第67話 恋戦恋勝(2)

「えー、皆さん。ご存知でしょうが、私と後藤さんは、これから試合する南高の1年です」


 円陣を組んで、いきなり自己紹介を始めたすずに、Aチームの仲間たちが失笑する。

「だからと言って、もちろん、手を抜いたりしませんし、勝ちたいです」

 くすくすと笑い声が起きる。

「大事なことなので、もう1回言います。勝ちたいです。無茶苦茶勝ちたいです!」

 仲間だからこそ余計に勝ちたい、そう言う涼の気持ちは、さっき陽湘の先輩たちとぶつかった陽湘の1年生たちにはよく分かる。

「……それと1週間、一緒に練習してくれてありがとう。わたし、みんなと合宿できて良かった」

 涼のその言葉で一瞬しんみりとする。

「だから、最後も勝とう、勝とう!!」

「「「おおおっ!」」」


 Aチームの円陣がほどけた。



 涼はゴールポストの前に立つ。


 今日のまさFWフォワードなので、涼からは比較的近い位置に立っている。

 腰に両手を当てて、首を軽く回しながら、涼を見ていた。


 独特の口癖のある穏やかな口調。

 大きな瞳。目が弓を描く笑顔。

 ボールを追い掛けていないときの雅はおっとりしている。

 しかし、試合になると雅の目は獰猛になる。

 器用さゆえに、あちこちのポジションに回されがちだが、雅本人は自分をFWだと捉えている。

 いつも一人で黙々とボールをゴールネットに蹴っているのは、試合で点を取るためだ。


 雅が誰よりも点を獲ることを渇望していると涼は知っている。


 でも、今日のわたしはそれを妨げる


 涼は、パンっとグローブを付けた両手を打ち合わせた。

 その音に気付いた雅が睨むように涼に強い視線を向けた。

 そして、涼はいつものように手を羽のように大きく広げて、雅を威嚇した。


 二人の口角が上がった。




 キックオフは涼たちアンダー17県選抜のAチーム。

 一旦、後ろに戻し、ゆっくりと攻め上がる形を作り出す。

 アクセルを踏む前に、ギアを動かすように。


 パスを回しながら、じわじわとAチームが攻め込む。

 しかし、すぐさま、パスカットされてしまい、ボールがピッチの外に転がって早速攻撃が途切れた。


 スローインでピッチのサイドから投げられたボールが後藤に届いたが、その瞬間、敵に激しく体をぶつけられ、バランスを崩した後藤はボールを奪われてしまう。後藤をチャージしたのは、やはり原先輩だった。

 そして、Aチームは、今度は攻撃を受ける側に回る。

 雅がドリブルでカウンターを仕掛けてくる。ボールを奪おうとするAチームを避けながら、雅は涼に向かってくる。

 涼は予測する。多分、雅は食いついてくるMFミッドフィルダーDFディフェンダーを剥がして、挨拶代わりにロングかミドル、遠いところからシュートをうってくる。


 ばん


 という音がして、涼の予想どおり、雅のロングシュートが飛んできた。

 涼はそれを読んでいたこともあり、難なくそのボールをキャッチする。バレてたか、という顔で雅が舌を出した。


 雅からのファーストシュートを押さえて、次はAチームの攻撃の番だ。涼のゴールキックがその起点となる。キック力が不足している涼は、いつものようにDFにボールを送ろうとした。


 雅は雅で、それを読んでいた。


 雅は全力疾走して、そのDFに近付き、涼からのボールを奪い取った。そのままターンして涼を振り返る。


 しまった!!


