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 キルトはハイデン市街に入ると、依頼書に書いてあった所在地を頼りに依頼主のいる場所へ向かった。

 ハイデンはウェストオルファ国内では地方都市に分類され、街の外れの小高い山には国内に五か所しかない軍支部の一つが置かれるなど山奥の田舎と中央都市を繋ぐ要衝の一つとして栄えている。

 地方に根差した老舗と中央から流入して来た大手企業の支店などが混在し、表通りは連なる商店と往来する買い物客で活況を呈している。


 そんな賑やかな表通りから少し外れたマンション街区の途中にキルトの目指す依頼主の住むマンションはあった。

 依頼書に記載された所在地と周囲の景色を確かめると、キルトは二段だけの階段を上がった先にある樫のドアを手の甲で三回叩いた。

 ノックしてしばしするとドアが内側から開き、今まで寝ていたのかだらしなく目尻が下がった酒太りをした無精ひげの男性がドアの隙間から這い出るように姿を現した。

 目の前でキルトが頭を下げると、眉間を寄せて懸命に記憶を辿り始める。

 深呼吸できるぐらいの間を置いて、無精ひげはキルトが作業つなぎを着ていることに気が付いてようやく思い出した。


「そうか。あんた修理屋さんか」

「修理を依頼された機工人間を返しに来た。アングレイ・ヨードルで間違いないか?」

「依頼者かどうかぐらい見りゃわかるだろ?」

「まあ、そうだが、本人確認は形式みたいなものだ。本人に間違いないならこの紙にサインをしてくれ」


 そう告げてキルトは依頼書を出して、右隅のサイン用の波線を指差した。

 無精ひげは仕方ないという態度でサインを書き、依頼書をキルトへ突き返す。


「これでいいか?」

「ああ。問題ない」


 サインを確認して依頼書を折りたたんだ。

 無精ひげが玄関の階段下に停められた荷車へ顎を突き出す。


「早くブツをくれ。店の開業まで時間ねぇんだ」


 さっきまで寝ていたんじゃないのか、という揚げ足を取るようなことは言わずにキルトは二段だけの階段を降りて荷車に近づいた。

荷台に載せていたウエイター風の機工人間の縄を解き、直立姿勢で地面に立たせる。


「依頼した機工人間はこれで合ってるな?」

「そうだ」

「ならば、修理代金を……」

「その前に動きを見させろ。ちゃんと修理されたか見た目じゃわかんねえからな」

「いいだろう」


 時間がないと言ったはずでは、と疑問に思いながらもキルトは訊き返すことなく無精ひげの前で機工人間の電源を入れた。

 ウエイター風の機工人間が命令を開始し、キルトを客と認めると左腕を広げて席の方向を案内する。

 故障前と寸分狂いない動作に無精ひげは難癖つける箇所を見つけられず舌打ちした。


「それでは修理代金を」

「いくらだ?」


 キルトは右手の指を三本立てた。


「三エンスで」


 無精ひげは憎々しげにキルトの三本立った指を睨んでから、またの舌打ちをしてドアを隔てた奥へ引っ込んでいった。

 すぐに戻ってくると扇子のような形で持った三枚の紙幣をキルトへ突き出す。


「これでいいか」

「ああ、たしかに」


 キルトは無精ひげから紙幣を受け取ると、一応の会釈をしてから軽くなった荷車を引いて路地を立ち去った。

 表通りに戻ると荷台の隅に『機工人間修理屋』という小さな幟を縄で括りつけてから、物資の買い出しのために歩き出す。

 日頃から工房に籠って修理作業に精を出しているキルトにとって、配達のついでに食料や修理用の部品を買出しするのが習慣だった。

 幟だけの無言の宣伝を行いながら表通りを進むキルトは食料品店の前で足を止めた。

 出入り口から邪魔にならないところに荷車を置き、先ほど貰った三枚の紙幣だけを持って入店する。

 店の中に入るとすぐ突き当りにカウンターがあり、カウンター越しには頭に赤いリボンを着けた少女型の機工人間が両腕に籐の網籠を持って立っていた。

 リボンの少女型はキルトを認識すると命令を実行する。


『お客様。ご注文は?』


 音声を発した直後に小首を傾げ、十秒間の録音が開始される。

 十秒の間に客は欲しい品と個数を告げるのが注文の仕方だ。


「ビスケット三箱」


 キルトが短く注文すると、録音が終了しリボンを付けた少女型は身を翻してカウンターの奥へ引っ込んでいった。

 奥にいるであろう店主がリボンを付けた少女型の録音を聞いたのか、ビスケットビスケットと呟く声が微かにキルトの耳にまで届いてくる。

 リボンを付けた少女型がキルトの前に戻ってきて網籠を差し出した。


『どうぞ』


 キルトは網籠を覗き、三段に重ねられたビスケットの紙箱を手に取った。

 一段目の箱に店主が手書きで合計の金額を書いた付箋が貼りつけてある。

 紙幣一枚を網籠に入れるとリボンを付けた少女型が店主の方へ引き返す。

 やや間があってからキルトの前へ戻ってきた。


『おつりです』

「どうも」


 礼を言ってから網籠から余りの金額を手に掴んだ。

 依頼で受け取った紙幣よりも幅が小さく価値の低い紙幣が七枚返ってきた。

 支払金額は以前と変わっていないが、キルトはビスケットを持つ手に何故か違和感を覚えた。

店を出て荷車を置いたところへ戻ってからビスケットの紙箱一つを開けてみる。

 ビスケット一個の大きさが前回買ったときよりも縮小化した。

 戦争により物資が市井に出回る量が減少したことが原因のインフレが及ぼす微妙な変化に、キルトの眉が不服げに一瞬だけ顰められた。



 食料の買い出しと得意先の専門店で機工人間の部品をいくつか購入したキルトは、夕闇がせまってきた頃に重くなった荷車を引いて工房に帰ってきた。

 荷車を樽の裏に停めて荷物を降ろすと、荷物を工房へ運び入れた。全て運び入れた時にはもう辺りは暗くなり作業台のテーブルランプをすぐに灯した。

 この日は依頼が入らなかったが以前に受けた依頼がまだ何件か残っており、キルトは壁から吊るした木板に近づき一番手前の依頼書を読む。


 依頼内容は胴体の塗り直し、だった。


 機工人間の塗装には色ごとの染料が必須となり、一部だけなら少量で済むがボディ全体を塗り直すには多くの染料を用意しなければならない。加えて安価な塗料ではすぐに剥がれてしまい後に依頼者から難癖をつけられることもある。

 そのためキルトは機工人間に適した良質な天然の塗料を自作しているのだが、原料は自分で調達せねばならずそれだけに時間を要してしまう。

 面倒な案件だな、と思いながらもキルトは粗筵の上に寝かせた依頼の機構人間の塗装状態を薄暗い中で確認する。

 口周り、肩から指先までの関節部分、膝裏などの動きの多い部分は特に塗装の剥がれが著しかった。

 製作者が劣化品の塗料を使ったのだとキルトは想定し、同じ機工人間を扱う者として少し苛立ちを感じた。

 塗り直しに必要な塗料の使用量を概算した時、工房の隣の部屋に置いてある女中の機工人間の電源が自動的に落ちるのを耳で聞いた。

 キルトは頭の中で明日の予定は染料の調達と書き込むと、テーブルランプを消してから隣の部屋に移動して窓の下の藁布団で床に就いた。

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