七話 解散なんてイヤ

 ベトベトになった手を洗いながらさっきのことを反省する。

 いや、さすがにあれはない。気持ち悪いどころの話ではない。もはや引くレベルの話だ。

 唾液の味が気になって舐めたとか、もうほんとに気持ち悪い。思い出すだけで顔が火照ってくる。一度たりとも引かなかった彼女には感謝しかない。

 手が洗い終わろうというところで、彼女が個室から出てくる。そんな彼女はヒラヒラとしたスカートを穿き、それでいて女の子であることをイヤでも理解させるふっくらと主張する二つの柔肌。

 それから彼女はメイクを落としながら聞いてくる。


「まだ洗ってたの?」


「いや、その、匂いが残ったらイヤだなって思って」


「匂いって……!?」


 急速に顔を真っ赤にする皐月さつき。それから俺の肩辺りをポカポカと殴ってくる。痛くないしかわいい。

 そこでふと気づく。思っていた以上に大きい膨らみ。これまでになぜか何度も触れてしまっているが、ここまで大きかったのかと思ってしまう。

 というのも、男装してるわけだし、そこまで大きくないのかと思っていた。見た目は完全にイケメンの美男子って感じだったし。男の俺でさえ、思わずかっこいい、好きと思ってしまったほどだ。


「なによ。ほんと好きね」


「いや、こう見ると思ってた以上に大きくて」


「そう? まあ、そうかもね」


 どこか遠い目をした彼女は「私はそういうところも嫌いなんだけど」なんて、ぽつりと呟く。


「それで、このあとはどうするの?」


「えっと、解散?」


 ウッキウキで聞いてきたのに、俺の言葉一つで皐月さつきは絶望した表情を見せる。特段なにかすることがあるわけでもないのだからそんなもんだと思うのが、彼女が期待してたのは違う言葉だったらしい。


「私たち友達だよね?」


「えっ? まぁ、そうだね」


「あっ、連絡先の交換もまだだったわね」


 そう言って彼女はおもむろにスマホを取り出す。俺が呆然と立っているのに彼女は気づくと、俺にもスマホを取り出すよう言ってくる。俺は川に流されるように、身を任せるように目の前の出来事をただ見守る。

 そして、手元にスマホが返ってきたときには全て終わっていた。

 開かれたスマホの画面には、新しい友達の文字とよろしくお願いしますの未読通知。


「えっと、『このあとなにしましょうか?』送信っと」


 ピコンっという軽快な音とともにメッセージが送られてくる。なんで?


「目の前にいるんだから直接話そうよ。いや、話してるか」


「既読がつかない……。私なにかしつこかった?」


「いや、面と向かって話せるのに見ないって」


 こっちの声が聞こえてないのか、彼女はスマホの画面をかじりつくように見ている。肩をポンポンっと叩くと現実に戻されたかのようにハッとした表情をする。


「どうしたの?」


「いえ、ごめんなさい」


 とりあえず、既読だけはしておくことにする。また壊れられてもめんどくさい。

 それにしても急にどうしたのか。普通にこのあとは解散にして、そろそろ昼ごはんでも食べに行こうかと思っていたのだが。


「それで、このあとだけど、解散じゃダメ?」


「私たち友達だよね?」


「友達だけど、このあと特にすることないし」


「私のこと嫌い?」


「嫌いじゃないよ」


「それならどうして解散しようとするの? 私と一緒に居たくないってこと?」


「そうじゃないって」


 少し前までは友達を盾に胸を触ったり、裸を見たりしていたのに、今は友達を盾に厄介されている。

 皐月さつきは今にも泣きそうである。けど、なにか一緒にしたいことなんてないし。というか、今はこの場所から出たい。いつまで女子トイレにいるのは正直心臓に悪い。いつ姉が入ってくるかわからないというのもあるが、他の子が入ってくるのも問題なのだ。

 そんな思考をしていると、なにかに気づいたのか彼女は顔をパーッと明るくする。


「もしかして、このあとなにか予定でもあるの?」


「そ、そう。まだ昼ごはん食べてないから食べに行こうと思って」


「お昼ごはん……」


「向こうから来てるってことはもう食べたんだよね? 付き合わせるの申し訳ないし、やっぱり解散に──」


「……行く」


「えっ……?」


 聞こえていた。この距離、リアルで目と鼻の先ほどしかないような、もう抱きついてるような距離だ。聞こえないわけがない。なんなら、場所的に周りの妨害おともない。

 それだけに、聞こえないわけがない。それでも聞き返してしまったのは、様式美からか、それとも本能的に彼女はやばいから遠ざけようとしたのか。

 だから、その言葉は割と自然に、すんなりと出てきた言葉だった。


「行くって言ってるの。私も昼ごはん一緒に食べに行くわ」


「いや、でも食べたんじゃないの?」


「た、食べてない」


「いや、食べてるでしょ、絶対」


「うっ」


 それでも諦めきれないのか、悩んでる素振りを見せる。けど、なんの考えも浮かばなかったらしい。


「私が良いっているんだからいいでしょ」


「いや、まあ、それでいいならいいけど」


「いいの?」


「でも、昼ごはん食べてる間どうするの?」


「それは、そのとき考える」


 どうしても付いて来たいらしいので、とりあえず折れることにした。というか、なにを言っても聞きそうにないし。

 それに、一緒に来ていいって言ったあとの彼女の笑顔がとってもかわいかったから。もうどうでもいいって思えたから。


「それじゃ行こっか?」


「うん」


 嬉しそうで塩らしい彼女と一緒にトイレを出ることにした。

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