第40話グレゴール:領主の憂い
私はこのグリオラの領主としてクシフォース王国から派遣されたグレゴール・ルクストだ。
国、といってもたいしたことはないものだがな。そもそも、今のこの時勢で国という枠組みが必要なのかすら怪しい。何せ、境界が魔族に奪われ続けているのだ。国など、いくら栄えていようが境界戦争に負けてしまえば簡単に滅ぶ。
今こそ人は一丸となって敵に立ち向かうべきなのだが、そうはいかないのが人というものだ。
全く、ままならないものだな。境界戦争にしてもそうだ。戦王杯、などと曖昧な言葉で濁すべきではないというのに。
これは戦争だ。どちらかの種が滅ぶまで続く殺し合い。それを、民に不安を与えることになるから、などという理由で本質のわかりづらい言葉にするなど、その呼び方を決め、広めた者はバカなのではないだろうか?
だが、その境界戦争にも今回は勝つことができた。
その影響もあってここ最近は忙しかったが、今はある程度仕事が片付きひと息つくことができたところだった。
今回の境界戦争を終え、魔族のものとなっていた人間領を取り戻すことができたが、移住期間が終わるまでは取り戻したという事はできない。だがその移住期間も終わって、ようやく一年が経ったところだ。
勝って取り戻したと言っても、移住期間があるから、まだ移住行き庵が終わったばかりだからと考えて心から取り戻したと喜ぶ事はできなかったが、ようやくだ。ようやく本当に取り戻したのだと喜ぶことができる。
だが、喜びはしても気を抜いたりはしない。次の境界戦争で負けてしまえば、取り戻したはずのこの領土も、再び魔族に奪われることになるのだから。
「——ふう。ようやく一年だな。これでなんとか安定したと言えるか。お前はどう思う?」
……とはいえ、だ。気を抜き続けるわけにはいかないが、今は喜んでもいいだろう。そう思い、目の前に座っていた男へと問いかける。
「はっ! 私もひとまずの問題は全て解消することができたかと考えます。これも全ては閣下の御采配の結果かと」
返ってきたのは、上官に対するような当たり障りのない言葉だった。
こいつめ……俺がそんな言葉を聞きたいわけじゃないとわかってるくせに
「はあ……。そんなバカみたいな話し方は止めろ。いつも通りでいい」
普段の言葉遣いと違いすぎて、違和感しかない。こいつを見ていると、敬語やかしこまった態度というのは、合う奴と合わない奴がいるのだなと、しみじみ思う。
「……バカみたいってなんだよ。これでも結構頑張って学んだんだぞ。少なくとも、人前に出られるくらいにはなっただろ」
「まあ、昔に比べればな。だが、その昔を知っている私から……俺からすれば、笑える姿でしかないもんだ」
「ひでえ領主だな。部下にかける言葉がそれかよ」
領主である私にこれほど親しく砕けた話し方をするのは、私が命じたからだというのもあるが、上司と部下という以前に友人だからだ。
目の前に座っている偉丈夫の名は、ラルフ・ロンデール。私の友人であり、この国でも有数の強者だ。ついでに、今は共にこの取り戻した人間領……かつて剣王様が住んでいた居城を守護するための仲間である。
「それで、どう思う?」
「どう、ってのは、今後のこの街について、だよな」
「そうだ」
俺としては、魔族から取り戻して一年たったが、それなりに安定していると思う。だが、他人から見てどう見えるのかはわからない。何か領主として動いている俺には見えていないものがあるかも知れない。
「……まあ、本当に安定はしたと思うぞ。移住期間が終わって一年経ったが、目に見える問題は出てきてない」
「目に見える問題はな」
目に見えていない部分では、まだ完全に安定したとはいえない。調査した情報しか知らないが、裏路地に入ったような場所では市民達は食事すらまともに摂ることができないスラムのような状態で暮らしているという。
最近では肉を卸す商人がこの街にやってきたようで、多少は食事に関しても改善されたようだが、それでも街全体に行き渡るほどではない。
また、移住期間が終わったといっても魔族が全ていなくなったわけでもない。移住期間が終わったのだから何ができるというわけでもないが、こちら側で独立して動くような部隊もいることだろうから、警戒しないわけにもいかない。
まだまだ俺のところにまで届いていないだけで、問題はあるのだ。
「そりゃそうだろ。見えねえ問題なんていつの世もどんな場所でもあるもんだ。むしろ、ない方が異常だ。もし問題がない場所なんてあったら、そこは天国じゃなくて地獄だろうな。考えも行動も、何もかもが決められたことしか許されない人形の街だ」
確かに、それもそうか。理想としてはなんの問題もない方がいい。だが、人が暮らす以上何かしらの問題があるのが自然だ。問題がないのなら、問題が起こらないように完全に管理された世界か、あるいは全ての生命から自我の奪われた世界だ。そんなもの、どちらにしても地獄でしかない。
「……って、そんなことじゃねえな。今後のこの街についてだったか。まあ今んところの調子でいけば問題ねえだろ。多分、〝次〟まではうまく回るんじゃねえか?」
次まではうまく回る。……つまりは次の境界戦争が始まるまでは、ということだ。では、その後は?
