十四話 空と氷の一人 2

 授業はつつがなく進み、今日は最後の6時間目。

 昼休みになった瞬間、七海ななみが来ることも警戒したが、そんなことはなかった。

 科目は古典ということもあり、前の時間が体育でないにも関わらず、ほとんどの人が寝ている。

 教師がそれに気づいているのかどうかは不明だが、お構いなしに進めている。

 実際、俺も起きているだけで精一杯で、話なんて一つも耳に入ってこない。古典が無駄とは言わないが、これでは授業をするだけ無駄だと思ってしまう。

 そんなとき、ふと廊下に人が通る。

 別に、そこまで珍しくもない。

 先生なんかは普通に通るし、時々校長先生なんかも通ったりする。

 しかし、その人は生徒だった。不思議というほどではない。気になったというだけだ。

 なんとなく、見覚えがあった。いや、彼女に会ったことがあった。

 先日、女装していたときに、友達になった皐月。彼女に似ていた。


「なあ。さっき廊下を通った子、誰かわかるか?」


「んっ?」


 起きていたようで、光一こういちは少し唸りながら考え込んでいる。

 しばらくして、「あっ」と声を漏らすと教えてくれる。


「お姫様」


「えっ?」


「いや、まじで」


 ふざけてるのか思うが、真剣な彼の表情を見ればそうでないことはわかる。


「本名じゃないけど、通称はお姫様」


「本名は?」


「知らん。俺も告白してみたが普通に振られた。バッサリな」


「だから覚えてないのか」


「そういうわけじゃない」


 彼は一呼吸おいて、こう続ける。


「彼女は友達を作らない。いつも一人で、学校にいることさえ忘れられる」


「さすがに同じクラスのやつならわかるだろ」


「そうでもないんだと。ふらっといなくなるらしい」


 もし、彼女が皐月さつきなのだとしたら、俺が睦月むつきでなく流羽るるだとバレる前に、なにかしらの対策をしておくべきだ。

 女装してるなんて知られたら、メイド服を着せられるのとは比べ物にならないことになる。

 中学からの友人である光一こういちだってきっと……。


「どこのクラスなんだ?」


「たしか──」


「そこ、いつまで喋ってんだ?」


 初めて先生が注意する。

 他の寝てる生徒には目もくれていない。


「まだ、授業に関係ある私語なら許す。けど、お前たちがしてるのはなんだ?」


 どうやら相当お怒りな様子である。

 隣りの光一こういちはすぐに寝たふりを決め込み、逃げる気の様子。

 いたたまれない空気の中、俺はしばし先生に怒られた。


 説教も授業も終わり、光一こういちからクラスも聞き出し、俺はそこに授業中に見た生徒がいないか探す。

 しかし、どこにも見当たらない。


「だぁーれだ?」


 手で目を隠され、二つの柔らかな感触を背に感じる。背丈は同じぐらいなのか、手はピッタリと目を覆っている。

 そして、なにより聞きなじみのある声。


「えっと、七海ななみ、さん?」


「正解っ! ご褒美に七海ななみと呼ぶ権利をしんぜよう」


七海ななみさん」


「ご褒美に七海ななみと呼ぶ権利をしんぜよう」


七海ななみさん?」


「ご褒美に七海ななみと呼ぶ権利をしんぜよう」


七海ななみさんっ!?」


「ご褒美に七海ななみと呼ぶ義務を与えるっ! 今後は七海ななみと呼ぶようにっ」


 未だ手はそのままで、視界は塞がれている。

 けど、きっと彼女は涙目だろう。そんなことが容易に想像できる。


「それでその、七海ななみさん?」


「……」


七海ななみ?」


「なに?」


 タイミングよく、視界を塞いでいた手はどけられる。

 とりあえず、疑問の一つは解消された。


「なんで名前じゃないの?」


「あっ」


七海ななみ?」


「さっきのなし! 理佐りさで」


七海ななみ


 さすがに、女の子名前を呼び捨てはハードルが高い。

 それに、あらぬ誤解を生みかねない。俺は一度、彼女の告白を断ったのだ。

 彼女は気にせず接してくれるから忘れそうになるが、その意識を忘れてはならない。


「うぅぅぅ。まあ、少しは距離も縮められたし、よしとする」


「でも、なんで七海ななみだったんだ?」


「ななみんって呼ばれることが多くて」


 そう言われると、あだ名なんかなら、たしかにななみんはしっくりくる。

 それに無性に口に出したくなる言葉でもある。ななみん。ななみん。


「ななみんでもいいんだよ?」


「遠慮しとく」


「ところで、どうしてここに? もしかして、私に会いに──」


「残念ながらそうではない」


「だよね、知ってた。振られてるし」


 どこか遠い目をしながら、テキトーそうに彼女は呟く。

 全くもって気持ちは感じられないが、食い気味で言われればそれも仕方ないか。


「それじゃ、なんのご用で?」


「ある人に会いに」


「……だ、だれ?」


「お姫様? って、呼ばれてる子」


「ふーん。女の子なんだ。その子が好きなの?」


「そういうわけじゃない」


 どこかふてくされたような、拗ねたような彼女を、少しかわいいと思ってしまう。


七海ななみはなんでここに?」


「私のクラスですから」


「ああー、うん」


「私に用はないようですけどね」


 今にも「ふんっ!」と聞こえてきそうである。

 そして、謎に寒気がする。


「それで、お姫様の名前とか、今どこに居るかわかるか?」


「今どこに居るかはわからないかな。名前は確か──」


 一度そこで一呼吸置き、七海ななみは続ける。


茅野かやの茅野皐月かやのさつき、だったかな」


 あのとき会った子で間違いない。

 タイミングがいいのか悪いのか、そこでスマホには新着メッセージの通知が。

 話題に上がった、皐月さつきからのもので、『今日、空いてる? 今どこにいるの? 暇だったら会いたい』というものだった。

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