エピローグ

 森の中の集落から工房に戻った日の夜。

 キルトは作業つなぎに背嚢を身に着けた旅人のような恰好で、列車発着所のプラットフォームで寝台列車の出発準備が終わるのを待っていた。


「アイナ。荷物重くないか」


 隣に立つアイナを気に掛けると、アイナはじっとプラットフォームの地面を見下ろしていた。

 アイナは機工人間用の小型の背嚢を背負い、キルトが小さい頃に着ていた子供用の作業帽子と作業服に身を包んでいる。

 無人の集落からアイナを連れて工房に帰ったキルトだったが、工房の中が荒らされておりアイナを捜索する軍部の仕業だと判断したのを機に、ハイデンの街から離れることに決めた。

 ハイデンを離れるにあたりキルト自身とアイナの荷物を纏めているうちに日が暮れてしまい、深夜の寝台列車しか手段がなくなってしまい今に至る。


「アイナ。面白い物でも見つけたか?」

「赤」


 そう言ってアイナは見下ろしている場所を指差す。

 キルトがそこに目を遣ると、赤いソースらしき粘着物が靴底の跡に残してプラットフォ―ムの床に付着していた。


「誰かが食べ物を落として、そこへまた誰かが踏んづけたんだ」

「触っていい?」

「ダメだ」


 赤いソースの靴跡を見つめたまま訊くアイナに厳しく言い聞かせた。

 アイナは出しかけていた手を引っ込めてキルトに振り向く。


「お兄さん、まだ?」

「出発準備が終わるまでだ。それと乗ってからもあまり騒ぐなよ、他の人の迷惑になる」

「……グエいる?」

「いない」

「早く乗りたい」

「もうちょっと辛抱だ」


 その時、キルトは視界の端で蒸気が噴き上がるのが見えた。

 蒸気の噴き上がる方向へ目を移すと、寝台車両を繋げた蒸気機関車がプラットフォームにゆっくりと入ってくるところだった。


「来たぞアイナ」

「ふえ?」


 アイナがキルトと同じ方向を見た。

 飛び出さんばかりに目を大きく見開く。


「黒」

「恐くはないのか?」


 集落で過ごしてきたアイナは機関車ほど大きい物は見たことないだろう、とキルトは思い尋ねた。

 ようやく蒸気機関車の巨大さに気が付いたのかアイナは一歩後ずさる。


「大きい、恐い」

「恐がることはない。俺が一緒にいてやるから」

「お兄さん一緒」


 キルトの同伴があるとわかり、少しだけ元気づいたように下がった一歩分だけ前に戻ってきた。


「この中にあるベッドで寝ているうちに違う街に移動してるんだ。不思議だろ」


 アイナの知識に合わせて寝台列車の説明をする。

 言葉の一つもわからないと言いたげにアイナは首を傾げた。


「ふえ?」

「わからないか。まあいい、明日になればわかる」


 キルトとアイナ以外の客が寝台列車への乗車を始めていた。

 最も近くで開いている車両のドアに足を向ける。


「行くぞアイナ」


 キルトが声で促すと、アイナの方からキルトの手を取った。


「わかった」


 アイナの手を離さようにしっかり握り返したキルトは、アイナの歩く速度に合わせて小さな歩幅で列車のドアに近づく。

 二人で手を繋いでプラットフォームとドアの境目を踏み越えて、毎日が同じじゃない世界の待つ寝台車両に乗り込んだ。

 機関車の蒸気が二人の出発の痕跡を残すように、機関車の動きに合わせてたなびいた。

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