二十話 初めてだったけど、これはノーカンだよね?

「えっ、ちょっ、なにするの!?」


 なにが起きたのか理解して、その上で理解できなくて、彼女は取り乱したような声を出す。

 まあ実際、取り乱しているんだろうけど。


「別に、頬にキスしただけだよ」


「頬に、キス!?」


 今にもばたんきゅーと逝きそうな彼女の様子に、冷静を装いつつも、してやったりと心の中で思う。こればっかりは確信犯だったから。

 ふと思ったのだ。このタイミングだったらいけるなと。

 そして、皐月さつきがどういう反応をするのか気になってしまった。それだけのことだった。


「る、流羽るるが、頬にキス……!」


「ごめん、そんなに嫌だった?」


「やばいわ。控えめに言って最高よ。もう、今日は風呂入らないことにしようかしら」


「汚いよ! 風呂には入りなよ」


流羽るるがそういうなら」


 仕方ない折れますよー、とでも言いたそうな物言いである。頬にキスしたくらいで大袈裟だ。

 たしかに、マウス to マウス、そこから舌を入れたりなんてあれば興奮するのもわかるが、たかだか頬だ。

 まあ──


「初めてだったけど」


「えっ」


「キス自体、そういえば初めてだったんだよね」


 あくまで俺の記憶の中ではの話だが、キスをするというのは初めてだった。

 少なくとも、他人に、それも異性にキスをしたのは間違いなく初めてだ。けど、皐月さつきから見れば同性としてしか映ってないだろう。


「まあ、頬だったらノーカンかな?」


「そ、そうよね。女の子同士なわけだし、同性はノーカンよね」


 ノーカンというのは合意するも、やはり彼女の思ってることと俺が思うことは違う。

 ただ、さっき頬にキスをしたときに感じた頬の柔らかな質感。

 一瞬であったのにも関わらず、俺の唇には未だ痺れのように残っていた。


 夕日は少し傾き、日は落ちようとしいる。


「そろそろ帰ろうか」


 頬にキスをして、少しまったりして。皐月さつきを足止めしたことは後悔していない。


「ほんとは、もう少し早く帰る予定だったのに」


「ついつい寂しくて抱き着いちゃった」


「うっ」


 さっきのことがフラッシュバックしたのか、なんか複雑な表情を浮かべる。そして、顔を真っ赤にする皐月さつき

 寂しくて抱きついた。この言葉にきっと偽りはない。

 帰ろうとする皐月さつきの背中を見て、もう少し、もう少しだけこの時間が続いたらと思ったのは事実だ。そうして、俺は彼女に抱きついた。


皐月さつきは学校まで電車?」


 そうだったらいいなぁと、そう思っての質問だった。

 一緒に電車乗って帰れたら。彼女と少しでも長くいられたらいいなと思った。


「そうよ」


「それじゃまだ少し一緒だね」


 そう言って、準備の終えた俺たちは一緒に教室を出る。

 学校の廊下を皐月さつきの隣に並んで歩いている。それだけなのに、それだけでなんか不思議な感覚に陥る。


「皐月は、その、はどんなときするの?」


 踏み込んだ質問だった。

 さっきは、皐月さつきが自分から語ってくれたことだ。過去のことを、自分のことを、誰かに、信じられる俺に、彼女が話したいと思って話してくれたことだ。

 けど、今のは違う。

 俺が聞いてみたくて、知りたくて、質問した。

 現に、彼女はその場で足を止めると、そのまま黙ってしまう。気まずい沈黙が続くのは嫌で、俺も慌ててこう言った。


「別に、答えたくなかったらいいの。ただ、また男装した皐月さつきが見たいと思ったの」


「それは、なんで?」


「かっこよかったから」


 ありのまま、そのとき、最初に惚れた彼女の姿。

 もう一度見たいと思うのは、自然なことだと思った。


「今から、男装してくる」


「えっ? で、できるの」


「無理、だけど。流羽るるが見たいって言ってくれるならしないと」


「別に、今じゃなくていいよ。また、お出かけするときとか、放課後どこか遊びに行くとかのときにでもしてくれればいいから」


「そう、なの?」


 あまり納得いってないのか、皐月さつきはポカンとした表情を浮かべる。

 窓の外を見ながら、俺は言葉を続けた。


「あんまり見慣れるのもよくないと思うし」


「それは、なんで?」


 一呼吸おいて、俺はハッキリと告げた。


「こんなにかわいい子があんなにかっこよくなれるってことは、私だけが知っておきたいって思うから」


「かわ、かっこ……!?」


 言葉を理解するのは無理だったのか、今にも頭から煙が出そうなほど、目の前の彼女は顔を真っ赤にして、絶句していた。


「それじゃ、帰るよ」


 そう言って、俺は駆け足で昇降口に向かう。皐月からの「待ってよ」という声を背に。

 火照る顔を冷ますように、ニヤけてしまいそうな顔を抑えるように、それでもどうしようもない恥ずかしさは俺の体をめぐり続けた。

 皐月さつきに会いに行くときは重かった足も、今では軽い。


「やっと、追い、ついた」


 気づいたときには昇降口で、火照りは未だ冷めやらない。

 それでも、今なら走ったからだと、そう言い訳できるなと思う。


「もう、なんで走ったの」


「……気分、かな」


 皐月さつきにジト目で見られるも、気にせず学校をあとにする。少し遅れて、皐月さつきもやってくる。

 そこで、俺は誰かに見られてる気がして振り返った。


「なに?」


 人影が一瞬見えた気がするも、次の瞬間には消えていた。


「なんでもないよ」


 正直、今すぐにでも確認しに行きたかった。けど、知ることの恐怖と皐月さつきと一緒に帰りたくて、見なかったことにした。

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