第42話 初回得点(7)
長い
長い
15分が過ぎた。
ホイッスルがようやく高く鳴り響いて、審判がホイッスルを持っていない方の腕を高く上げた。
1ー0の0点を守り切ったのだ。宮本先輩が守ったものを、守ることができた。
何回か、敵が攻め込んでくるシーンはあった。
コーナキックの時は、コーナーからは高いボールが上がったので、思いきりジャンプして捕った。フワッと上がる高いボールを手だけでキャッチするのは比較的得意だ。
ボールをキャッチしたのは、1本目の真正面からのシュートとコーナーキック、その2回だった。
2回で済んだ。
それでも、緊張の糸がぶっつりと切れてしまった涼は、ゴールネットの前でがっくりと膝を落とした。それからへなへなと両手を前に着いた。肘が体重を支え切れなくて、崩れる。
膝が砕け、膝を曲げたまま、半端な姿勢で地面に伏せて、腕に額を乗せた。土下座してそのまま崩れて額を着けたような姿勢だ。涼の鼻先を芝生がくすぐり、草の匂いのする空気を涼は思いきり吸い込んで、それをゆっくりと吐いた。
そこでようやく、初めて、涼は自分がどんなに怖かったのかを感じ取った。
足と腕のがくがくとした震えが始まった。もう試合は終わったというのに、体はまだ怖くて仕方がないらしい。
「ハセガー」「よくやった」「頑張ったね」
ゴール前にいたDFの先輩たちが、涼の背中を優しく叩いたり、さすったりしながら、涼を労わるような声を掛けてくれた。
その優しい声に安心して涼は上半身を起こした。
満面の笑顔の先輩たちに囲まれていることに気付く。その先輩たちの中に割り込むように雅が飛び込んで来た。
「ハセガーああ」
涼の頭を雅ががしっと抱き抱えた。
「わぷ」
涼から変な声が出た。
「頑張ったね、頑張ったね、ハセガー」
「うん、頑張ったよ、わたし」
涼は、雅の背中に手を回し、ユニフォームの布地を掴もうとして、グローブを着けた手が雅の背中の布地を掴めず、ずるっと滑り落ちて、その腰のところにひっかかった。この手では雅のユニフォーム越しの肌を感じ取ることができなくて、涼は、なんだかちょっと残念な気持ちになった。それでも、雅の胸にちょっとだけ頭を預けると、雅の汗の匂いがして、なぜか、その匂いに安心して、涼の手足の震えは静まり始めた。
それから、後藤がちょこちょこっと涼に近付いてきて、涼の視線の高さに合わせるようにしゃがみこんだ。
「ハセガー、ごめんね。ハセガーを少しでも楽にしたくて、追加点入れたかったけど、できなかったよ」
後藤が神妙な顔で謝ってきて、涼は少しびっくりする。
その後藤の頭をぎゅっと押さえながらキャプテンの原先輩が涼の前に立った。
「よく頑張ったね、ありがとね、ハセガー」
あと、お前焦って空回りしすぎ、っと原先輩がごんっと後藤の頭にゲンコツを落とした。ぎゃんっと後藤が鳴く。
後藤と原先輩のいつもの雰囲気に空気が和らぐ。
しかし、雅は涼の頭に抱きついたままだった。
「ニシザー?」
涼が名前を呼ぶ。
「あ、ごめん…」
ようやく、雅が涼から離れた。
その表情は、涼の見たことのない雅だった。
____
一回、全員で学校に戻って片付けとミーティングをした。
そこに病院から宮本先輩が戻って来て、軽い脳震盪を起こしたけれど、特に問題はなさそうであること、たんこぶができてしまい、触ると痛いことを笑いながら報告してくれた。そんな様子を見て、みんなようやく安心した。
一人、林先輩だけは宮本先輩の前で泣き出してしまった。宮本先輩をチームで一番案じていたのは林先輩だったようだった。
ここでようやく、チーム悲願のベスト4に入れたことを率直に喜べる雰囲気になった。これで秋からの選手権の県予選はシードされて決勝トーナメントに確実に出場できる。
そして、来週の日曜日は準決勝。
もし勝てば、再来週は決勝。
つまり、あと2回、勝つことができれば全国大会につながる
初めて全国大会が近付いた。
全員が、じわっと心地良い緊張感に包まれていた。
_____
帰りのバス。
一番後ろの広い座席に涼と雅は並んで座った。
少し元気がない雅の様子に涼は心配になる。
「どうかしたの?ニシザー」
「……負けたら、ハセガーがサッカー部やめちゃうんじゃないかって思うと、怖かったん」
雅が呟くように言った。
そして、手を伸ばして涼の手を握る。
え?
涼が軽く驚く。
「私が、ハセガーをサッカー部に入れちゃったのに。たまたま今日は、勝てたからいいけど、キーパーって負けると一番自分の責任みたいに感じる、しんどいポジションだってこと、私、忘れてた。もちろん、今日、負けたとしても、それがハセガーの責任だなんて誰も思わないけど」
「ニシザー」
「ハセガーがサッカーで嫌な気持ちになったら、それは、私が悪いん」
「違うよ、ニシザー」
涼は、雅の手をキュッと握り返して言葉を遮る。
「わたし、自分でサッカーやるって決めたから、今日、負けていたら、きっと滅茶苦茶きつかったと思うけど、そりゃあ自分のせいだって思って落ち込んだと思うけど、ニシザーは絶対に何にも悪くないよ」
涼は雅の顔を覗き込むようにして目を合わせる。
「……どっちかっていうと、ありがとう」
涼は軽く頭を下げた。涼にお礼を言われて雅はきょとんとした顔になる。その顔を微笑ましく思いながら涼は続けた。
「試合の、なんだっけ、こうよ……かん?」
「高揚感?」
「そう、それ。バスケ辞めて、もうそういうの感じられないと思ってたから」
涼は、雅から目を逸らして前を向き、バスの背もたれに背中をどんっと打ち付けるように寄りかかり、天井を見上げた。
「あの、緊張した感じ、お腹から持ち上がってくる熱い感じ。わたし、試合が好きなんだなあ、って今日改めて思った」
涼は、背もたれに頭を押し付けたまま、横目で雅を見た。
雅は、涼を見ている。
あ
その顔、撮っておきたい
涼の頭の中にそんな気持ちが横切っていく。
「ありがとう、ニシザー。今日、すごく怖かったけど、勝ったから言えるけど」
涼は目を閉じた。
「楽しかった」
「うん……!」
涼が目を開けると、涼の気に入っている、三日月型の目の笑顔の雅がいた。
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