思う。魔王軍の中にもローナの話って広まってるみたいだし、そもそもの理由が酒の飲み過ぎで酔い潰れてたんだから。


「ちょちょちょーいっ! そんなことしたら私がボコメキョにされちゃうってのよ!」

「でも、ルーナならそんな奴らを返り討ちにするくらいできるでしょ? 強いし」

「え、そう? できるかな?」


 ローナは元々それなりに強かった。多分、こっちにいなければ次の戦王杯に出たんじゃないかな? もしかしたら今回のやつにも出ていたかもしれない。

 そんな人物が僕の下で修行して、今まで使っていた魔力による偽りの身体強化ではなく、本当の身体強化を覚えたんだから、きっと今までローナの上にいた奴らも倒すことができると思う。


「できるできる。なんたって、今のルーナは身体強化を学んだんだよ? 前よりも強いんだからいけるって」

「そ、そーお? ま、まあ私だしね! 強いもんね!」

「その辺にしておいてあげてください。見ていて残念な気持ちになるので」


 適当に煽てただけで誤魔化されて胸を張っている姉を見て、妹のミューが額に手を当てながら緩く首を振っている。

 一応言っている内容自体は本気なんだけど……まあ、そうだよね。血は繋がっていないって言っても、自分の姉がこんな簡単に遊ばれてるのを見ると、残念な気持ちになっちゃうよね。


「実際のところ、姉さんは強くなったと思います。ですが、あまり油断しないでくださいね。今の所魔王軍や他の魔族の方に狙われる、と言うことはありませんが、ここのところ賊が増えているようですので」

「賊?」


 賊って街の中で? そんなのいたの? 街のチンピラと勘違いしてるってことは……ミューのことだし無いか。


「そんなの、私の手にかかればイチコロよ! それに、私に何かあったら助けてくれる人もいるもん。ね、姉弟子!」

「あたしに振ってくんなよ! あんたの方が強えだろ!」


 ローナに話を振られてマリーが不愉快そうに答えた。

 自分より強いのに『姉弟子』なんて呼ばれるとモヤモヤするだろうね。でも、元々の基礎が違ったんだから仕方ないと思うよ。単純に修行に充てた期間が、ローナの方が十年は長いだろうし。オドの使い方や身体強化に関してはマリー達の方が先だったとしても、戦士として考えればローナの方が圧倒的に先なんだから。


「でもぉ……一人だとどうしようもない時ってない? それに、あんただって十分強いじゃないの。そこらの賊相手に手が足りないって時には十分役に立つでしょ?」

「あたしよりも強いやつに助けを求められるような状況に突っ込みたくねえんだけど」

「っつーか、俺たちに助け求めるくらいだったら最初っからディアスに助け求めた方が早くね?」


 まあそうだね。僕だって助けを求められたら助けるし、むしろそうしてほしい。下手に自分たちだけで片付けようとして殺されました、なんてことになったら、とっても悲しいからね。


「えー。でもさー、きっとこいつのことだから助けてくんないわよ? 助けてくれるとしても、ほんっと〜にギリギリにならないときてくれない気がする」

「そうだね。死ぬことはないから、安心して負けていいよ」

「ほらあ!」

「いや、今のはローナのせいだろ」


 けど、実際に僕の手が届く範囲で危険に陥ったんだったら、ローナの言うようにギリギリまで手を出さないってのはありかもね。だって、ギリギリを経験することで人は強くなれるんだから。


 まあそれはそれとして……


「それよりも、その賊ってなんなの? どっから湧いてきた人達?」


 街のチンピラじゃ無いんだったらどっかからきたってことになるんだけど……どこだろう?


「そもそも、人なのか? 魔物とか、魔族ってことはないのかよ?」

「おそらくはないかと。中には数人魔族が混じっていることもあるかもしれませんが、基本は人間の集団だそうです」


 集団か……。そういうってことは、多分何十人って規模なのかな? でも、それだけの数の人間が、わざわざ街の中で暮らしてる人達を襲うものかな?


「人間の集団が人間を襲うの?」

「? はい。珍しいことではありませんよね?」


 不思議に思ってミューに聞いてみたんだけど、首を傾げられてしまった。そんなにおかしなことを言ったのかな?


「まあ、どっかの商会が襲われたー、とかそんな話は、俺たちだって聞くからな」

「誰かから奪うってのもわからないでもねえけど、そんだけ力と頭があるんだったら、別んところに使えばいいのに。大人って馬鹿だよなぁ」


 ……そうか。この時代でも、やっぱり変わらないのか。


 少しだけ、本当に少しだけ、僕は期待してたんだ。

 かつて僕が剣王をやっていた頃も、賊はいた。人々が行き交う道を襲い、金品を巻き上げるような奴らが。

 でもそれは、豊かさの証だと思っていた。賊をやらなくてはならないほど貧しいのではなく、賊をやっていられるほど切迫した状況では無いからこそ賊がいたんだと思っていた。


 あの当時は、僕が戦って勝ちすぎたせいで、人間達の間には負けや魔族に対する危機感や不安ってものが薄れていたからね。だから、人間同士でみっともなく争っているんだと思っていた。


 ……いや、多分そう思っていたかったんだと思う。今にして思えばね。


「……本当にね。馬鹿ばっかりだよ」


 時代が変わっても、状況が変わっても、結局人は人ってことか。魔族と人間の戦争で、人間が負け越しているこの状況で団結せずに仲間になるはずのもの同士で争い、傷つけあってるなんて……本当に馬鹿だよ。

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