5-4

 封筒は薄く埃を被ってはいるが、封筒の表に書かれた文字は難なく判読できた。


 アイナと親しき人へ


 誰に対して書かれてあるんだ?

 封筒の文字を読んだキルトはすぐさま疑問を抱いた。

 他の文字は無いのかと表の埃を手で払う。

 しかし表に書かれてある文字は他に見当たらない。


 開けていいのか?


 封筒の中にアイナ以外の住人の存在を示す物が入っているかもしれない。

 すまない、と心の中で一応の断りを告げてから、キルトは天使像を脇に置いて封筒の中を覗いた。

 封筒の中には一枚の写真と折り畳まれた罫紙が封入されており、是非の区別もなくそれらを取り出す。

 封筒から出して見てみると、写真は古びたセピア色でおくるみに包まれた赤ん坊を腕に抱えた笑顔の女性が被写体にされていた。

 誰だろうと思いながら写真の女性を眺めていると、ぼんやりと女性の顔にアイナの面影を感じ始め、キルトはアイナを振り向く。

 親子と言っても過言でないほど写真の女性とすごく似ている。


「何。お兄さん?」

「いや。なんでもない」


 アイナが不思議そうにしたところで、キルトは写真に目を戻した。

 この女性がアイナということはないだろうから、まさか母親か?

 自身の憶測に確信を得るため、さらなる手掛かりを求めて写真を裏返す。

 写真の裏面には何故か見覚えのある筆致で短く言葉が書かれてあった。


 同封されている紙を見よ。


 どうしてこの筆跡に見覚えがあるのだろう?

 この家には来たことないはずなのだが、写真の裏面に書かれた筆跡には何故か記憶に残っているような気がしてキルトは悩ましかった。

 もやもやとしたものが頭の中で滞留したまま、文章に誘導されるようにキルトは折り畳まれた罫紙を開いた。

 罫紙には線の上に沿って書き殴ったような文章がしたためられている。

 やはりこの筆跡は覚えている。

 記憶の奥に残された過去が既視感を訴えている。

 だが明確に誰の字であるのかは思い出せない

 しばし文字を凝視するが閃きは感じなかった。

 思い出すことを諦めて罫紙を埋め尽くす文章を読むことにする。

 

 この手紙を読んでいる者はアイナと親しくしてくれているだろう。

 しかしアイナがどういう境遇にいるのかは知らないはずだ。

 だからわしが死ぬ前にアイナの境遇を書き残しておくことにした。関わり合いになりたくなければこれ以上先は読まずに封筒の中身をもとに戻して帰ることだ。アイナの人生を背負う気があるならば読み進め。


 この後、二行ほどの空白がある。

 キルトは空白を眺めながらアイナの境遇を知るべきか考えた。

 覚悟が必要なほどに衝撃的な内容なのだろうか?

 アイナの人生を背負う、とはおそらく文字通りなのだろう。

 一人の判断で決めかねたキルトは、素知らぬ様子で後ろから眺めているアイナを振り返った。


「アイナ」

「何、お兄さん」


 やっと喋る機会が回ってきたとでも言うような上機嫌の顔でアイナは応じた。

 キルトはアイナにも伝わりそうな言葉を選んで問いかける。


「アイナはもしも俺が家族だったら嬉しいか?」

「うん」


 迷いなく頷いた。

 アイナの返事に躊躇がなかったことにキルトは安堵する。


「そう言ってくれてありがたいよ」


 照れ臭さを感じながら礼を言って手紙に視線を戻した。

 アイナは信用してくれている。俺はアイナの人生を背負うのに充分値する人間なのかもしれない。

 覚悟を決めて二行の空白から先を読む。

 