 涼は身構え、少しだけ前進する。

 近付くことにより、シュートコースを狭められる。近付き過ぎれば、抜かれる。その微妙な距離を一瞬で読み取らなければならない。


 雅は、涼がその微妙な距離感を掴んでいることに気付く。

 涼の大きな体が壁になって、雅の視界を奪い、シュートコースが塞がれていた。

 雅は、ちっと舌打ちをして、そして、その次の瞬間にふっと笑う。


 涼も雅の口元が緩んだことに気付いた。

 次の瞬間、涼の後ろでボールがネットに飛び込む音がした。


「…股抜き…」

 後藤が声を出す。


 涼は、信じられないものを見るような顔で後ろを振り向いた。

 ゴールにボールが転がっていた。

 雅は、前進してきた涼の両足の間に、低く速いボールを蹴り、ゴールを決めたのだ。試合開始から僅か2分。


 涼の経験の浅さを熟知している雅だからこそ打てたシュートだった。


 涼の目の前で、雅が両手を天に突き上げた。

 雅の顔は笑っている。

 しかし、目は笑っておらず、ギラギラと涼を見詰めている。


 どうだ?と言わんがばかりに。



 涼の腹から熱が込み上げる。

 雅にあっさりとゴールを決められた悔しさと、油断した自分への怒り。

 誰よりも雅に上達したところを見せるつもりだったのに、その雅に早速してやられてた。


「ハセガー!」


 涼のところに駆け寄ってきた後藤が涼を呼んだ。

「ハセガー、あたしが取り返すから!!」


「長谷川!ドンマイ」「まだ1点」「大丈夫、大丈夫」

 Aチームのメンバーが涼に次々に声を掛けてくれた。


 ふーっと長い息を吐いて、涼は、ボールを拾いにゴールに駆け戻った。それからボールを後藤に投げ渡す。

 後藤は頷いて、それをキャッチすると、センターサークルへと軽くドリブルで運んでいく。

 もう1度、センターサークルから仕切り直すしかない。



 やっぱり、雅は一瞬たりとも油断はできない。

 9の悔しさに1のリスペクトが混ざる。

 次はない!

 涼は、両手をパンっと叩き合わせた。

 雅は、もう次の点のために走り出している。

 2点目を許すわけにはいかない、と涼は強く思った。


 もう1度、Aチームはボールを持って走り出した。

 守備の堅いチームは、1点でもリードを奪ったら攻撃から手を引いて守りに入る。そうなると1点を取り返すのは難しい。

 かと言って、攻撃だけに傾注していれば、守備が疎かになって2点目を奪われる危険性もある。

 それでも、その1点のために走るしかない。


 涼はボールを敵陣に向かって上がっていく後藤たちの背中と、それを追う雅たちの背中を見る。

 ゴールキーパーは滅多なことがない限り、敵陣へと上がることはできない。

 グローブを付けた手で膝を握る。

 今は、いざという時に守り抜く、その時まで待つ。

 焦ったさを感じるが、涼は、ゴールにしっかりと足を着けた。


「ぎゃん!」

 原先輩のチャージに、再度、後藤はバランスを崩して転がる。

 しかし、柔道の受け身を取るように、すぐさまクルンと起き上がって、パスを出し、ボールを奪われなかった。

 原先輩は、そんな後藤を見て、少しだけニヤッと笑う。

 後藤もそれに気付いて、原先輩にチラッと親指を立てると、また、ボールを追って走り出した。


 先輩たちは後藤に遠慮がない。

 肩をぶつけ、ボールを狙って足許をすくいに来る。

 後藤は後藤で、そんな先輩たちをぬるぬるとドリブルとフェイントでかわす。

 FWの筈の雅がDFに混ざって後藤にマンツーマンでしつこくボールを奪いに来る。雅がボールを奪いかけるが、後藤は簡単には奪わせない。二人は、足だけでなく、腕も肩も、ガンガンぶつけ合い、ユニフォームも引っ張り合う。

 練習では滅多に見ることがない、雅と後藤の本気のデュエルだった。

 結局、転がり出たボールは南高のDFが拾って、ピッチの外へ出す。


「…引き分け?」

「かな」


 一言だけ言葉を交わして、雅と後藤は、それぞれの立つべきポジションへと戻っていく。

 雅と競り合うのは、涼だけではない。



 4回目のハーフ。

 試合時間が15分を過ぎて、雅の獲った1点で、南高がリードしていた。



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