「なら、その〝次〟の後はどうだ?」
「まず間違いなく、奪われるだろうな。それはお前も想像ついてんだろ?」
「……そうだな」
ラルフの言葉にため息を吐きながら答える。
あまり同意したくないことではあるが、現状では誰もが同じように答えるだろう。
「今回の境界戦争では、参加者のうち四割近くが死んだ。人を育てるのには時間がかかるが、それだけの人数を次までに補充できるかと言ったら……」
「無理だろうな。特に序列一位と二位が死んだのがまずい」
そう。戦王ランキングの一位と二位——つまり、人間における最強に位置するツートップが死んだということだ。それに対して向こうは魔王位のトップ十位まで残ったまま。それ以外の人員も、こちらの方が死んだ数が多いが、やはり問題は一位と二位が死んだことの方がでかい。
「正直、こう言いたくはねえが、序列十位以下はいくら死んだってそう大きな問題じゃねえ。どいつもこいつも似たり寄ったりで、補充しようと思えば補充できる。だが、十位以上は別格だ。文字通り、格が違う」
「それは、自分のことを言っているのか? 序列十位『獣剣』ラルフ」
十位以上は人外の戦いを行うと言われているが、目の前にいる男も戦王ランキングの十位という地位に位置する男なのだ。
だが、ラルフは俺の言葉に対して肩をすくめて答えた。
「俺のは繰り上がりで十位に滑り込んだだけだろ。実力で言ったら、お前たちには届かねえよ。五位の『剣人』グレゴール・ルクスト殿」
「俺としても、五位なんて地位は重すぎるんだがな。七位の時点で重かったと言うのに」
ラルフは滑り込んだといっていたが、私も似たようなものだ。私の場合は身分も考えられてので本当の意味での実力で今の地位にいるわけではない。それなのに、五位にまで上がってしまったとなれば、その責任は私には重すぎる。
「なんにしても、数が減ったのなら補充しなくちゃいけねえよな」
「そうだな。だが、やはり人を育てるのには時間がかかる。おそらくだが、次には間に合わないだろうな」
「ま、だろうな。次は捨てて、その次で取り戻す。そんな感じになるだろうな。んで、また奪われる。その繰り返しじゃねえか? いや、そうでもねえな」
「……繰り返しで済めばまだマシ、か」
「毎回徐々に押されてるんだ。いつかはそうなるだろうよ」
今の所、二回負けて一回勝つを繰り返しているようなものだ。実際には三回負けて二回勝つような時もあるが、気分としては負けてばかりのような気がする。
だがどちらにしても、結果として負けているのだ。そうなれば、いつかは人間の領土はなくなり、世界の全てが魔族の領域になってしまう。
「……やはり、人を育てるほかないか」
次回負けたとしても、その次、そしてさらに次に勝てるよう、人を育てるしかない。
それに、次回だって負けるつもりで挑むわけにもいかない。せめて敵の戦力を削ることができるような人員を確保しなければいけないのだから、それらを考えると強者が出てくることを待つよりも、自ら育てた方が良いだろうな。
「つっても、そうそう育て甲斐のある奴なんていねえだろ。しかも、こんな場所だ。そもそも戦おうって思ってるやつだっているかどうか……」
「いるさ。どんな状況でも、人類を救うために剣を取るものは必ずいる。お前がそうだったようにな。元傭兵」
「ま、そうかもな」
どこにだって戦う意志を持っているものはいる。問題なのは、その意思を形にする方法を知らず、形にした意思を振るう先を知らないことだ。
であれば、俺たちが拾い上げてやればいい。意思を剣とする方法を、その剣を振るう先を用意すれば、人を救うための仲間として共に戦うことができるようになるだろう。
「だが、剣を取る、ねえ……。その言い回しも、いつか使われなくなるのかもな。何せ、今の序列は俺達と後一人を除いては全員魔法使いだろ。剣王が讃えられたのも今は昔。いずれ剣士なんて見向きもされない存在になるんじゃねえの?」
「三人ではなく、四人だろ。『剣魔』クレイリア・ドラクネス嬢がいるぞ」
「あれは別だろ。あいつは魔法使いの方だっての。剣も使うが、そっちはおまけだ。近づかれた時用にちっと振ることができるだけの偽物剣士だ」
剣王様の偉業は、今ではまゆつばだと言われている。それだけ剣王様が凄まじいということだが、その凄まじさを誰も真似ることができない。
だからこそ、現在は剣王様の後を追うのではなく、魔法を使って強くなることが標準的な考えとなっている。
そのせいで、戦王ランキングもかつては剣士ばかりだったようだが、現在は半数以上が魔法使いとなっている。
だが……
「偽物と言ったら、私の方が偽物だろうよ」
