三話 女子トイレ連行

「いい物買えた気がするよ。ありがとう」


「どういたしまして」


 あれから、2時間。かれこれ2時間。まさかの2時間もかかってしまった。

 けど、姉の満足そうな表情が見れたので、そのかいもあったのだと思う。

 そんなとき、ふと見覚えのある人が通り過ぎる。複数人でいるようで、誰だろうと思ってると、姉が固まってるのがわかる。

 どうやら、そういうことらしい。


「お姉ちゃん、昼ごはん食べるのに千円欲しいなー」


「どうしたの、急に」


「別にー。ただ、お姉ちゃんは彼氏さんに会いに行きたいのかなって」


「ひゃっ! べ、別にそういうわけじゃ……」


 偶然だからこそか、会えて嬉しいのだろう。愛おしそうな表情で、彼が歩く姿を見ている。


「早くしないと、彼氏さんの姿見えなくなっちゃうよ」


「うーん。うーん、うん……」


 少しの間そう唸ってるも、決心がついたのか、無言で千円札を渡してくれる。

 ただ、去り際に一言だけ、


「お母さんにはまだ内緒だからね」


 そう言って、先ほど彼が消えていった方に向け走っていった。

 さて、一人になってしまった。

 こんな場所に女の子姿をした男の娘が一人。この姿であれば、友達と会っても、一見しただけでは気づかないだろう。そんな深い仲の友達なんていないけど。

 そんなことを考えながら、なんとなくフードコートの方へ足が進む。

 千円で何を食べようか。うどん、そば、デザートにソフトクリームだって頼めるなんて思ってると、一人の人に目を奪われる。

 最初はふと、視線が吸い寄せられたというだけだった。自然と、その人に焦点があった。ピンボケしていた視界が、近づくにつれクリアになり、もう目の前まで来ると、あまりのカッコよさに、心までも奪われたような、そんな錯覚を覚えてしまう。

 大人しそうな、それでいてシュッとした印象を与える男の子。

 第一印象はそれだった。

 彼も俺と同じようで一人らしく、声をかけようか悩んでいるも、いざ目の前まで来ると、結局声は出ない。

 けど、別の意味で声が出た。それは、彼の声もだった。


「ひゃっ!」

「わっ、ぷっ」


 足がもつれた。それにより態勢を崩した俺は、彼女に直撃した。

 声をかけようとか、そんなことに意識が集中して、ぼんやりとしすぎていた。それで足をすくわれているんじゃ、世話ないってもんだ。

 しかし、今更そんな後悔をしてももう遅い。いや、遅いからこその後悔なのだが、それよりも先にすることがある。

 今俺は、彼に覆いかぶさる形で倒れている。俺の方に痛みはほとんどないが、それは彼が下敷きとなったから。彼は頭を床に強く打ちつけてるいるに違いない。


「ごめんなさい。すぐどきます」


 できるだけ不自然にならないよう、女の子だと思ってもらえるよう、中性的な声でそう言い、立とうとする。


「ひゃっ」


 俺の声じゃない。

 けど、目の前から明らかに女の子の声がした。立とうとして力を込めた左手には妙に柔らかい感触。吸い付くような、いつまでも放したくないと思えるそれに、半分意識が持っていかれる。

 だから、目の前の彼の、いや、彼女の言葉で全てを察する。


「いつまでそうして胸を揉んでいるんですか? だからって、セクハラで訴えますよ」


 同性。つまり、彼女は女の子だったということだ。まあ、実際の俺は男なのだから、同性ではない。

 しかし、この状況では余計にそのことが言いづらくなった。というか、言えない。俺が本当は男だなんて、口が裂けても……。

 そんなことを考えるよりも先に立ち上がるべきだ。

 そう思い、俺は左手の余韻に思いを寄せながら、すんなりと立ち上がる。少し痛いところもあるが、概ね無傷であると言っていい。

 先に立った俺は、彼女を立ち上がらせるべく、手を差し伸べる。

 彼女がその手を取るのを確認すると、俺は抱き寄せるように引き寄せる。少し力が強すぎたためか、彼女が少しよろけて、彼女とキスをしてしまった。


「んんんっ!!!!」


 女の子との初めてのキス。

 そんなことを考える間もなく、悶えた彼女が俺を大きく突き飛ばす。


「な、なにするんだ!」


 かなり動揺してるはずなのに、彼女の声はカッコイイ見た目通りの美声だった。

 ただ、突き飛ばされたことで、今度は俺が尻もちをつくことになってしまった。事故とはいえ、俺が少し力強く引き寄せたことでキスをしてしまったのが原因だ。非はこちらにある。


「ご、ごめんなさい」


「い、いや、こっちこ突き飛ばして悪かった」


 そこで彼女と目が合う。しかし、すぐに彼女は視線を逸らしてしまった。

 ふと、彼女とのキスを思い出す。

 正直、あまりしっかり覚えてない。あのときは動揺してたし、一瞬のことだった。感触もしっかりとは……。

 頬が少し火照ってる気がする。これ以上ボロが出ると困るな。


「それじゃ、私はこれで」


 おもむろに立ち上がり、何事もなかったかのようにどこかへ去ろうとすると、彼女に腕を掴まれる。

 それでも、俺は振り返らず、あくまで前を向いたまま足を止める。

 俺の力なら、きっと彼女の手をほどくのは簡単だろう。けど、それが一人の少女として正しいとは思えなかった。


「ちょっと、話があるんだ。いいか?」


「……」


「少し話がしたいだけだ」


「……」


「なあ──」


 なにを言おうとしたのかはわからない。そこで言葉を切られたから。

 少し腕を掴んでる手の力が弱まった気がした。解放されるのかと思い油断すると、その隙を突かれ彼女に引き寄せられる。


「えっ……?」


 思考をまとめる暇もなく、耳元で彼女に囁かれる。


「事を大きくしたくないの。わかるでしょ?」


 そう言われて初めて、周囲を確認する。少し注目を浴び始めてるようだった。

 たしかに、俺としてもこの状況は好ましくはない。

 そんなことを考えてると、彼女は俺を掴むと連行しだす。


「ちょ、ちょっと、どこ行くの?」


「あんたはそのまま連れられてればいいわ」


 そんなことを言われても不安なものは不安だ。彼女は俺をどんどん人気のない場所に連れて行く。


「ねぇ、ほんとに──」


「……ここなら」


 俺の声は声にならなかった。彼女がなにを考えてるのかはわからない。

 けど、彼女は俺を連れて女子トイレに入った。個室まで一直線。それも二人一緒に。

 俺はトイレのフタの上に座り、彼女は俺の目の前に立つ。

 彼女がなにを考えてるのか、ほんとにわからない。

 けど次の瞬間、彼女はこう言った。


「さあ、存分に話を始めるとしましょう?」

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