5-3

 まだら模様を作る木漏れ日が西から射し込むようになった頃、アイナが進むに任せて歩いてきたキルトは木漏れ日の途切れた森の出口らしい場所まで来た。


「アイナ。この先には集落でもあるのか?」


 前を歩くアイナに問いかけるも、アイナは答えないまま木漏れ日の途切れる向こう側まで出ていってしまった。

 キルトは帰りに道に迷わなくていいよう四方の風景を一回り見てからアイナの後に続いて木漏れ日から出る。

 木漏れ日が途切れると瞬く間に視界が拓けて、。キルトの身は長閑な空気に呑み込まれた。

 拓けた視界の先には穏やかな陽光の下でいくつもの畑と畦道が無規則に広がる田舎の風景があった。

 畦道に添った位置に土壁の平屋住居がまばらに建っており、見える範囲に人は少ないが所々の畑で農作業をしている人が散見される。


 こんなところに集落があったのか。


 自身の無知を感じながらキルトは驚嘆した。

 何度も森を訪れていたが、アイナに案内されるまで集落を実際に見たことはなかった。せいぜいアイナの口ぶりから人の住む地域が近辺にあることを想定していたぐらいだ。

 当惑しているキルトに気が付いたのか、集落へ入ろうとしていたアイナがキルトのもとまで戻ってくる。


「お兄さん」

「アイナ。この集落に家があるのか?」

「しゅうらく?」


 集落という言葉が分からない様子でアイナは首を傾げた。

 キルトは何と答えたものかと思案する。


「集落っていうのは、そうだな。人が集まって生活しているところ、みたいな解釈でいいんじゃないかな」


 結局、キルトは明解な説明が見つからず自信なく答えた。

 それでもアイナは納得したように小さく頷く。


「しゅうらく。しゅうらく」

「アイナの家はこの近くにあるのか?」


 軽易な言葉を選んで問いかける。

 違う、と言いたげにアイナは首を大きく横に振った。

 畦道の伸びた先にある他よりひと際目立つ白壁の建物を指差す。


「あの白いのがアイナの家か?」


 キルトが質問してから白壁の家までの距離を目測しようと目を凝らすと、アイナが畦道に踏み入って歩き出した。

 アイナと距離が空き過ぎないようキルトは建物に意識を向けたまま後を追う。


「アイナ。あの家までどれぐらいの時間が掛かる?」

「知らない」


 本当に知らない口ぶりで答えた。


「そうか。知らないのか」


 落胆しながらも、わざわざ時間を測ることはしてないはずだろうなと納得して、キルトはアイナから情報を引き出すことを諦めてひたすらアイナの後を着いていくことにした。

 畦道の左右に配された畑地では、農民服を着た大人の男性や女性が鋤を用いて畑を耕し、豆らしき食物の収穫作業に精を出している。

 見える範囲の畑地に隈なく目を遣ると、畑地に出ている人は皆がそっくりな動きで作業をしていることにキルトは気が付いた。


 まるで同じ動きしか出来ないみたいな……。


 キルトは集落の農民達に気味の悪い秩序性を感じて、畑地から前を歩くアイナへ視線を戻す。

 アイナは周囲を見るのを避けるように俯いて歩いていた。


「俺はどこまで着いていけばいい?」


 キルトが話しかけると、俯けていた顔をキルトへ振り向ける。


「……お兄さんは違う?」

「違うって何がだ?」


 問い返すと、困ったように眉尻を下げた。

 答えにくい質問だったか、とキルトは思い直して問いを変える。


「俺はアイナを家まで送り届けようと思っているが、アイナは俺に家まで着いてきて欲しいのか。それとも家に着く前に別れて欲しいか?」

「ふえ?」


 眉尻の位置は元に戻ったが、今度は理解できない顔つきになった。

 質問が長すぎたか?


「アイナはどこまで俺に着いていて欲しい?」

「……家まで」

「わかった。そこまで着いていこう」


 請け合う心持でキルトは頷いて見せた。

 アイナが笑顔を浮かべると、俯けていた顔を真っすぐにして歩き出す。


「お兄さん、面白い」

「何回も言っているが面白くなんかないぞ」


 キルトは辟易したように言い返しながらも、アイナの機嫌の戻り自然と表情が綻んだ。

 誰かに話しかけられることもないまま畦道を進んでいくと、アイナが指差していた白壁の建物の表口前まで来た。

 キルトの見る限り周りの家とは違って前庭があり、あえて敷地が広く取られているような印象を与えてくる、他と比べて豪奢な造りの家だった。

 アイナはこの集落では裕福な部類の家で育ったのか。

 認識を改めてアイナに目を向けると、アイナの方もキルトをじっと見つめていた。


「入らないのか。家に着いたぞ?」


 声を掛けると、アイナは無言でキルトの左手を掴んだ。

 不意な行動にキルトはたじろぐ。


「どうしたんだ?」

「お兄さんの方がいい」


 何を言い出すかと思えば、俺の方が良いだと?

