二十九話 試着室

 七海ななみは俺とワンピースを交互に見つめる。


「着てみないの?」


 純粋なその疑問。

 いいのがあったのだということなら、確かに着てみるのが普通だろう。しかし、俺はこれを買うことはできない。それならば着るだけ迷惑というものだろう。

 だから、俺はもとあった場所にワンピースを戻すことにし、彼女にこう答えることにした。


「手持ちがちょっと心もとなくて、買えそうにないから」


 だから着ない。

 そう決めたのだ。今ここで無理する必要はない。

 ただもし、次ここに来ることがあるのであれば、そのとき同じものがあれば買おうと思う。


「そっか。それはなんというか……」


「別にいいの。あんまりこういうところに来たことはないからいい経験になったよ」


「それならよかった」


七海ななみはなにかいいのあったの?」


「それが特にって感じなんだよね。私たちにはまだ早かったのかも」


「そうかもね」


 そう言いながら、どちらからともなく笑みがこぼれる。

 特に面白いことがあったわけではない。でも、なにかがおかしくて、二人して笑いあってしまった。


「なにもおかしなことなんてなかったのに、おかしいね」


「うん」


「あ、さっき流羽るるちゃんが見てたワンピース、もう一回見せてもらってもいい?」


「え、あー、うん」


 七海ななみからそう言われ、俺はさっきワンピースを戻した場所を確認する。

 相変わらずそれはそこにある。

 そりゃそうだ。数分程度しか過ぎてないのだから。

 一度、七海ななみの方を確認し、ある程度の背丈を推定する。七海ななみはどうしたの? という視線を向けていた。

 俺とはそこまで変わらないか、少し小さいくらいだったことから、同じサイズのワンピースを手に取る。


「えっと、はい」


「ありがとう」


 そう言って嬉しそうに彼女は受け取り、思った通り最初にサイズを確認する。

 俺はしてやったりというドヤ顔で彼女の反応を待っていた。


「よくわかったね。もしかして私のこと好きだったり?」


「嫌いじゃないけど、好きでもないよ。それに、ここで好きというのも違うでしょ」


「それはそうだけど、なんでわかったの?」


「制服」


「あっ」


 一番の理由はそこだった。

 今も俺が着ているのは、普段の七海ななみが学校に行くときに着てる制服だ。それが違和感なく入る俺に嫌気が差すが、それはつまり俺と彼女の服は同じサイズだということ。

 一目見たのは確認のために過ぎなかったが、そこで確信に変わった。


「ワンピース、試着するのかなって思ったから」


「そこまでわかっちゃうものなんだ。やっぱり、私のこと好きでしょ?」


「こんなのは誰でもわかることだよ。それに──」


 そこで一度、唾を飲み込んで、深呼吸してからこう言う。


「私よりも七海ななみのがそうでしょ」


「好きだし、愛してるよ」


 一瞬、沈黙が場を支配した気がした。

 けど、そんなことがあるわけがない。ここにいるのは二人だけじゃない、公共の施設で、雑音が絶えず場を支配している。

 けど、七海ななみの放ったその一言はそれだけ予想外で、強烈だった。


「……ここ、公共の場なんだけど」


「そうだね」


「女の子同士で、変な風に見られたらどうするの。同じ学校の生徒がいるかも」


「私は構わないよ」


「こっちが構うの」


「それに、仕掛けてきたのは流羽るるちゃんの方だったと思うけど?」


 それに対してはぐうの音も出ない。

 ちょっとしたからかい、いたずらのつもりが、思わぬ切り返しに合っただけ。

 衣料品店の中が暑く感じる。


「試着するんだったよね?」


 俺のその言葉に、ただニマニマするだけで、無言の七海ななみ。面白がっているのが見て取れる。


「試着、しないの?」


「しますよ。しますとも」


「それじゃ、早く試着室へ」


 そう言って、俺は彼女の背中を押す。幸い、すぐに店員がやって来て案内をしだす。

 そこで、余裕が生まれたところで、俺は皐月さつきを探す。少し放置してしまっていたことに、今更ながらに気づいたためだ。

 しかし、店内に皐月さつきの姿はない。

 七海ななみについていく必要はないと思い離れようとすると、彼女に手をつかまれる。


「一緒に来て」


「うーん」


「だめ?」


「だめ、じゃない」


 結局、七海ななみからのお願いを断ることができず、試着室の前までついていくことに。

 ただ、皐月さつきの姿が見えないのは少し不安だったため、軽く連絡をしておくことにした。


「それじゃ、ちょっと待っててね」


 そう言うと、七海ななみは試着室に消えていく。

 手持ち無沙汰になった俺は、なんとなくスマホの画面に視線を落としていると、聞きなじみのある声とともに名前を呼ばれる。


流羽るる


 見るまでもなく、声だけでその人物が誰なのかなんてわかった。

 けど、俺は顔を上げ、声のした方を見る。

 そこには、試着室で着替えたであろう、赤を基調とした可愛らしいミニスカートに、胸元に大きなリボンの付いた夏らしい半袖のシャツに身を包んだ皐月さつきがいた。

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