 アイナを助けてくれて感謝する。

 アイナのためにここに書かれた指示通りに動いて欲しい。

 まずはこの集落で農作業をする三十人の機工人間の電源を落としてくれ。


 キルトはソファに腰掛けるエプロンの女性の機工人間を見た。

 あの女性以外の住民も機工人間なのか。

 手紙には三十体の機工人間の居場所は書かれていないが、キルトはすぐに合点した。

 畑で農作業をしているのは全て機工人間だ。

 手紙を持ったまま建物の出入り口に向かい、アイナが遅れて追いかけてくるのも意に介さず畦道に出て一目散に手近な畑に近づいた。

 畑の中では頬かむりをした老人男性と老人女性が、寸分も違わぬ同じ動きで鍬を上下しては少し後退を繰り返して農作業に勤しんでいる。

 本物の人間は同じ動きをあそこまで一切の狂いなく繰り返すことはできないはずだ。

 キルトは確信を得ると畑に踏み入り、キルトが近づくのに気が付きもせず同じ動きを繰り返す老人の男女に歩み寄った。

 老人の男女の頬かむりを剥ぎ取り、露わになった首裏に埋め込まれた開閉器のつまみを下ろす。

 老人の男女は動きを止め、鍬を持っていた両腕が力を失くしてだらりと垂れた。



「いつも同じ、じゃない」


 畑の外側の畦道からアイナが呆けた声で漏らした。

 キルトは畦道に戻ってアイナに話しかける。


「アイナはここで待っていてくれ。俺は少しやることが出来た」

「お兄さん、何するの?」


 アイナは未知なる世界に取り残されたかのように不安そうな上目遣いで訊いた。

 彼女を安心させようとキルトは笑い掛ける。


「やることが済んだら必ず戻る。だから待っていてくれ」

「……わかった」


 納得はしていない様子だがアイナは頷いた。

 待たせて悪いな、とキルトは心の中で詫びながらアイナを通り過ぎて隣の畑に入る。

 その畑では男性一人が土を弄っている。

 キルトが電源を落としてやると力を失くし、手を土に触れたまま動きを止めた。

 すぐに他の畑に移動する。

 そこでも農作業をしている機工人間の電源を落とし、また他の畑でも同じく機工人間の動きを止める。

 キルトは指の腹が痛くなるほどに、集落全域に散らばる畑で機工人間を停止させた。

 次の指示を読むため手紙に目を移す。

 

 これで集落における農作物の生産は途絶える。

次は井戸の前で喋る中年女性三人の電源を落とせ。


 キルトは辺りを見回し、井戸を探した。


 ――おじいさんが風邪を引いたんですってぇ。


 聴覚に意識を集めると女性の機会音声がどこからか聞こえてくる。

 音声の聞こえた方角を見ると、幾つかの畑を越えた先に三人の女性の形をした機工人間が井戸のような物の前で談笑している。

 キルトは談笑する三体の機工人間へ近づいた。


 ――三軒隣のあの人よー。

 ――あらまぁ。あのおじいさん。

 ――風邪ですって、嫌ねぇ。


 話の途中であることなど気に掛けずキルトは三体の電源を落とした。

 井戸に寄りかかり、次の指示を読むために手紙に視線を遣る。


 ここから先の文章を読み、この手紙を井戸にちぎり捨てろ。


 またしても二行の空白の後に、アイナの素性についてと続く文が書かれている。

 いよいよアイナの正体がわかる、とキルトは緊張を含んだ決意をもって読み進める。


 アイナの素性について。

 約二〇〇年前までウェストオルファはウェストハーベンという王国だった。その王国時代に国を治めていたのがハーバ族という王族だ。


 ハーバ。

 キルトは軍兵がアイナの事をハーバ人だと見做し侮蔑していたのを思い出す。

 どこかで聞いたことのある言葉だったが、誰かに歴史を聞かされたのだろうか?

 そこまでの推測は立てられたが、それ以上は手掛かりが足りないと判断して文章に意識を戻した。


 国を治めていたハーバ族だが反対勢力に戦争で負けたのを境に、次第に一族の影響力は衰退し、反対勢力がウェストオルファを建国した時にはすでにハーバ族の居場所は集落一つを残すだけになった。その残った集落がここだ。


 キルトは文章に誘われるように手紙から顔を上げて集落の四方を見遣る。

 まるで世俗から隠すように森に囲まれている集落。

 森を抜けてきた風が畑の隅で干されている豆の作物を揺らした。

 鼻孔に土の匂いを感じながら手紙の文章に目を向け直す。


 ハーバ族は残された集落でひっそりと生活を営み、かつての栄華は見る影もなかったがかろうじて伝統と血筋は受け継がれていた。

 しかしウェストオルファは隣国との戦争が始まってから情勢が逼迫した。軍部は敵国へ情報を流している匪賊がいるとプロパガンダを打ち出し、軍部だけで秘密裏にハーバ族の迫害が始まった。

 そこから血筋にハーバ族の血が入っているものは収容所へ送られ、ハーバ族の血を持つものは著しく数を減らした。そして挙句の果てに軍部はこの集落を襲撃し、ハーバ族を根絶やしにした。

 

 根絶やし、か。

 目に入った物々しい言葉にキルトは衝撃を感じずにいられない。

 思わず幾つかの畑の向こう側の畦道に立つアイナへ視線が動く。

 アイナは畦道に大人しく立ったままキルトの事を眺めている。

 更なる衝撃に備えて深呼吸してから手紙の続きを読む。


 軍部がハーバ族を根絶やしにしたと認定した。だが襲撃の際に軍部は王族の直系家族が住む家で一人の乳児が奥の部屋で眠っていることを知らなかった。その乳児がアイナだ。

 アイナだけが生き残り、王家のそしてハーバ族の血筋を持つ最後の一人となった。この手紙を書いているわしを除いて。

 だが、わしはもうじき死に絶える。今ここに書き残しているのは遺書だ。


 遺書か。

 キルトの中で手紙への見る目が変わった。

 アイナの人生を背負ってくれる者が現れるのを待ち望み、この遺書を読んだ者に最後の希望を託したのだろう。

 キルトは重任を引き受けてしまったことを改めて実感し、ただの紙であるはずの手元の罫紙がずっしり重たくなった感覚になる、


 わしはアイナを生き長らえさせるために集落に寿命が尽きる限りの機工人間を配置した。アイナがいつ集落に住む全ての住民が機工人間で本物の人間でないと気付くかはわからない。しかし人間の温もりを与えられないで過ごすのは孤独と変わりない。このいつも同じ日を繰り返す集落で生活させるには限界がある。

