その3 「くろねこと、おきぐすり」




「置き薬の交換にまいりましたー!」


「栄養ドリンクしか飲んでないねえ」


「なによりです。あたらしい薬に、交換だけしておきますね」


「はいはい」


……スーツを着た男がやってきた。

お好み焼きも注文せずに、ニコニコしたまま黄色い箱をいじっている。

箱のなかには、ちいさな箱がうじゃうじゃいた。


それを取り出しては、同じものを入れていく……。

やはり、人間というものはおろかしい生き物だな。

同じものを、出したり入れたりするなんて、ムダじゃないか……。


まぬけている生き物だ。


……ん?


「黒猫がいますね」


「クロっていうんだよ」


レイ・ルイスだ。


「みゃああああ」


「怒ってる?」


「この子は、そんなに噛みついたり引っかいたりはしないよ。いい看板娘なんだ」


わがはいはオスだ。


「そうなんですね。あー……首輪ボロボロですね」


「野良猫だったからねえ。飼い主が探してるかもしれないから」


「だから店先に『まよい猫』の写真はってるんですね」


「うちにくる小学生が作ってくれたんだよ」


「保護猫かー」


保護しているのは、わがはいの方だ。

このド田舎は負け犬の人間だらけだから、しっかりと見守っているのだよ。


「ふらりとどこかに出かけちゃうかもしれないねえ」


「で、ですねー。はあ……」


負け犬らしい顔になってきたぞ。

ばあさんに愚痴りたがっているんだろうな。

はた迷惑だが、お好み焼きを注文してくれそうだ。


「食べてく?」


「は、はいっ! ちょうど、お昼も食べなくちゃいけませんし。午後からも……」


男はうなだれながら、ため息を吐いた。

負け犬のオーラが強くなる。


「またね、若い人が辞めちゃったんですよお。だから、ぼく島根まで行かなくちゃで」


「遠いねえ。よくがんばる」


「がんばるしか、ないんです。若い人、すぐに見切りつけちゃうんです、この仕事に」


「ふんふん。はい、できたよー」


「ありがとうございます」


わがはいのとなりで男はお好み焼きを食べ始める。

うまそうだ……。


「みゃああああああう」


「クロ、あんたはチーズだ」


「にゃうう!」


チーズでも、いいか。

このチーズ……たまらんうまさだ。


「よく食べる猫ですねえ」


「だから好きだよ。よく食べてくれると、うれしいからねえ」


「料理を作るヒトらしい、よろこびですよねえ……ぼくの、よろこびって、何だろうっ」


……チーズのさかなにするのは、こいつの愚痴は少しうるさかったかもな。

どうやら、手下に逃げられてしまったそうだ。

おかげで、ずいぶんと遠くまで走り回ることになったらしい。


そこそこ偉かったはずなのに、手下に逃げられと、とたんに苦労する。

人間どもの作った世の中というものは、どこかヘタクソな気がするな。


ばあさんはクッキーをかじりながら、負け犬の話を聞いてやっていた。


「あっちこち、遠くまで……みんな、すぐに辞めるんです」


「大変だねえ。ほら、おみそ汁の、おかわりをあげよう」


「あ、ありがとうございますううっ」


情けないことに、泣きそうになっている。

ククク……。

いいぞ、そういう負け犬の面を見ていると、わがはいは『ゆうえつかん』を得るのだ!


「にゃうううう!」


「ああ。ぼくを、なぐさめてくれているっ」


猫の言葉も分からんとはな。

人間どもは、もう少し勉強したらどうだ?


それに、運動もだ。

人間どもは、ぜんいんムダに大きくて、とろい。

ねずみの一匹も捕れないから、手下に逃げられるんじゃないか?


そこらのガキどもぐらいには、走り回ってきたえておくといいのに。

大きい人間どもほど、トロトロしているのに、ろくに走りもしない。

なまけている。


「こ、今度……結婚もするんですけど」


「あら、おめでとう」


「こんなにいそがしいんじゃ。結婚生活とか、うまくいかないかも」


「無職でヒマよりは、よっぽどいいよ」


「た、たしかにっ!?」


「働けてるってことは、しあわせだよねえ」


はたらくことが、しあわせか。

ばあさんは、そうらしい。

お好み焼きを焼いて、いつも、たのしそうだ。


それなのに、この図体だけはデカい負け犬は。

……ククク。


「みゃふふふう!」


「ああ、クロちゃんは、いいなあ。猫は、いつもたのしそうだ」


「私も、もう90才だけどね。たのしいよ、働くの。たのしくないと仕事じゃない」


「う、うう。ぼくも、言ってみたいですっ」


やれやれ。

日々の楽しみ方も知らないとは。

ねずみを追いかけんからだぞ。


「たのしく、働くかあ……」


「どこか遠くまで出かけるって、それはそれで楽しいじゃない」


「……そう、かも。今度、きれいな風景でも、スマホで撮って……彼女に」


「はい。ゆで卵の、サービス」


ばあさんは、負け犬にやさしい。

子供相手でもないのに、ゆで卵までくれてやるとはな。


「あ、ありがとうございますっ!」


「そこ、塩あるから」


「はいっ!」


しょっぱい塩を、たまごに振りける。

わからんね、そのままでも美味しかろうに。


「……あ。ゆで卵……ゆで卵……ゆで卵」


じっと、ゆで卵を見ている。

人間の考えることは、よくわからんよ。

にらめっこをする相手には、勝ち目があるやつを選べばいいのに。


「ゆで卵と……いえば―――」


「温泉卵もあるよねえ」


ばあさんはクロスワードパズルを年中、解いているせいだろう。

言葉と言葉をつなげるのが、上手なんだよ。


「温泉卵……そうだ。温泉も、いいなあ」


「遠くに行ったとき、こっそり入ってくればいいじゃない。バレないでしょう」


「……そ、その発想は、なかったかも」


「サボり方を覚えるのも、仕事をたのしむコツだと思うよ」


「です、よね」


「私もね、いそがしくて疲れてるときは、お好み焼きの注文、断るし」


ばあさんは自由だ。

だから、長く働けるんだろうよ。

しかも、たのしくな。


見習うといい、負け犬を卒業できるかもしれんぞ。


「さ、参考にしてみますっ!」


「うんうん」


ばあさんは、イスに座ってお茶を飲み始めた。

テレビのリモコンを捕まえると、昼前の天気予報の見物を始める。


「ごちそうさまでしたー!」


「はいはい」


ヤツは笑顔になっていた。

何かしら、良いサボリ方を見つけたのかもしれない。


「明日は、晴れそうだねえ」


知っている。

猫のひげは、テレビなどに頼らなくても天気を読めるのだ。




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