十八話 クソデカ過去感情

 目つきの鋭い女子高生、つまりは図書委員の彼女は、皐月さつき一瞥いちべつし、すぐさま俺のことをその鋭い目つきで一睨みする。

 彼女の言いたいことはそれだけでわかった。

 つまりは、出てけということらしい。

 ここで話を中断するのはどうかと思うが、図書委員の彼女に見られてると思うと、流石に怖い。あれはそれだけの目つきだった。

 とりあえず、皐月さつきに場所を移そうということを告げ、彼女が頷くのを確認してから図書室をあとにした。

 図書室を出る際、知り合いに遭遇した気がした。しっかりと確認はしていない。相手に気づかれるのはもっと問題だから。ただ、知り合いでないことを祈る。特に、光一こういちでないことを。


 誰もいない教室。

 聞えてくるのは、トランペットやトロンボーンなどの金管楽器の音色だけ。吹奏楽部が近くで練習しているのだろう。

 皐月さつきと顔を合わせては逸らすということを繰り返していた。

 少し間が空いてしまっただけに、話の続きが聞きづらい。そう思っていると、彼女は口を開いた。


「ほんとに私のこと、好き、なの?」


 その言葉からは不安が感じられる。だから、できるだけ穏やかに、自分の気持ちを素直に吐露することにした。


「うん。少なくとも嫌いじゃないよ」


「ほんと、に?」


 半信半疑なのか、ほんとだと言ってるのに不安そうな表情は変わらない。

 好きなのは少なくとも噓じゃない。これはハッキリとわかる。

 そして、この好きは友達としてだけでなく、異性としての好きでもある。今はそんなこと言えないけど。心苦しい気持ちで唇を噛みしめ、そのあとを言葉にする。


「たまに重いとは思うけどね。それでも、それをひっくるめて私は皐月さつきのことが好きだよ。……友達としてね」


 俺はたった一つの噓を交えて、苦笑交じりにそう話した。その言葉に、皐月さつきは感情を抑えきれなくなったのか、彼女の瞳からは雫が溢れ出す。

 そして、それはとめどない雨となって、嗚咽交じりの声で泣き始めた。そんな彼女を俺は抱きしめ、頭を丁寧に撫でる。だって、俺にできることはこれくらいだから。


「私ね、今まで誰にも話せなかったの」


 一通り泣き終えたのか、彼女は落ち着いた声でそう語り出した。


「なにを?」


「私には友達がいないことも、私が男装してることも」


 その言葉には重みがあった。そして、俺はそれを理解わかってあげることはできないと思った。

 だって、俺は周囲に、家族に相談できたから。

 それに、俺には友達もいた。光一こういちがその一人だ。

 上辺だけの、薄っぺらい関係の友人だって何人もいる。けど、光一こういちは違う。腐れ縁でもない。

 ときには喧嘩もした。親友と呼ぶに相違ない、そんな友人。女装については話せてないけど、きっと光一こういちなら大丈夫だ。

 でも、今この姿を見られるのは抵抗があるけど。大事な友人だからこそ、光一こういちにはちゃんと自分の口で伝えたい。バレるという形じゃなくて。

 これだけ俺は周りに、周囲に恵まれている。

 そんな思考の海に沈む俺は、彼女の言葉で我に返る。


「今まで私に友達なんていなかった。欲しいと思っても、どうやって仲良くなればいいのかわからなかった」


皐月さつきはかわいいし、すぐ友達できそうなのに」


「私には愛想がないの。だから、鼻についたんでしょうね、きっと」


 そう語る彼女は物悲しそうで、目の焦点はあっていなかった。


「男の子には何度も告白された。好きって気持ちはわからなかったから、断って。だから、友達にはなりえなかったし、女の子はそんな私を受け入れてはくれなかった」


 小学生なら、低学年までならそこまで酷いことはないのかもしれない。しかし、中学生ともなれば、それは孤立し、浮く理由に充分過ぎる。


「そうして、拗らせたの。友達ができないまま、誰にも話せないまま、そんな自分を嫌いになって。誰かに相談するなんてできなかった」


「それでどうして男装しようなんて思ったの?」


「自分じゃない自分になりたかった。私のことを誰も知らない自分に」


 皐月さつきは「手軽にできるのが、男装だったから」と続けた。

 自分じゃない自分になりたいという言葉は、痛いほど理解できた。だって、これは俺も同じだ。

 女装したのは自分の意思でもない。偶然、メイドのコスプレをした、それだけのことだった。

 それでも、女装したときに自分を見出した。きっと、彼女の言葉の通りなのだ。

 今の自分じゃない自分、嫌いな自分じゃない自分になりたかった。そして俺は、そこに好きな自分があると思った。


「それで、男装してどうだったの?」


「少しは気が紛れたわ。私を知る人はいないし、外を歩いてもナンパされることもなかったから」


 皐月さつきは当時のことを思い出したのか、嫌そうな顔でそう告げた。

 彼女ほどかわいければ、一人で歩いていればスカウトや声かけなんかがあってもおかしくない。


「それでも、苦しかった。誰にも話せないことも、友達ができないことも」


 弱音を吐くことだけはできない。自分で抱えるしかない、その状況を俺には想像することしかできない。

 どれだけの苦しみなのかも、どれだけの痛みだったのかも、なにも理解してあげることはできない。

 それでも──


「そんなときに男装が流羽るるにバレて、パニックになって。でも、どこか嬉しかった」


 ──少しは力になってあげたい、そう思った。

 彼女の笑顔を見て、その気持ちは一層強くなる。

 だから、少しの間、少なくとも今日は、話すべきではないと思った。俺が女装してるんだってことを。

 騙してる。

 それでも、いいと思った。それで彼女が笑顔でいてくれるなら、それで。


「だからね、私は流羽るるがイヤイヤなら──」


「そんなわけないでしょ。だって、そうでしょ?」


「?」


 訳の分からないという、ポカンとした表情を見せる皐月さつきに、俺は力強く言い切る。


皐月さつきは友達なんだから。だから、安心してよ」


 今日、何度言ったのかもわからない。それでも、何度だって言う。彼女が不安だと言うなら、何度でも。

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