 たとえ家庭にいるのが詰まらないのだとしても、家族よりも俺を優先してはアイナの家族に失礼だろう。

 キルトは自分の考えを正しいと感じ、アイナに言葉を返す。


「家の中までは着いていってやるから手を離してくれ」

「……わかった」


 言葉を聞き、アイナは素直に手を離した。


「わかったなら、先に中に入って家族に俺がいることを知らせてこい」


 アイナは頷き、ドアを開けて建物に入っていった。

 半ばほど開いたドアの隙間から建物の中が見え、キルトは何の気なしに内装を覗いた。

 ドアを入ってすぐにリビングがあり、リビングの中央に木で出来たダイニングのテーブルが設えてあり、食事の途中であるかのようにスープ用の皿が一つ寂しげに置かれている。

 アイナがリビングの中央で歩みを止めてキルトを振り向いた。

 キルトからは陰になっているリビングの一角を指差している。


「家族に伝えたか?」

「ここ、いる」

「今そっちに行くから待ってもらってくれ」


 キルトはアイナに言うと、お邪魔しますと告げてから建物の中に踏み入った。

 アイナのもとまで歩み寄ると指さす方向に目を遣る。

 指差す方向には土色のソファがあり、ソファにアイナと同じ髪色をしたカーディガンの上にエプロンを着けた女性が腰掛けていた。


「アイナのお母さんか?」


 アイナを振り向いて尋ねるも、アイナは泣きそうな目をして首を横に振った。

 何故、そんな悲しい目をする?

 キルトはアイナの感情が全く読めず、理由を求めてソファの女性に視線を戻した。

 ソファに腰掛けるエプロンの女性は膝の上に載せた絵本に視線を落として、絵本の内容らしき文章を読み上げている。

 何気ない光景だ。

 だがキルトが十秒以上も見つめ続けているのに、エプロンの女性は絵本から視線を外さず絵本を朗読している。

 誰に向けて読んでいるんだ?


「おしまいって言う」


 キルトが疑問を抱いたその瞬間、アイナが呟いた。

 何事かとアイナを振り向くと、紙が軋むような絵本の閉じられる音が聞こえた。

 キルトはエプロンの女性に目を戻す。


「おしまい」


 エプロンの女性が子どもに向ける温かい表情で、膝の横に誰かが座っているようにそちらへ笑い掛けた。

 そこには誰もいないぞ?


「いつも一緒」


 キルトがエプロンの女性の動きに当惑していると、アイナが不意に声を発した。

 日頃と立場が逆転したようにキルトはアイナに説明を求める視線を送る。


「いつもと一緒。お兄さん」

「それは何度も聞いた。どういうことなんだ?」

「……つまんない」


 答える代わりにアイナは不満そうな声を漏らした。


「他に人はいないのか?」


 アイナでは状況を説明できないだろうと判断し、キルトは他の家族の有無を訊く。

 いない、とだけアイナは答えた。


「そうか。いないなら仕方ない」


 キルトは諦め、エプロンの女性に目を戻す。


「アイナのお母さんですか?」


 真っすぐ顔を見据えた。

 だが、エプロンの女性は誰もいない膝の横に笑顔を向けている。


 ――さあ、そろそろお夕飯の準備をしましょう。


 割れた機会音声がエプロンの女性から流れた。

 キルトは心臓を鷲掴みされたように愕然とする。


「……まさか」


 ソファを迂回し、エプロンの女性の背後に回り、女性の後ろ髪を無遠慮に捲った。

 女性の首筋をつぶさに見ると、人間の皮膚と同じ色合いをした首裏に機工人間のものと同じ電源の開閉器が埋め込まれていた。


「……なるほど」


 開閉器を目にしたキルトは難解な問題を解いたような気分で声を漏らした。

 エプロンの女性の行動が不可解だった理由が分かり腑に落ちる。

 機工人間は命令髄に刻まれた命令文しか実行できない。おそらくこのエプロンの女性には横に座っている人に絵本を読み聞かせる命令文が施されているのだろう。

 そこまで推測を立てたキルトの脳裏に、ふとこの家まで辿り着く間に見た農作業をする人々の姿が蘇った。


 皆が同じ動きしていた。あれらももしかして?


 自分の想定が正しければ末恐ろしい事実が成立してしまうことに気が付き、キルトは急に寒気を感じた。


――今日のお夕飯は……。


 エプロンの女性が音声を発してすぐ、キルトはすまないと断りを入れてから開閉器を降ろし電源を落とした。

 急に電源が落とされてエプロンの女性は力が抜けたように前屈みになる。


「お兄さん。何したの?」


 アイナがエプロンの女性とキルトを交互に見ながら訊いた。

 ソファを回って戻りながら答える。


「電源を落としただけだ。それより、この家には他の人はいないと言ったな?」

「うん」


 それがどうかしたの、という顔をして頷いた。

 アイナの言葉を信じたかったが、末恐ろしい事実を認めてしまうことにもなり、キルトは恐怖を感じてリビング内をつぶさに見回した。


 他の人が住んでいる痕跡がないか?


 すると部屋の端のリビングボードがキルトの視界に入った。

 そしてリビングボードの卓上にある物を目にした瞬間、キルトは我が目を疑った。

 アイナの腰に彫られていた刺青と同じ形をした真鍮製の天使の置物がリビングボードの上に飾ってあった。

 引き寄せられるようにキルトはリビングボードに近づき、真鍮の天使像を手に取った。

 その時にキルトは天使像の下に一枚の紙封筒が敷かれていることに気付き、天使像から封筒に視線を移す。

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