十六話 空と氷の一人 4

 姉が友達に話しているのを尻目に、俺は空き教室を目指す。

 男子トイレでも、女子トイレでも問題が起きそうだから。

 制服はジャージの入ってただろう袋に入っていて、そこには化粧ポーチも入っていた。


「……用意周到、だな」


 姉の優しさに触れ、感慨深い気持ちで、空き教室にたどり着く。

 人通りも、人気も少ない場所を選んだつもりではいるが、人が来ないというわけではない。

 手早く済ませてしまおう。

 着替え自体は手慣れたもので、誰かが来るということもなく終わる。

 あの日の自分の女装写真を見ながら、俺は自分を再現していく。

 あのとき彼女が見たであろう顔。それに違和感がないように、丁寧に仕上げていく。

 自分が納得できる出来になる頃にはそこそこの時間が過ぎてしまっていた。

 スマホを確認すると、『まだかかりそう?』と着ていた。そのメッセージからは数分も経っていない。


「う、うっうー」


 唸り声ともつかない声で声を調整した。これで準備は終わりだ

 俺は手早く、『もう着いたよ』と送った。既読がつくまでに片付けなどをしようとすると、すぐに既読がつき、『わかった。待ってる』というメッセージが返ってきた。

 そのメッセージを見て、少しばかりの罪悪感を覚えるも、皐月さつきを待たせていることを思い、思考はそこで打ち切る。

 代わりとばかりに手を動かし、手早く準備をしてから図書室へ向かった。


 図書室に入ると、本の独特な匂いと、静寂が場を支配していた。

 しかし、そんな静寂の中でも聞こえてくる紙をめくる音、誰かが歩く音、ものを書く音、そんな自然の音が場を見事に調和して、心地よい空間を作り上げていた。

 なにより、この少し緊張した空気感がよかった。集中するのには最適なそんな空間。

 俺はできるだけなにも考えず、図書室へと足を踏み入れていく。

 程なくして彼女を見つける。

 皐月さつきだ。

 彼女は少し周囲を気にしているようだが、そんなことを気取らせないほどの気品があった。今も彼女の周囲にはいくつも空席があるのに、誰もその近くには座らない。

 もともと図書室という空間は人気ではないのかもしれないが、それでも人はそこそこいる。

 その中だというのに、彼女だけがこの空間から切り取られたかのような、近寄りがたいオーラがそこにはあった。

 俺はゆっくりと彼女に近づく。彼女にバレないように。

 そのまま彼女の背後に立つ。そのまま少ししゃがんだ。


「ひゃっ!」


 初めて周囲が彼女を見る。俺はしゃがんでいて視界に映らない人もいたかもしれない。

 皐月さつきはバッと後ろを振り返り、恥ずかしさで顔を真っ赤にした、目つきの鋭い彼女と目があう。

 そして、俺を見つけるなり、彼女はパッと嬉しそうな顔を浮かべるも、それと同時に微妙な表情も浮かべる。


「なにしてくれてんの?」


「なにって──」


 ちょっとしたイタズラ。俺は彼女の後ろ姿を見つけたとき、なんとなくイタズラしたくなってしまった。ついついだ。


「脇腹を突っついただけだよ?」


「脇腹を突っついただけじゃないわよ」


 未だ恥ずかしさを抑えきれないのか、少し興奮した様子の彼女はそうまくしたてる。

 そんな彼女が可愛くて、思わず笑ってしまう。彼女はそんな俺により激怒するけど、それがまた可愛くて笑みが絶えない。


「もう……」


 彼女も落ち着いたのかそう言って、この場は落ちがつく。


「それで、なんで図書室なの?」


 彼女が違和感なく俺と接してくれていることに安堵しつつ、気になっていたことを問うことにする。

 彼女は彼女で俺のことを一瞥し、「同じ学校だったんだ」なんて言いながら、メッセージと同じこと、「制服姿でも目立たないから」と教えてくれる。

 俺はそこに疑問を感じていた。制服姿でも目立たない、ここに違和感があった。

 外を歩けば、たしかに女子高生は目立つだろう。しかし、他に比べてというだけだ。悪目立ちするというわけでもなければ、目立ち過ぎるということもない。

 目立つというなら芸能人とかの方がよっぽどだ。

 だって、女子高生なんてそこら辺にいるのだから。

 だから気になったのだ。図書室を指定したことが。


「ほんとにそれだけ?」


 訝しげに俺はそう言った。

 居心地悪そうな皐月さつきの様子からも、本当の理由が別にあるのは明白だった。

 しかし、彼女は話してくれない。

 それなら──。


「図書室で一緒に勉強してみたくて」


 小声で、いまにも消え入りそうで、もしかしたら聞こえたのは俺だけなのかもと思えるほどのそんな声で、顔を真っ赤にした彼女はそうボソッと呟いたのだ。

 そんな彼女があまりにも可愛くて、俺は思わず抱きしめてしまう。

 この時だけは、図書室のこの静寂さに感謝した。

 彼女も彼女で、なんで抱きしめられてるのかわからず、「えっ? えっ、えっ?」と困惑している。

 それでも俺は気にせず、彼女の頭を撫でた。

 どうしようもないほど愛おしくて仕方なかった。彼女はされるがままに、受け入れてくれる。

 チラっと見えた彼女の表情はどこか心地よさそうな、嬉しそうな表情で、まんざらでもないのは明らかだった。

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