第27話 温恋知新(1)
「大きな家だ…」
涼の祖父母と両親は農業を営んでいる。
戦争の前には豪農だった時代もあり、とにかく家屋は大きいが、住んでいるのは、今となっては、涼と両親と祖父母の5人だ。涼には年の離れた兄が二人いるが、二人とも既に独立していて、この家にはいない。
「みんな、そー言う。でも、ただの昔の古い家だよ。しかも、中はリフォームしちゃって、なんだっけ、こ、こみんけ」
「…古民家?」
「そう、それじゃないから、大した価値はないんだってさ。ただいまー、友達連れてきたー」
「おかえりー、すぐ夕飯にするから、荷物置いたら二人でダイニングにおいでー」
「はあい」
大きな声で奥に声を掛けながら、からからっと涼が玄関の引き戸を開けた。玄関の奥、おそらくは台所から涼の母親らしき女性の声がした。
雅は少し緊張して、おじゃましますと挨拶をしながら、靴を脱いだ。
外からの見た目は古そうでも、中身は近代住宅だ。
壁と床はしっかり張り替えられて、特に、家族がよく使用する台所や居間、風呂とトイレはすっかり今風かつ洋風になっている。
ただ高い天井には、元の建物から移築された立派な梁がそのまま残してある。
ごく普通のマンション住まいの雅は、農家に入ったことがなく、物珍しそうに、あちこち視線を動かしている。
「わたしの部屋は、納屋の上だよ」
広い家には子供部屋もあるのだが、涼は中学に入学した頃から別棟の倉庫代わりの納屋だった建物の2階を自室にしている。親より昔気質の祖母がうるさくて、祖母から逃げ出すための部屋でもあった。
母屋に取って付けたような渡り廊下の先に納屋がある。
納屋の隅にある、急で狭い階段を上ると、屋根の低い10畳くらいの和室がある。六畳と四畳半の二間のふすまを取り外して、一部屋にしたので、涼が一人で使うにはかなり広い。ただ、涼が背伸びをすれば頭が天井に付きそうなくらい屋根が低いので、ぱっと見るとそれほど広くは見えない。
「広いなあ、いいなあ」
それでも、マンションの窮屈な部屋で寝起きしている雅には羨ましい広さだった。
涼はそれほど部屋を飾る趣味がなく、和風の時代モノの箪笥と本棚、鏡台、学習机の代わりの卓袱台、座椅子くらいしかない。押入れの中には色々入っているが、15歳の女の子の部屋にしては殺風景な方だ。それも雅から見れば、部屋が広く見える一因になっている。
「ハセガーはベッドじゃないんだ」
「うん、布団派。ちゃんと毎晩布団を敷いて、毎朝畳んでるよ。唯一自慢できるところ」
「いや、その身長と運動神経は自慢じゃないん?」
雅が突っ込むと、涼は片手をひらひらさせて、ないないっと言って笑った。
すると、部屋の中にある電話が鳴った。
「あ、これは、内線だから」
と涼は雅に説明して、電話をとる。
『ご飯、食べにおいでー』
受話器から涼の母親の大きな声が聞こえた。
「行こ、ご飯食べよう」
雅が荷物を置くと、すぐまた母屋に戻る二人だった。
「うち、わたし以外は夕飯は5時頃に食べちゃってるから、他の家族はいないから気にしないでいいからね」
遠慮しそうな雅に、涼は最初から声を掛けておく。
台所に向かう途中に小部屋があった。
「わたしなんかより、お兄ちゃんたちの方がずっとずっとスゴい」
涼が、その小部屋のドアを開けると、そこには大きな棚があって、トロフィーやらメダルやら盾やら何やらが飾られていた。
「上のお兄ちゃんは、今、実業団で、下のお兄ちゃんは体育大学でバスケやってるんだ」
雅の口が空いた。
「すごい…」
ここに飾られているものの半分が長男、もう半分が次男、ちょっとだけ一割かニ割が涼によるものだ。
