第52話 問答夢様(2)

「ご飯まで時間あるから、二人でお風呂入っちゃいなさいよ。あと、そのユニフォームもジャージも洗っちゃうから洗濯物まとめて出しといて。荷物、すずの部屋に置いて、支度してきな。まさちゃんのも洗濯するから、遠慮しないでね」

 昔、涼の祖父が子供世代だった頃、この家には人がたくさん住んでいたので、お風呂は大きい。家族は減ったが、家族全員が平均身長を軽々と超えている長谷川家は、家屋をリフォームしても、お風呂は広いままにした。


 納屋の2階にある涼の部屋に二人で行き、涼は着替えを箪笥から取り出した。

 しかし、雅はぼんやりと立っている。

「ニシザ?」

「……」

「あ、ごめん、わたしと一緒にお風呂入るなんて嫌だよね。ニシザーは先に行ってきなよ」

 涼が慌てて言うと、雅がはっとしたような顔をした。

「そんなんじゃないよ、ごめん。ハセガーも体、冷やしちゃってるし、一緒に行こう」



 ふーっと涼は湯船で息をつく。雅は浴槽で涼の隣に並んで座っている。温かいお湯に浸かって、PK戦の後からずっと青ざめていた顔に赤みが差したので、涼はちょっとほっとした。

 でも、まだ雅の表情は少し固い。


 その横顔の頬に濡れた髪が張り付いている。

 涼は手を伸ばして、指で髪を耳に掛けてやる。

「あったまった?」

 涼が尋ねると、うん、と雅は頷いた。ちゃぷんと顎がお湯の表面に当たる。


「……なんか、ほっとしたん」

 雅が顔を上げて呟いた。

「ありがと、ハセガー」

 雅はチラッと涼を見て、また目を逸らす。その動きに涼は少しだけ眉をひそめた。

「……さっきまで、なんか頭がじーんっとしちゃってて、……ボールがポストに当たる瞬間が頭から離れなくて……でも、温まったら、現実が戻ってきたみたい」

「そうなんだ。……良かった」

 涼は少し安心して、お湯に鼻まで浸かった。ブクブクっと鼻から空気を出して、それから顔を出す。


「あー、そしたら、なんか、ハセガーが、カッコ良すぎて困ってる」

「何が?」

「裸……目のやり場に困る、ことに、気付いたん」


 ぴちょん


 数秒の沈黙の後、涼は、派手な水音と水飛沫を立てて風呂場から飛び出していた。


 涼が以前に通っていた中学校は、スポーツが盛んだったこともあって、大浴場があって、運動部は練習後に当たり前のようにみんなでお風呂に入っていた。女子校だということもあり、生徒たちは、恥ずかしがるどころか、少しは恥じらった方がいいというくらいの状況だった。涼も恥ずかしかったのは中1の最初の頃だけだった。

 そのため、雅の前で服を脱ぐことにも一緒のお風呂に入ることにも全く抵抗はなかった。

 それなのに、雅のそんな一言で、とんでもなく恥ずかしくなってしまったのだった。


 翠に服を脱がされた時だって、こんなに恥ずかしくなかった気がする


 涼はばたばたっと髪と体を拭いて、下着とタンクトップとショートパンツを身に付けると、納家の2階の自分の部屋に飛び込んだ。そのまま、扇風機の前に正座して火照った体を覚ますことになった。


 5分くらいするとタオルを頭にかぶった雅が戻ってきた。

「ごめん、変なこと言って……」

 真っ赤な顔で扇風機の前で正座をしている涼の隣に雅が正座してペコリと頭を下げた。


「いいよ、もう。ニシザーは、わたしのこと褒めてくれてんだから、一応」

「うん。……でも、扇風機、ドライヤーにするのはどうかと思うん」

「ニシザーが悪いんじゃん!」

「えへへ」

 あんな試合の後に何をバカな話をしてるんだろう、と涼は思った。でも、いつものニシザーが戻ってきたようにも思えた。しかし、まだ、雅が泣いていないことが気に掛かっている。一人の方が泣けたのかな、それとも雅は泣かないのかな、と涼は考え、余計なことをしたのかもしれないと少し不安になる。


 そこに、母親からの内線電話が鳴って、夕食の準備ができたことが分かり、二人はダイニングへと向かう。

「ニシザー、お腹空いた?わたしは腹ペコだよ」

「うん、少しね」

「お風呂入ったし、後は、ご飯食べてゆっくり寝よう」

 雅は薄く笑って頷いた。


 涼の母親は、おかずにお刺身をたくさん用意してくれていた。家の田圃たんぼで収穫したお米を炊いたご飯に刺身はぴったり合う。

 雅は、早速おかわりをする。その様子に、涼の母親も目を細めた。

 涼もすっかり安心して、刺身に箸を伸ばした。


 炊きたての温かいご飯はとても美味しい。

 その温かさ、美味しさにほっとする。



「……あれ……?」

 雅の不思議そうな声がして、涼と涼の母親が顔を上げて雅を見た。



 雅が涙を流していた。

 

 右手に箸、左手に茶碗を持っているので、涙を拭うことができず、そのまま涙を流し続けている。テーブルに涙がぼたぼたと落ちていく。


「ニシザー」

「雅ちゃん」


「……ごめ、なさい、なん、か、悲しくなって。ご飯、こんな、に美味しいの、に」


 PKを外した時から、雅は、ずっと泣いていなかった。

 それなのに、温かいお風呂に入って、美味しいご飯を食べていたら、たががいきなり外れて涙が流れ出してしまい、それに雅自身が最も驚いていた。

「いいから、ご飯食べなよ」

 涼が隣からテイッシュで涙を拭いてやると、雅は頷いて、泣きながらご飯をもぐもぐと食べる。

「泣くか食べるか、どっちかにしてほしいって、涼になら言うんだけど、今日の雅ちゃんはいっぱい食べて、いっぱい泣けばいいよ」

 涼の母親は、泣いている雅と、雅の涙を拭っている涼を見比べながら、雅に3杯目のご飯をよそった。雅は、涙を流しながらも、そのお茶碗を受け取った。




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