一行で分かる名著
今回は齋藤孝氏の『一行で分かる名著』です。かなり攻めたタイトルです。NHKの番組では名著を百分でコンパクトにまとめますが、それの上をいくというのは至難の業です。
一つ注意点があります。「はじめに」で著者が書いていますが「一行でも分かる」ではなくて「一行だから分かる」です。「一行を核にして、理解を雪だるまのようにふくらませ、自分の血肉として吸収する」それが目的の本です。なので、本書をきっかけに紹介された本を読む、というのがベストでしょう。
本書は紹介される書籍の一文とともに、ニページほどで簡潔に著者なりの見解が述べられています。そのため、紹介された本を必ず読まなくても、核となる一文から得られるものが多くためになります。
また、「はじめに」ではこう書かれています。「いまは読書をする人にとってはチャンスである。読書をする人が減っていて、薄っぺらい言葉が増えた今、読書をすることによって知識や思考力、自分の中心となる信念を得て生きる信念を得て生きる力を育み、自分らしい人生を歩むことができるからです」と。
確かに最近は人と会話していると、人間的な深みを感じません。これはどの世代でも同じです。性格がいい人でも知識が皆無とは言いませんが、なんか違う、と感じます。
本書の中で私が気に入った箇所を一つ引用します。
「<一望監視方式>は、権力を自動的なものにし、権力を没個人化する」
フーコーの『監獄の誕生―監視と処罰―』の一文です。「一望監視方式」とは哲学者であるベンサムが提案したパノプティコンという刑務所の監視方式です。刑務所は円形をしており、円の中心に監視塔があります。獄舎は中心から円形に向かって車輪の支柱ように配置されています。監視塔を暗くし、獄舎を明るくすることで、囚人たちに常に監視されているという意識を持たせるのが目的です。囚人は監視を気にするあまり自分で自分を監視するのです。
これは現代社会にも通じます。そこら中に監視カメラがあり、いやがおうにも意識せざるを得ません。その結果どうなるか。先に述べたように自分で自分を監視するのです。そして、生活に息苦しさを与えるのです。随分前の監視方式が現代社会ににも通用する、これは恐ろしいことです。今後、科学が発展するにつれて、この傾向はより顕著になるのではないでしょうか。
ここまで書いた内容は『一行で分かる名著』の感想というよりは「一望監視方式」についての感想が多くなってしまいました。本書は他の箇所もすばらしい、ということは補足しておきます。
今回はこの辺で。
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