「……けっ。お前のどこが偽物なんだってんだ。『偽剣』だからか? そもそも、お前たちに対してそんな名前がつけられてんのがおかしいんだ」
「だが、私たち三家が政争に明け暮れて剣王の最後を看取らなかったのは事実だ」
私の生家であるルクストは、俗に言う『偽剣三家』のうちの一つだ。
なぜ『偽剣』などと呼ばれているかというと、剣王様に尽くした六家のうち、剣王様の亡くなられた時に私欲のために政争にうつつを抜かして立ち合わなかったからと言われている。
故に、剣王様が最期に「お前達三人は真の忠臣だ」と言ったことから、最期に立ち会った三人の家を『正剣』と呼び、俺達ルクスト家を含めた三家は偽物の忠臣ということで、『偽剣』と呼ばれている。
「それだって、どこまで本当かわかったもんじゃないだろ。昔の正剣の奴らが細工して事実を捻じ曲げた可能性だってあるんじゃねえのか?」
「ないとはいえないが、だとしても、今はこれが事実だ」
それに、剣王様の最期に立ち会わなかったのは事実だ。
裏切ったわけではない。が、事実であることが間違いではない事は過去の当主達の手記からわかる。
「はっ。自分の最後を看取らなかったら忠臣じゃねえって? ふざけろ。もし本当にお前達の家が忠臣じゃねえって剣王が言ったんだったら、剣王なんて——」
「ラルフ。そこまでだ。それ以上は、この国の……人類の一人として見過ごすことはできない」
かつて剣王様がいたからこそ、人間はいまだに魔族に押されることなく存続することができている。
にもかかわらず剣王様を貶すのは、あってはならないことだ。
「『偽剣』だなんて呼ばれて、そこまでする義理があんのかよ」
「あるさ。少なくとも、今人間側の領域に住んでいるすべての人間にな。剣王様がいたから、私達はいまだに持ち堪えることができているのだ。それに、偽剣と呼んだのは後世の人間で、剣王様自身ではない」
「……そもそも、剣王なんて本当に居たのかよ。初めて戦争に参加したのが……十八の時っつったか? そっから七回って、九十近くまで生きたってことだろ? しかもその状態で魔族どもと戦って蹴散らした。……そんなん、バケモンじゃねえか」
「それができたからこそ、『剣王』と呼ばれたのだろう」
「かもな。だが、別の考え方もできるだろ。そもそも、剣王なんてのは実在しなかった、ってな」
そういった話があるのは俺も知っている。だが、実在していたと断言できる。
この街の近くに、かつて剣王様が修行をした渓谷があるが、その渓谷こそが証明だ。
普通の渓谷は緩く波打つような流れになっているが、あの場所は一直線のものになっている。みれば理解できるさ。あれは、自然に生まれたような地形ではないのだと。
「いや、実在しなかったってのは違うか。正確には、複数人で『剣王役』をこなしてた可能性だな」
「ありえない。確かに、たった一人で七回もの戦王杯を勝ち進んできたのは異常だと言えるだろうが、かといって『剣王』と同等の人間を何人も用意できるはずがない」
あんな地形を生み出すような人物を複数人用意するなんて、できるはずがない。
「ああ。だから、『剣王の秘宝』の話が出てくる。お前、上から言われてんじゃねえか。剣王の秘宝を探し出せ、って」
「……ああ。だが、そんなものが本当にあるのか? 使えば誰でも剣王と同じだけの戦果を出すことができる……誰でも魔族の一軍を滅ぼすことができる兵器など」
国からの命令だ。俺だって領主として安全を確認する意味でも、『剣王の遺産』については探している。
だが、そんなものが果たしてあるのだろうか? まだ優れた個人がいたと考えた方が真っ当な気がするけどな。
「さあな。だが、剣王は空を割った、なんて話もある。七十年も戦い続けた話と合わせると、剣王の存在と兵器の存在、どっちが真実なんだってなったらどっこいな話だろ」
「まあ確かに、どちらが真実でもおかしくないような信憑性ではあるな。だが、やはり私は剣王がすごかった、と言うのが事実だと思うがな。昔は今よりも剣士が強かったそうだしな」
「そりゃあ剣士が強かったんじゃなくて、魔法使いが弱かったんだろ」
昔は魔法使いの方が弱かったというが、なぜ剣士と魔法使いでそこまで立場が変わってしまったのだろうな。やはり剣王様のの存在が重要だったのだろうか?
「……なんにしても、秘宝とやらの捜索はする必要があるだろ。そんなもん、なかったとしてもな」
「そうだな。城からの命だ。聞かないわけにはいかんだろ」
もし本当に『剣王の遺産』なんてものがあるんだったら、ぜひ見つけたいものだ。そうして、人間を救うことができればいいものだな。
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