十九話 ただのキス

「もうこんな時間だね」


 皐月さつきとの話も終わり、一段落ついたときには、眩しいほどの夕日が教室に差していた。


「そうね」


「このあとどうする?」


「今日はもう帰ろうと思う」


「まだ時間あるし、教室で少し勉強してくとかはどう?」


 俺の言葉に少し心が揺れたのか、彼女はどうするか悩んでるのか、手をわなわなさせている。

 ああ、かわいいなと思う。男装してるときはあれだけかっこいいのに。普段の彼女はこれほどまでにかわいい。

 改めて、好きだなと思う。

 その感情は狂おしいほどの愛おしさを伴って、俺の心を焼き焦がしていた。


「やっぱりやめとく」


「そう?」


 俺が納得してないのがわかったのか、彼女はその理由を教えてくれる。


「次への楽しみにしときたいから」


「そっか」


「だから、今日は帰ることにする」


 そう言って、彼女は荷物をまとめだす。と言っても、特に広げてるというわけでもないためすぐに済んだ。

 そのまま教室を出ようとする皐月さつき

 俺は思わず彼女に飛びついていた。

 理由なんてない。ただ、気づいたときにはそうしていた。

 一瞬、びくついた彼女に、俺はそのまま抱きつく。


「なにしてるの」


「えっと、なんでしょう……?」


 自分でもよくわかってなくて、そう答えるしかなかった。

 ほんとに、なにしてるんだろう。


「その、離してくれないと動けないんだけど?」


「そうだね」


「そうだねじゃなくて、離れてって言ってるの。いや、離れないでもいいけど」


 どっちだよ! と、心の中で思うも、その言葉から、この状況が、俺に抱きつかれてる現状が、そこまでイヤってわけじゃないんだと理解する。

 そして、その理由が同性だと思ってるからだと、否が応でも気付いてしまう。

 そりゃそうだ。彼氏でもない男がこうして抱きついてこようものなら、顔面をぶん殴るなり、アソコを蹴り上げるなりされる。

 だから、罪悪感を感じないと言えば嘘になる。


「ねぇ、いつまで──」


「私は、皐月さつきのことがたくさん知れて嬉しい」


「ちょっ、急に何言ってるの!?」


皐月さつきの初めてだから」


「言い方!」


 照れてるのか、いつもより語気が強い彼女は一層かわいく思えてしまう。

 そして、ふとだった。なんの気なしに行ったことだった。

 手を握る動作をしようとしたとき、後ろから抱きついていた俺からはそれは見えなかった。でも、一度触ったことある感触と皐月さつきの声でそれがなにかわかってしまう。

 その柔らかい感触。それはまごうことなき、皐月さつきのおっぱいだった。


「ごめん」


「なんで謝るのよ。同性なんだし、別に気にしないって」


 あのときと変わらないその言葉に、どうしようもない罪悪感が俺を襲う。そして、少しの快感も。

 手にずっしりと感じる、服の上からでもわかるその果実はまさに甘美であった。


「ほんと好きよね。私も流羽るるのを──」


 そう言って、皐月さつきは背中をこすりつけてくる。最初はなにしてるのかと思うも、その行動を理解する。

 しかし、俺は男で、男のそこに柔らかなものはなにもない。

 そしてなにを勘違いしたのか、振り返った皐月さつきは申し訳なさそうな顔をしている。


「その、ごめんなさい」


「なんで謝ったの?」


「ひっ……!」


 別に怒ってるわけではないし、そもそも俺は男であるのだからそんなこと気にもしてない。

 しかし、本来というか、もし俺が女の子で、この状況だったらどうするか想像しながら対応しただけ。

 それなのに、皐月さつきは少し怯えた様子である。


「まさか、その、ここまでだとは思ってなかったわ」


「絶交だよっ!」


「ほんと、ごめんなさい。もう気が済むまで、好きなだけ胸を揉んでいいから許してください」


 お手本のような姿勢のガチの謝罪に、逆にこっちが困惑する。これでは、俺が皐月さつきをいじめてるみたいである。

 ちょっとした、じゃれ合いのつもりであったんだけど、心にもないことを言ったのも事実だ。


「こっちこそごめん。心にもないこと言っちゃったから」


流羽るるはなにも悪くない」


「ううん」


 俺は彼女の言葉を否定し、首を横に振る。

 そして、彼女の目を見つめ、近づく。


「私も言い過ぎた。これでお相子、でしょ?」


 特に意識していたわけではないが、上目遣いする形になる。

 だいたい、俺が皐月さつきの胸に触れてしまったことが原因だ。


「かわいい」


「もう。ちゃんと話、聞いてる?」


流羽るるの話を聞き漏らすわけないでしょ」


 なんだか重いなと思うも、それが皐月さつきらしいとも思う。


「次はいつ会えるかな?」


 その言葉は俺から出たものだった。俺も言ってから気づいた。それほどまでに無意識での言葉だった。


「同じ学校ならいつでも会えそうだけど」


「そ、そうだね」


 特に意味はなどない。言葉の通りの意味。

 けど、実際は会えないのだ。

 そこで、俺は理解する。

 俺は皐月さつきと一緒にいたいのだと。それは彼女のことが好きだからと、一言で言えばそうなる。けど一番は──。


「楽しかったから」


 気づいたときには同じように言葉になっていた。

 何気ない言葉が沈黙を作り出す。しかし、そこに居心地の悪さはない。


「私も楽しかった」


「そっか」


 俺は、なんとなく皐月さつきに近づいた。

 特にこれといった目的はなかった。いや、最初からそれをすると決めていた。


「ちゅっ」


 俺は、彼女にキスしたのだった。

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