十七話 図書室ではお静かに

 時にしてみれば数分間だろう。頭を撫でる手を止める。少しばかり、心地よさの余韻が残る手のひらを見つめ、彼女から少し離れる。

 静寂さとこの場の雰囲気が、なんとも穏やかな気持ちを誘っていた。


「私、子供じゃないんだけど」


 不満そうな、それでいてどこか満足してるような彼女の言葉。彼女の表情を見れば、彼女も心地よかったのだというのは伝わってくる。

 また沈黙が場を支配する前に、俺は口を開いた。


「一緒に勉強、だったよね?」


「そうだけど、わざわざ言葉に出さないでよ」


 そっぽを向く彼女に、俺は追撃の言葉を浴びせる。


「でも、最初にそう言ったのは皐月さつきだったと思うけどなー」


「あんまり、イジワルなこと、言わないで」


 彼女のいじらしい表情に、思わずかわいいと抱きしめたくなる。

 しかし、ここは図書室だ。さっきまでのことを思えば今さらだろうが、再度抱きつくわけにはいかない。俺は持っていた鞄から教科書と筆記用具を取り出し、皐月さつきの隣に腰を下ろした。


「えっ?」


「一緒に勉強するなら隣の方がいいと思ってさ」


「う、うん。そうだね」


 萎縮してるのか、緊張しているのか、彼女は縮こまった様子で、そのまま固まってしまう。

 俺は一旦そのことは気にしないで、数学の教科書を開いた。なんてことない数式がこんにちはする。


「あっ!」


「な、なに?」


 てっきり、名前でも見られたのかと思ったが、彼女の様子からそうではなさそうだ。それならなにかと思い手を止め、彼女の目を見つめる。しかし、先に視線を逸らされてしまった。


「前と会ったときと、髪型違うなって思って」


「あぁ」


 そう言えば、あのときは姉に髪をプチアレンジをしてもらっていたのだ。プチアレンジという出来ではなかったけど。

 ウィッグも被ってたのだが、ウィッグは自然な感じそのままで、今ともさほど変わりはない。雰囲気作りに被ってるだけ。

 一度、長髪のものも試してみたけど、普通に重いし、個人的にはいいかなという感じだ。


「あのときは、その、お出かけだったし、気合い入れてお洒落してたんだよ。学校に行くだけなのにそこまでしないって」


 照れともつかないような笑いを交えてそう話す。その言葉に、彼女も「それもそっか」と呆気ない言葉で返してくれる。

 そこからは、彼女と他愛のない会話をしながら勉強を進めた。

 なんてことない会話だ。


「数学、得意なの?」


「英語と比べると雲泥の差かな」


 俺の言葉に皐月さつきは驚いた表情を見せる。何事かと思うも、彼女の次の言葉で理解する。


「いや、その、苦手なものがあるなんて、驚きで」


「一応、私も人間だしね」


「それでも、なんでも卒なくこなしそうというか、クラスでも中心人物の優等生だと思ってたから」


「私のことそんな風に思ってたの?」


 意外だった。実際、大抵のことはできなくはないだろう。英語だって、真面目に単語を覚えて勉強すればできるようになるのはわかる。

 だって、これまでそうしてきたから。これは経験則からの正当な自分の評価だ。

 俺は俺が嫌いだ。だから、自分という存在を正確に評価できてると思う。

 嫌いだからこそ、俺は自分を好きになる努力を忘れたことはない。自分の好きを探し、少しでも変わりたいと思った。

 そこで、俺は女装と出会った。

 自分という存在をそこで初めて好きになれると思った。一つの正解があるような気がした。


「だって、私に話しかけてくれるのってそういう子たちだから」


 自嘲的な皐月さつきの言葉で、俺は我に返った。

 学校での生活のことでも思い出しているのか、彼女の目に生気は感じられない。


「あっ。同じ学校よね? どこのクラ──」


「そ、それはっ!」


 彼女の言葉に、俺の心は罪悪感に支配される。

 だって、俺は嘘をついているから。女装して、一人の女の子の友達として彼女の隣にいる。

 自分という存在に、嫌気が差してくる。

 あぁ、なんで俺なんかが、と。

 それでも、俺は取り繕うように言葉を重ねた。


「私も、クラスではあまり、だから」


「そ、そうなんだ。その、ごめんなさい」


「いいよ、別に」


 皐月さつきの言葉が、俺の胸をチクリと刺す。惨めだ。俺にはなにもできない。できるのは、放課後に彼女に会ってあげることだけ。

 友達、なのに。

 皐月さつきのその悲しそうな表情を変えられない。

 どうしようもない無力感が俺を襲った。


「私ね。友達、いたことないんだ。前にも話したと思うけど。こんなんだし」


 自嘲的な乾いた笑いが、虚しく響く。


「それが嫌いで。自分という存在に押し潰されそうになって。そのことを誰にも話せなくて」


 図書室という静寂な空間で、耳を澄ませて聞こうと思えば聞こえてしまうような声量で、彼女は語り出した。


「だから、私ね、嬉しくて」


 そこで私を見ると、彼女は告げる。


「私のことが嫌いならそう言って欲しい。自分が好かれないことも、重いのかもってことも、全部わかってる。自分のことだから」


 彼女はハッキリとそう告げた。

 もしかしなくても、誰もが聞こえるその声で。

 なんて答えるのが正解かはわからない。

 それでも、ただ一つわかるのは──。


「好きだよ。私は皐月さつきのことが」


 男装していたときも、そうじゃないときも。だから、俺は心が痛むのだ。なにも話せない、話してない、一方的な関係に。

 そして、気づいたときにはもうそこにいた。第三者が。


「ここは図書室です。イチャイチャするなら余所でどうぞ」


 冷ややかな視線を俺たちに浴びせる、目つきの鋭い彼女はそう言った。言わずもがな、図書委員だった。

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