 アイナは人間の温もりを知らないまま成長していくだろう。どうかアイナに人間の温もりを与えて欲しい、どうかアイナを孤独から連れ出してあげて欲しい。

 どうかアイナを助けてあげて欲しい。  マクダ・ゾーイより。


 遺書の最後に書き残された名前を見た瞬間、キルトの心臓は跳ねあがった。

 マクダ・ゾーイ。

 機工人間の黎明期から戦争が始まる直後まで『機工人間の父』として名を馳せた天才技師。そしてキルトの右腕を回復させ修理技術を教え授けた養父でもある。

 養父の名前を見たキルトの脳裏で養父との記憶が噴き出すように蘇った。

 どうして字を見て気が付かなかったんだ。

 遺書の筆跡はキルトが養父と居る頃に飽きるほどに目にしてきたものと同じだ。

 養父の事を今まで思い出せなかったことに歯噛みしながら、脳裏で養父との記憶が流れるに任せる。

 ふと脳裏で流れる記憶の中の一つだけに新しさを感じて、その記憶だけに意識を傾けた。

 作業服を脱ぐ養父の右腰に見えた天使の入れ墨。


 アイナと同じ入れ墨だ。

 親父はハーバ族だった。


 ハーバ族の血を持つ親父が王族直系の生き残りであるアイナのために身命を尽くした。

 親父がキルトの下から居なくなったのは七年前の某日、この集落が襲撃されたのもおそらくは七年前の某日だろう。

 キルトの脳内で全ての事柄が繋がった。

 親父は好きで失踪したわけではなかったんだ。

 何も告げず姿を消した養父に、当時のキルトが捨てられたと思ったのは無理からぬことであり、失踪した養父を少しばかり恨んでいた。

 だが遺書を読んで養父の失踪に納得できた。

 恨んでいたことを謝りたい気さえ起ってくる。


 親父ごめん。


 心の中で養父に向かって謝る。

 アイナの事は俺が助ける、任せてくれ。

 養父の遺志を叶えるためキルトは遺書を破り割いた。小さな紙切れになった遺書を井戸へ放り捨てる。

 紙吹雪のように井戸の底へと落ちていく遺書。キルトの目は畦道に立つアイナへ向けられた。

 アイナは相変わらず殊勝な様子で立ったままキルトを待っている。

 キルトの足がアイナへ進み出す。

風に乗った土の匂いを浴びながら動きを止めた機工人間が佇む畑の幾つかを横断して、アイナの待つ畦道まで戻った。

 傍まで歩き着くと、アイナは安心したように顔を綻ばせる。


「お兄さん戻ってきた」

「必ず戻ると言ったからな。俺のやることは終わった、アイナの方は何かやりたいことはないか?」

「やりたいこと?」


 突然の問いかけにアイナはすぐに答えらず首を傾げる。


「ああ、やりたいことだ。なんでもいいぞ」

「なんでも。なんでも?」

「遊びたいのなら付き合ってやるし、家に居たいのならそれでもいい。今日からはいつもと同じではないんだ。アイナがやりたいことを言ってみろ」

「やりたいこと……」


 アイナは地面に視線を下ろして真剣に考えだした。

 急かさず、促さず、ただただキルトはアイナの返答を待つ。

 まばたき三回ほど経ってからアイナの視線が地面からキルトに向いた。

 アイナの瞳には心底楽しげな色が浮かんでいる。


「水で遊びたい」

「そうか」

「グエ捕まえたい」

「そうか」

「木の穴見たい」

「そうか」

「赤、青、緑、取りたい」

「そうか」

「ビスケット食べたい」

「そうか」

「それから、それから、お兄さん面白い」

「そうか」


 相槌を打ってからキルトは苦笑した。


「俺は面白くないと言ってるだろ」

「いつも同じじゃない、お兄さん面白い」


 心から愉快そうにアイナは笑う。

 アイナの笑顔を見ながらこれからは孤独じゃないぞ、とキルトは胸の内で囁きかけた。

 いつも同じじゃない日々をアイナに与えたい。


「アイナのやりたいことはわかった。だが一度に全部は出来ないからな、何からやりたい?」

「ビスケット」

「食欲が先か。まあいい」


 アイナに微笑みかけて、そっとアイナの手を取った。


「ビスケットなら俺のところに戻らないといけないな」

「ビスケット、お兄さんのところ」


 そう言うとアイナは満面に笑顔を咲かせた。

 キルトはアイナの手を引いて畦道を森の方向へ歩き出す。


「グエ捕まえたい」

「あんまり長い時間はダメだぞ。日が暮れる前には帰る」

「お兄さん、グエ好き?」

「好きじゃない」

「アイナ好き」

「それはよかったな。グエも喜ぶぞ」

「グエもビスケット」

「食べるのか?」

「グエ、グエ」

「聞いてないな?」

「お兄さんもグエと一緒になる」

「どういう意味かさっぱり分からん」


 絵本を読む声も、土を耕す音も、井戸端会議の声も、風以外の音が無くなった集落に別れを告げた二人のいつも同じではない会話は森の中へと吸い込まれるように消えていった。

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