175cmの涼が小さく見える、兄妹3人で並んでいる写真もあった。涼の兄たちも、かなり背が高いらしい。
自身の身長も運動神経も、全国大会出場も特に自慢にならないと涼が言う理由が雅に分かった。この兄たちと比較していれば、そうなるだろう。
「あはは、長谷川三兄妹って、デカくて近所では有名だよ」
そんなことよりバスケットボールの界隈で有名なんじゃないのか?と雅は思った。
「…でも、わたしはバスケやめちゃったから、もう、ここにメダルとか飾れなくなっちゃった」
涼がこぼす。
「これからサッカーでもらえばいいじゃん」
雅が涼の腕をつつく。
「もらえるわけないじゃん」
無理無理と、涼が顔の前で手を振る。
「一緒にもらおうよ」
にかっと雅が不適に笑った。冗談でしょ、と涼はそれを聞き流した。
「!!」
雅は、ご飯の美味しさに驚く。
「うちで獲れたお米だよー、おいしいでしょ」
涼の母親が雅に微笑みかける。涼によく似た顔立ちで、やっぱり身長が高い。
「はい!」
雅の元気な返事に、涼の母親は目を細めた。
「お代わりしてね。秋になったら新米食べにおいでよ」
涼が、おかずを頬張りながら言う。
「今は、新茶のシーズン。これ、今年の新茶」
涼の母親がそう言いながら雅の前に湯飲みを置いた。
「わああ」
「ニシザー、うちのご飯、食べると背が延びるのかもしんないよ」
涼の冗談に、雅の目が光り、雅はその日、ご飯を大盛り3杯食べた。
「食べ過ぎだよ、ニシザー」
「…だって、美味しいんだもん」
涼の部屋に戻って、雅は膨らんだ胃を撫でながら仰向けに転がった。
そんな雅を涼は半ば呆れて見る。
と同時に、初めての訪問による緊張がほぐれたらしい雅の様子に安心もする。
「ハセガー」
「ん?」
雅が寝転んで天井を見ながら涼を呼んだ。
「そろそろ話してよ。私、お腹一杯で眠くなっちゃうよ」
ぎょろん、と大きな目が涼を射る。
「……なんでバスケやめたの?」
涼は座椅子に座って、背もたれに寄り掛かると、長い手で膝を抱えた。
「…大好きだった人がいて」
雅の眉が寄って口がへの字に曲がった。涼の言葉が予想外だったからだ。
「バスケが巧すぎて、みんなに妬まれてとか、じゃないの?」
「あはは、確かに妬まれたけど、陽湘のバスケ部は中1から高3までレギュラー争いが厳しくて、巧い人が妬まれるのなんて当たり前だった。仲間は、仲間だけどお互いライバルだったし、でも、ま、本気で勝ちたい、優勝したいって思う気持ちは同じだったから」
涼は、中学校時代の部活のメンバーの顔ぶれを思い出した。みんな、高校でバスケを続けているだろうか。
「みんなのこと、仲間だった、と今なら思えるかな。あの頃は、チームワーク、チームワークだって仲良い振りしてるだけだったけど」
「ハセガー、本当はバスケ続けたいの?」
「いや、本当に無理」
雅の質問を涼はバッサリと切る。その瞬間、涼の表情は固まる。
「わたしさ、中学校のとき4歳上の女の先輩と付き合ってたんだ」
雅の目が丸くなって、それから少しだけ頬を赤くした。
「付き合うって……」
「うん、恋人。大好きだった。付き合うって言っても、わたしもその人もバスケの練習ばっかだったよ」
「そうなんだ」
雅は困ったような顔を涼に向けた。恋愛未経験者には付いていけない、という顔だ。
「……セックスは、した、してたけどね」
雅は一瞬きょとんとした顔をして、それから、ぼんっと顔を真っ赤にした。
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