第24話 天才的素人 ーかみひとえー(3)

 息を深く吸った。運動不足だな、と思いながら息を吐く。体がなかなか温まらない。

 半年以上、本気で体を動かしていない、というのは意外に影響が大きい。

 その一方で、涼はほとんど緊張していない。

 体を動かすより話す方が苦手なので、先生や先輩と話すときは緊張するけれど、人前で運動能力を試されることは慣れている。ましてや、キーパーなんてできる訳がないのだから、恥をかいて当然であり、涼にとって緊張する必要はない。


 雅がボールをかごに入れて運んできて、ボックスと呼ばれるゴール前の白い枠の前に大きく広がらないようにばら撒く。


「あったしが、シュートするー♪」

 くるくると回りながら後藤がそこにやってきた。

「うわ、ゴトゥーが蹴るんだ」

 涼は口をへの字に曲げる。

 雅が軽くボールを蹴り出して、後藤がそれをシュートする。膝を屈伸しようとしゃがんでいた涼の左上をボールは越えていき、ネットに刺さる。

 あー、ボールに回転かけてんなあ、素人相手にひどいヤツだな、ゴトゥー。

 涼は転がってきたボールを拾い上げると、ポンポンと地面に打ち付ける。それからボールを両手で持つと、バスケのパスの要領でボールを雅の方に押し返す。


「ナイスパス」

 笑いながら、雅はそのボールを右膝の内側で受けて地面に落とす。

「先生ー。始めまーす」

 雅が振り返ると、部員が集まってきていて面白そうに座って見ている。3年と2年のキーパーの先輩たちは先生と3人で何かを話しながら立って見ていた。

 面白くない見世物だよ、と涼は思う。


 涼は、ゴールの前で、膝を緩く曲げて軽く腰を落とし、雅から借りているグローブを付けた両手をぽんっと合わせた。手を合わせる癖は、バスケをやっている頃からだ。ジャンプボールで試合が始まる直前のルーティーン。

 そして、羽のように手を1度大きく広げた。


「わ」

 後藤が一瞬ひるんだ。

 それを見て雅がにやっと笑った。


 女子で175cmも身長があるキーパーは少ない。

 その高さに加えて、涼のリーチ、腕は身長に比しても更に長い。

 そのため、ゴールに立った涼は、かなり大きく見えるのだ。


「大きいよね、しかも、それだけじゃないんだ。ゴトゥー、ちょっと高めを狙って蹴ってみてよ」

「おうけえい♪」

 雅が後藤にボールを蹴り出す。


 たんっという音がして、ボールがゴールに向かっていく。少し左寄りの高めのシュートだった。涼は、右足を一歩横に踏み出して、体を捻るようにジャンプし、そのボールをキャッチして、左足から地面に降りた。


「うえええ、たっかーい」

 後藤が変な声を出した。

 見ている部員たちも軽くざわめいた。



 その後、後藤が10本くらいシュートを蹴った。

 もちろん、後藤の蹴ったシュートを全てキャッチできるわけがない。

 ああ、ダメだ。

 キーパーになりたいというわけではないけれど、負けず嫌いの涼にとって、うまくいかないというのは悔しい。

 涼はちっと舌打ちしながら袖で額の汗をぬぐった。


「ハセガー」


 雅が涼に駆け寄っていく。

「ハセガー、全部キャッチしなくていいんだよ。手で弾いても、足で蹴ってもいい。これはバスケじゃない」


 あ、そうか。


 涼がきょとんとした顔をしたのを見て、雅はにやっと笑った。

「とにかく、ボールをゴールに入れなければいい」


 雅の笑顔を見て、涼もにやっと笑って頷く。


「ゴトゥー、もう10本行ってみよう」

 雅が元の位置に戻って、後藤にパスを出す。後藤はそれを左右上下に分けて蹴ると、今度の涼は、キャッチできなくても、手を伸ばしてボールはたき落としてゴールを許さない。


 おお…と見ていた部員たちが唸った。


 涼にとっては、バスケでは、敵のシュートを叩き落とす要領だ。片手、片足を大きく伸ばせる。涼の手の届く範囲が一気に広がった。

 結果として、後藤のシュートは3本しか決まらなかった。後藤がきーっっと歯をむいた。


「ちょっと待って、私に蹴らせて」

 キャプテンで3年生の原先輩が後藤をひょいひょいとどかして立った。


 うわ、まだ続くのかー、と涼は顔をしかめたが、口には出さず、ゴール前に立って原先輩にきちんとお辞儀をしてから、また両手を広げて構えた。


「うーわ、こんな大きなキーパー見たことないなあ」

 原先輩も涼を正面から見て驚いていた。


「大きいだけじゃない、手足が長い、ジャンプが高い、反応も良い、か。逸材じゃん」

 そう言って、原先輩はシュートを涼の真正面に思いきり強く蹴った。


 わ!


 鋭く速いボール。でも、真正面のど真ん中。ゴールというより涼に向かってボールは飛んできた。

 どんっという音がして、涼は、しっかり両腕でボールを胸に抱えるようにして受け止めた。


「度胸もいい、っと」

 原先輩は笑って言った。



「キャプテン。ハセガーをマネージャーにするの、惜しくありませんか」

 雅が原先輩に囁く。

「確かに」


「でも、大きな問題もあるんですよ」

 雅の言葉に、原先輩は首を傾げた。


「ハセガー、ちょっとボール思い切り蹴ってみて」


「え、今度は蹴るの?」



 涼は持っていたボールを下に置く。

「よいしょっと」


 長い足が勢い良く振られる。

 しかし、見事に足は宙を蹴る。


「あれえ?」


 もう一度蹴る。

 涼の爪先が、ボールの上の方を蹴って、ころころと転がった。しかも、涼はバランスを崩してよろけてしまう。

 涼は、こんな筈じゃない、というように不思議そうな顔をした。サッカー部の人たちが、プロの選手が当たり前のように動いているボールを蹴っているのに、涼は止まっているボールすらまともに蹴ることができなかった。

 見ていた部員たちから失笑がもれた。


「…多分、ハセガーは今、人生で初めてサッカーボールを蹴りました」

 たはは、と雅は苦笑いする。

 原先輩は顔を両手で覆って、天を仰いだ。




 そういえば、キーパーってゴールを守るだけじゃなかったよね……

 涼はボックスの向こうに立っている雅を見た。

 涼の視線に気づいた雅は、肩をすくめた。

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