第48話 Go雨 ーごううー (4)
延長戦が始まった。
雨雲が切れて、空は晴れないまでも白く明るくなってきた。
もし、晴れていたら、きっと太陽が眩しくて、ボールがよく見えなかっただろうと
芝生の水捌けは良く、少し水が引いて、ボールの転がりは速くなっている。しかし、選手たちは敵も味方も疲れ切っていて、走り続けることが難しく、なんとかパスを繋いでは、また、切られては、を繰り返している。
たまにシュートのようなボールが涼のところに転がってくるが、慌てることなく処理できるレベルだった。これなら、何とかゴールを守り切ることはできるが、かと言って、自分達のチームも似たようなもので、ボールを敵陣に運んでシュートに持っていくことがなかなかできない。
あっと言う間に前半が終わってしまった。
ばしゃっという音がして、何人かが膝を着いた。
疲れていても、もう双方のチームが交替できる人数を使ってしまっている。
その中で、
そして、すぐに後半が始まる。あと10分。
雅が、水音を立てながらスライディングして、敵のボールを奪い取る。そのボールが味方の2年生
すかさず雅にボールが渡り、雅がそれを受けてドリブルで突っ込む。
まだこの速さで走ることができる選手がいることに敵が慌てるが、雅の足がもつれて、転んだ。こぼれ出たボールを拾った後藤が、そこからゴールを狙ってシュートする。
ロングシュートだ。
ガンっという音がして、ボールはポストに当たってしまう。
跳ね返ったボールがラインを割る前に自分達のボールにしようと雅が突っ込んでいく。
しかし、敵
「ニシザー!?」
涼は思わず小さく叫ぶ。
雅はラインぎりぎりでボールに追い付いたが、ボールをコントロールできず、雅の足に当たって、結局ボールはラインの外に転がり出てしまった。
「のおお」
後藤が悔しがる。
「ナイスラン」
原先輩が雅に声を掛けた。雅は、返事をする代わりに軽く手を上げて、それに応えた。
「…惜しい!」
涼から声がこぼれ出る。
後藤が蹴った瞬間、味方は誰もが期待しただろう。それが、ラストチャンスだった。
フィイイーっとホイッスルが鳴った。
延長戦はどちらも得点できず、2ー2のまま、遂に試合はPK戦に突入することとなった。
涼もまた、緊張の糸が切れて、がくんと膝を着く。
前半後半80分、そして延長戦20分。長い長い100分だった。
しかし、まだPK戦が残っている。
涼は、自分がスタメンで出ると決まった日にPK戦について宮本先輩から説明を聞いた。
PK、すなわち、ペナルティーキック。
「ボックスの中で攻撃の邪魔になるようなファウルをしてしまうとPKになるのは知っているよね」
宮本先輩が涼を見てにっこりしながら言う。知ってるよね、知らなかったら覚えろよ、とその笑顔が言っているように涼は思い、真面目に耳を傾けようとした。
「まさかPKを知らないなんてことはないよね」
「しっ、知ってます、キーパーと蹴る人で1対1の勝負するですよねっ」
「日本語おかしいけど合ってるかな。で、キーパーとキッカーは、どれくらい離れてる?」
「じゅ、じゅ、12メートル、っちが、えっと12ヤード?でしたっけ」
「正解、だいたい11メートル。PKを敵味方で5人ずつ、で得点の多い方が勝ち。同点だったらサドンデスで、6人目、7人目と続けて決着が付くまで」
宮本先輩が指を立てる。
「ゴールキーパー最大の見せ場かも」
ベンチから宮本先輩が跪いている涼のところに走って来た。
「ハセガー、立てる?」
宮本先輩は屋根のあるベンチのところにいたから、ユニフォームはきれいなままだ。
「本当、よくやったね、ハセガー」
「…はい、でも、まだPK……」
宮本先輩が涼の腕を引っ張って立たせてくれようとしたが、涼の膝が笑っていて立てない。
「…大丈夫、PK戦は私が出るから」
前の試合で頭を打って失神してしまい、今日の試合はドクターストップが出ている筈だった。
「先輩…?出れるんですか?」
「ハセガー、私ね、この大会で引退するんだ」
サッカーは夏にインターハイ、冬に選手権と2回の全国大会があって、その前の初夏と秋に予選がある。
普通、運動部の3年生は、夏の大会で引退するが、涼たちの高校では、3年生は、夏で引退しても構わないし、秋の予選まで残りたい人は残っても構わないことになっている。
「大学受験するからさ。今日、もう試合に出れないって聞いて、前の試合が自分の高校最後の試合になるかもしれないって、ちょっと覚悟してた」
宮本先輩の手を取って、ゆっくりと涼は立ち上がった。
「PK戦もハセガーに任せるしかないのかな、って思ってたけど、ハセガーがこの試合、凄く頑張っているのを見てて、やっぱり自分が出たかったって思っちゃったんだ」
宮本先輩は続ける。
「だから、このまま引退になっちゃうのがどうしても嫌で、大久保先生に頼んでPKだけは出してもらうことにした」
宮本先輩は涼の顔を見上げて、ちょんちょんと前髪の辺りをつついた。
「よく頑張ったね。後は、任せて」
「……っぁい」
はい、と涼は言えなかった。宮本先輩のけがが心配だった。
しかし、もう、ゴールを守らなくていいんだ、という安心感が一気に膨れ上がってしまい、そのせいで泣けてしまった。
涼は、小さな子のように宮本先輩に手を引かれて、ベンチに戻った。
「ハセガー」
「っに、にっざ、にしざああああ」
ベンチの前に雅が立っていることに涼は気づくと、宮本先輩の手から離れて、雅にぎゅっと抱き付いた。
そして、雅の首もとに顔を埋めて泣いた。
悲しいわけでも嬉しいわけでもない。
重責から解放されたことと、宮本先輩にPK戦を譲ることのありがたさと申し訳なさで、胸が一杯で泣くことしかできなくなっていた。
そんな涼の背番号12を雅はぎゅっと握り、そのまま腕に力を入れて、涼のからだを自分に引き付けた。
「カッコ良かったよ、ハセガー」
「…ぜんぜ、そんあこ、ぁい」
「全然そんなこと、なくないよ」
雅のユニフォームは、汗と芝と雨の匂いがした。
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