【2章】:メロンパン編(全9話完結済み)

12話:1000階旅館の厨房で

「え~っと……」


 25歳の青年:朝霧杞憂あさぎりきゆう

 寝起きの彼が戸惑ったのは、視界に映る天井が見覚えのないモノだった為だ。

 しかし、彼はすぐに思い出す。

 ここが何処なのか、自分が何処に来てしまったのかを。


(あぁ、そう言えば1000階旅館に来たんだった……今は、朝の7時過ぎか。寝すぎたな……)


 昨日、カピバラの『あやかし』:カピの助の願いを叶え、眠気に負けて自室で寝たのが朝の9時過ぎ。

 そこから丸1日近く寝てしまったらしく、彼は気持ち急いで、でも慌てることなく従業員用の黒い作務衣さむえに着替える。


 暑くもなく、寒くもない部屋から一歩出ると、靴下越しで足裏に伝わる廊下のひんやりとした感じが気持ちいい。

 そこから少し歩いて見えて来たのは、ずっと雨が降っているのに何故か日差しの差し込む日本庭園。

 見ているだけで不思議と落ち着く美しい光景を眺めていると、廊下の暗がりからニュッと「巨大な白蛇の顔」。


「うおッ!? って、白蛇様か……」


 一瞬本気で驚いたものの、正体を知っていれば警戒心も薄れる。

 スルスルと蛇腹運動で静かに近づいて来た白蛇様は、その姿のまま「おはよう」と声を掛けて来た。


杞憂きゆうは随分とお寝坊さんだね。ほぼ丸一日寝てたから、昨日に関しては有給として処理しておくよ」


「え、有給とかあるのか?」


「うん、今さっき私が作った。基本は年中無休だけど、休みたい時は休んでいいよ」


「適当だなぁ」


「アハハ、2日目で仕事を飛ばした杞憂きゆうに言われたくはないけどね」


「あ~……それに関しては悪かった」


「いいよ。昨日は客も来なかったし、初めての写し世うつしよで疲れも出たんだろう」


 言いつつ、白蛇様の巨大な身体が玄関へ向かう。

 そして長くて赤い舌を出し、摺りガラスの扉を器用にスライドさせた。


「何処か出掛けるのか?」


「あぁ、ちょっと会合に行って来るよ」


「会合?」


「そう。この辺りで名のある『あやかし』達と酒盛り……じゃなくて、今後のコトを色々と話し合うんだ。その内杞憂きゆうにも顔を出して貰うつもりだけど、まぁまだ来たばっかりだしね。――それじゃあ、日を跨ぐまでには戻ると思うから」


「わかった。楽しく飲んできてくれ」


「うん。あ、いやだから、酒盛りじゃなくてね。本当に大事な会合で――」


「わかったわかった。何でもいいからいってらっしゃい」


 丸1日寝過ごした手前、というがそれでなくとも、酒盛りに出かける白蛇様を止める程の理由もない。

 むしろ見た目が蛇なだけで、意外と人間みたいな生活を送っているんだなぁと、そんな親近感を覚えつつ。


 森の紫陽花通りに消えてゆく白蛇様の巨体を見送ったところで、急に「バンッ」とお尻を叩かれた。

 何事かと思って振り返ると、そこに居たのは仏頂面で立つ狐耳の少年で、今日も今日とて右胸をはだけさせている。


「あ、琥珀こはく君おはよう」


「あ、琥珀こはく君おはよう、じゃないだろ。杞憂きゆう、早く作れ。ふわふわのやつを、今すぐだ」


「はいはい、メロンパンのことね。勿論覚えてるよ」


 先日、琥珀こはくがいたく気に入った菓子パンを作る約束をしていた。

 この写し世うつしよにコンビニがあればそれを買ってお終いだが、コンビニが無い以上(多分、というか流石に無いだろうと思われる)、自分で作る他ない。


 という訳で。

 琥珀こはくの先導で杞憂きゆうがやって来た先は――



 ■



 ~ 厨房キッチン ~


 1000もの階層を持つ旅館なので、その胃袋を支える厨房キッチンはさぞ広大な面積を有するのだろう、と思ったら大間違い。

 杞憂きゆうが目の当たりにしたのは、“ちょっとした飲食店”程度の比較的こじんまりとした厨房キッチンだった。


「あれ、あんまり広くないんだね。設備が割と新しそうなのは良いけど……この規模で旅館全部を賄えるの? それとも客が泊まることは稀とか?」


「いや、遠くから来た『あやかし』は、願いが叶うまで旅館に泊まることも多い。でも問題無い。『あやかし』は人間の飯を食わないからな」


「……そうなの? じゃあ何を食べて生きてるの?」


「“つゆ”だ」


「へ?」


「『あやかし』は、森の葉っぱに付いた“つゆ”を舐める。後はお酒も飲むけど、それ以外はあまり口にしない」


「へ、へぇ~……」


 これまた驚きの新情報。

 露なんて栄養も無さそうだが、『あやかし』はそれだけで十分らしい。

 まぁ人間とは姿形も棲む世界も違う生き物なのだから、人間の基準で考えても仕方がない話なのだろう。


「でもさ、琥珀こはく君はメロンパン食べたよね。昨日はおにぎりを持って来てくれたし」


「ボクは半妖だからな。露だけじゃ腹が膨れない。それに露よりも人間の食べ物のほうが美味い」


「そっか。それじゃあ頑張って作らないと……ん?」


 “揺れた”。

 テーブルの上に置かれている果物籠が、僅かに揺れて動いたように見えた。

 杞憂きゆうの位置からは何も入っていない様に見えたが、それでも果物籠が揺れたのだ。


 確認出来る「窓」は全て閉まっており、外からの風で動いた訳ではない。

 空調による空気の流れ、にしては少々動き過ぎにも思える。


(猫でも飼ってるのか?)


 果物籠の中で寝ていて、その猫が起きて動いたのかも知れない。

 そう考え、杞憂きゆうは果物籠に近づき、唖然。


 果物籠の中に居たのは猫ではない。

 何とも形容し難い姿を、それでも頑張って言葉で表すならば、“カラフルなしずくに手足が生えた”感じの――


「……妖精?」


 ――――――――

*あとがき

以下、次話以降に出て来る『雫(精霊)』のデザイン画(↓)です。

去年(2023年)の3月に描いたモノですが、デザイン的には結構気に入ってます^^

https://kakuyomu.jp/users/nextkami/news/16817330655202652045

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