第26話 アウェイ

「一緒に、サッカー、やろう」





 一緒に居残り練習をした日の帰りのバスで、私はハセガーをサッカーに誘った。

 ハセガーは本気で驚いている。

 サッカーをやるなんて、ちっとも思ってやしなかっただろう。

 でも、誘わずにはいられなかった。



 一緒に、サッカー、やろう



 私がこの言葉を発したことが、長谷川はせがわすずの人生を大きく変えるターニングポイントになったことを、ハセガーと私が知るのは、まだまだ先のことだ。


 今になって思えば、私は、ハセガーがバスケットボールに戻ってしまうのが嫌で、ゴールキーパーの才能があるということにして、サッカーに引きずり込もうとしたのかもしれない。

 長谷川涼をバスケットボールから最後に完全に引き離したのは、



 私、西澤雅にしざわまさだ。




_____




 翌日、ハセガーは、私の強引な誘いを断り切れず、入部テストというか、ゴールキーパーの適性テストみたいなのを受けることになってしまった。


 背が高くて、かなり運動神経が良くて、バスケットボールの経験があるからと言ってゴールキーパーができる筈がない。


 みんな、当のハセガーですら、そう思うだろう。

 でも、私だけは違う。

 ハセガーには、バスケだけでなくサッカーの才能もあるって思う。

 私には、自慢できるほどのサッカーのキャリアはないけれど、

 分かる

 としか言いようがない。



 ゴールネットの前に立ったハセガーは、高校の指定体操着と指定ジャージ、普通の運動靴。

 見た目はどう見てもズブのド素人。

 だけど


 ハセガーはカッコいい

 絶対にカッコいい

 だから、きっと、できるん


 ハセガーがグローブを付けた両手をパンっと叩き合わせ、両腕を広げた。




_____




「長谷川にはマネージャーじゃなくて、ゴールキーパーを目指して入部してほしい」

 監督の大久保先生は、マネージャーではなくゴールキーパーとしてサッカー部に入らないかとハセガーに言ってくれた。


「じゃ、テスト合格ですね」

 私がそう言うとハセガーは驚いていた。あれだけカッコよくゴールを守っていたのに、その自覚はないようだ。

「えええ? わたし、サッカー全然分かんないですけど、いいんですか?」


 私の目に間違いはなく、ハセガーにはキーパーの才能、可能性があるってことを先生と先輩たちが認めてくれてた。

 …ただ、ボールを蹴ることができないし、そもそもサッカーのルールもまだ十分に分かってないのだけれど。

 そこは、私も頑張って協力しよう。

 ゴールキーパーの3年生の宮本先輩も2年生の林先輩も、キャプテンの原先輩もハセガーを歓迎してくれる様子だった。


 でも、すんっとハセガーが鼻をすすった。

「ハセガー?」

「……ぃや、先輩たち、優しいと、思い、ました」

 ハセガーは袖で目尻の涙を指で拭った。

「……中学のときの先輩たち、みんな、わたしのこと、嫌がったから」



 どういうこと?


 中学校時代に部活に入らなかった私には、すぐに分からなかったが、少し表情を曇らせた先生と先輩たちを見て、想像が付いた。

 ハセガーは中学校時代に上級生から嫌われていた?

 バスケが上手すぎてやっかまれた?

 もしかしたらいじめられてた?


 ハセガーの手が震えているの気付いて、私は思わず、その手を握る。

「ハセガー?」

 ハセガーは名前を呼んだ私の顔は見てくれなかったけれど、その手は私の手を握り返し、指にぎゅっと力が入った。

 そして、ハセガーは顔を上げて先生の顔を見て、先生に尋ねる。


「先生、わたし、サッカー始めていいんでしょうか?」


 サッカーをやらない、わけではない。

 その言い方に私は少し安心する。

 でも、やりたいとも言ってはくれない。


 大久保先生が肩をすくめながら微笑む。

「好きにしていい」


 先生は決断をハセガーに委ねた。

 その答は、冷たいし、同時に、温かい。先生が、何も考えずにサッカー部に入れ、と言ってくれればハセガーは入部しやすいだろう。でも、それは、本当の意味でハセガーの決断ではない。


 私は、サッカー部に入ってほしい。

 一緒のピッチに立ちたい。

 でも、無理強いは違うん。


 ハセガーは自分が何をしたいのか分からないってた。

 バスケは人真似で、写真は一時凌ぎ。

 そんな言い方だった。


 グラウンドを見ると、ゴトゥー以外は、もう練習を始めている。さっきまでやっていたハセガーのテストなんて、もうなかったみたいに、みんなボールを追っている。

 いつもだったら、私も走りたくてたまらなくなる。

 でも、今は、ハセガーの結論が気になって仕方がない。




_____




 今日は、ハセガーと一緒に帰るために、部活を早退した。


 更衣室で、ハセガーは何かを真剣に考えている。

 考えすぎてるせいか、シャツのボタンが一個ずれてしまい、私にそれを指摘されて慌ててボタンを掛け直した。

 ネクタイもうまく縛れなくて、いつもよりよれている。


 何を悩んでいるんだろう。


 それを尋ねてしまっていいのだろうか。

 他人の心の中に踏み込むんは、勇気がいる。

 距離を詰めてしまってもいいものか。


 ハセガーの横顔。

 少しだけ眉が下がっている。

 視線があちこち揺れるのは、何かを考えているからだ。


 サッカーに誘ったのは私だ。私が誘ったから、今、ハセガーはこんなに困った顔になってしまっている。

 サッカーをやりたくないわけではない。それなら、とっくに嫌だって言ってくれていると思う。

 

 でも、もしかしてバスケに戻りたくなったのかもしれない。


 バスケを辞めた話をちゃんと聞いて、ちゃんと話そう。

 多分、今、ハセガーはそれを話そうとしてくれてる気がする。


 もう1度、その横顔を見上げた。

 前を見るその顔を見て、きっと話してくれる、そんな気がした。



「…ねえ、ハセガー、うち来る? 狭いけど」

 帰りのバスを待つ停留所で私は勇気を出した。

 私は、余り友達を自宅に招いたことはない。サッカーばかりしていたからだ。少なくとも、中3で今のマンションに引っ越してきてからは、全くない。

 ハセガーは、キョトンとした顔になる。

「え?」

「ちゃんとじっくり話そうよ」



「…じゃあ、どうせなら、うちに泊まりに来る?わたしの部屋なら、けっこう広いよ」



 これは予想外!ハセガーの家で?

 どうする私?、どうなる私?






_____

『アウェイ』 

敵チームの本拠地スタジアム

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