3-2
二日後の夕方。キルトの工房に再びヨーカが訪ねてきた。
訪問者の存在にキルトは気が付き、粗筵に胡坐をかき木片の角を細い棒やすりで研磨する手を止めてヨーカへ振り向く。
ヨーカは藍色の地味なブラウスワンピースに茶色のコルセットベルトを巻いた格好で、パンの先端が飛び出た紙袋を片腕に抱えている。
「こんにちは」
「修理の進捗を見に来たのか?」
「そうなの。順調かしら?」
「予定では五日後と言ったはずだ。それまでは気長に待ってくれ」
「待つわよ。けど、やっぱり修理が進んでるのかどうかは気になるの」
「こっちも仕事でやってる。サボったりはしない」
「その言葉を信用するわ」
ヨーカは言って表情筋を緩めるように微笑んだ。
話は終わりと見たキルトはヨーカから視線を切って手元の作業に戻る。
「今日も来てるのね」
キルトは声を出したヨーカへ視線を上げる。
ヨーカの目は作業机の椅子に腰掛けるアイナに向かっていた。
アイナは机の上で木の板を太い棒やすりで削っている。
ヨーカが後ろからアイナへ近づく。
「何してるの?」
「アイナは板を研磨してるんだ」
「あなたには聞いてない」
代わりにキルトが答えるとヨーカはきつい視線を返してきた。
キルトは口を噤み、手元の木片に意識を戻す。
ヨーカはアイナの隣に立って作業を覗き込む。
「何してるの?」
「ふえ?」
ヨーカが隣に立っていることに気付いていなかったのか、アイナは遅れた反応でヨーカの方を見上げた。
こんにちは、と愛想のいい笑顔でヨーカは挨拶する。
「それは何をしてるの?」
「お兄さんが削っておいてくれって言った」
「へえ、そうなの」
アイナがしているのは木の板の凸凹を棒やすりで平らへ近づける作業だ。
ヨーカの視線がキルトに移る。
「大丈夫なの。作業させて?」
「板を荒く削るだけの簡単な仕事だ。のちの工程で結局は俺が細かく研磨するから心配いらない」
「怪我とかしないかしら?」
「手袋を着けてる」
短い返答を聞いてヨーカがアイナの手に目を向けた。
アイナの両手を厚い布製の作業手袋が覆っている。
「なんだかんだ。配慮してるのね」
「怪我をされると俺が仕事を中断しないといけなくなるからな。手当てに長い時間使ってやれるほど暇じゃない」
「手当てすること前提なのね」
「は、どういうことだ?」
「別に」
キルトの問いかけはいなしてヨーカはアイナに向き直る。
「アイナちゃん」
「ふえ。お姉さん」
親しげに話しかけられたアイナは戸惑いの顔になった。
ヨーカが紙袋のパンを手に掴む。
「よかったら、パン食べる?」
「食べる?」
尋ねられたアイナは首を傾げ、助けを求めるようにキルトを見た。
キルトは仕方ないという顔つきで口を開く。
「それは食べ物だ」
「食べもの」
アイナは呟き、ヨーカの顔に視線を移した。
興味を示したらしいアイナの反応を見てにっこりとヨーカは微笑する。
「食べたい?」
「食べる」
「じゃあ、どうぞ」
ヨーカの手からパンが差し出される。
アイナは棒やすりと布手袋を板の上に置いてからパンを受け取った。
面白いものを見つけた目でパンを眺める。
「ビスケットより大きい」
「ビスケット?」
ヨーカがキルトに視線を遣る。
「ビスケットあげたのは俺だよ。アイナの事でいちいち俺を見ないでくれ」
「もっとお腹膨れるものにすればいいのに」
「保存が効くからビスケットしか買わないんだ。というか、そもそも修理の進捗に見に来たんだろ。修理が進まないから無駄な話は控えてくれと言ったはずだ」
「修理の進捗も気になるけど、労いもかねて余り物のパンを持ってきたのに」
「そういう心遣いはありがたいが、こっちは仕事としてやってるんだ。気に掛けるのは機巧人間の状態だけでいいと思うぞ」
「いいわ、別に。私の方もパンは仕事の余り物だから、わざわざ買ってきたわけじゃないの」
「仕事の余り物。そんな仕事があるのか?」
パンが余る仕事とはなんだ、とキルトは疑問を持った。
「私、給食会社で配膳係として働いてるの。だから時々食材や食料に余りが出るの」
「給食会社ってことは学校とか軍基地の給食を扱ってるのか?」
懸念を含んだ声色でキルトが訊く。
「そうね。私が担当してるのはハイデンの軍支部所なの」
「大丈夫なのか?」
「え、何が?」
キルトの問いにヨーカが意味を理解できていない顔つきで訊き返す。
訊き方が悪かった、とキルトは言葉を挟んで問い直す。
「仕事とはいえ軍支部所に出入りして大丈夫なのか。ムネヒサの事が軍に知られる恐
れがあるだろ?」
「ムネヒサの事はあなたにしか話してないから、バレやしないわよ」
あなたが漏らさなければ、というニュアンスが暗に籠っているように思えた。
つとにキルトは引き受けた依頼の危険さを痛感する。
「ほんとに修理するのが俺でよかったのか?」
「他の修理屋はどこも軍と繋がってるもの。大事なムネヒサを任せられない」
「任せられた以上は修理を全うするが、常に軍の手に渡る危険性があることは覚えておいてくれ。誰にも話していなくても嗅ぎつける可能性はあり得る」
「……脅すようなこと言わないで」
キルトの憂慮を催す話しぶりに、ヨーカが悲しげに目を伏せて片方の腕を抱くように肩をすぼめた。
悪い、とキルトはすぐさま謝る。
「これぐらいのことわざわざ言う必要もなかったな。これからは不吉なことは言わないようにする」
「ええ、お願い」
ヨーカの口から弱気な声が漏れた。
しんみりとした空気に耐え切れなくなったのかヨーカは会釈だけをして工房を去っていった。
キルトにもヨーカが最悪なケースに怯えているのがわかり、彼女から借り受けているムネヒサに生きた人間のような存在の重みを感じた。
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