第57話 エピローグⅡ

 これは遠い遠い何時か交わした永遠の約束。


 どれだけ歩き続けたのかわからない。

 もう何年も人間と呼べる存在とは出会っていない。

 空は昼夜赤く染まり、巨大な黒い月が居座り続けている。赤い雪が止むことなく降り続け、地上を赤く染めていく。草木は枯れ、山も海もみな死に絶えた。


 そんな荒野の中、一人の少女が歩き続けていた。

 ぼろぼろのフードを頭から被り、ただただ歩き続けていた。


『誰だ?』

 不意に声が聞こえてくる。

 少女は周りを見回すが、人影は見当たらない。人語を解する生物も見当たらない。

『ここだ、ここ』

 少女が足元を見ると、そこには赤い雪に半分以上埋もれた赤い本があった。

「……あなた、だれ?」

 少女はその本を拾い上げると、向かって問いかけた。

『名は意味を成さないが、我は――そうだな、聖典とでも名乗っておこうか』

「……」

 少女はしばらく聖典を見つめていたが、興味を無くしたのかその場にぽいっと放り投げ、再び歩き出した。

『待て! 待て! 神器たる我を前にそれだけか!』

「……」

 少女は振り返ると、あからさまに嫌そうに眉間に皺を寄せ、再び聖典を手に取った。

『数十年ぶりに話の通じる相手と出会えたのだ。もう少し付き合え』

「……はあ」

 少女は深々とため息をつくと、風雪を凌げる洞窟を探して歩き出した。



 聖典が一方的に捲し立てた話によれば、彼(?)は何千年も前からこの世界に存在し、人間に全知の力を与え続けていたという。しかしその力は強大すぎて人間同士の争いが絶えず、幾つもの国が滅びたらしい。


『お前もまともな人間ではないのだろう?』

 洞窟の中、焚き火に当たりながら話を聞いていた少女に、聖典が尋ねる。

「……魔女」

 少女はそれだけ言うと手元の聖典をじっと見つめる。

 その瞳は焚き火を反射して赤く紅く燃えるように輝いていた。

『そしてその中でも一際貴種なやつだ』

「!」

 少女は聖典の言葉に目を見開く。

『全知だと言ったろ? わかるよ。そうでもなければ今日まで生きてこれなかったろう』

「一体世界には何が起こったの? あの黒い月はなに? 他の人間はどこ?」

 少女は堰を切ったように問いかけた。久しぶりに大きな声を出したので、焚き火の煙を吸ってしまい咳き込む。


『落ち着け。この世界は役割を終えたんだよ』

「けほっ。役割?」

『そう。元々この世界は神々の世界から追放されたものが送り込まれる流刑地。そして人間はそんな罪人達を処刑するために作られた』

「……じゃあ、あなたも罪人なの?」

『ちがわい! 我は人間達を助けるために遣わされたのだ。罪人達はあまりに強大で凶悪故にな』

「でも、あなたのせいで幾つもの国が滅びたって」

『それは我を正しく扱える人間がおらなんだせいだ』

「そう……」

 そして世界から罪人が全て処刑されたことによって、この世界は役割を終え廃棄されようとしているという。

 少女は聖典の話をそのまま信じたわけではないが、疑ってもいなかった。実際世界は終わりかけているように思えたし、もうどうでもよかった。


『さあ次はお前の話だ』

「……全知なら話さなくてもわかるんじゃないの」

 少女はそれだけ言うと横になり、瞳を閉じた。もう何日も何も食べていない。まともな人間ならとっくに死んでいるはずだ。こうして眠りに就く真似事をしていれば、何時か何もない永遠の死へと旅立てることを願うが、未だ叶わずにいた。

『まあな。魔女とはその罪人と人間が交わって生まれた者。人間は罪人を殺すことはできても神を殺すことは決してできない。そう作られているからだ。その頸木から解き放たれた存在』

「……」

 少女は目を瞑って寝返りを打ちながら聞いていた。

 魔女はそれ故に人間からも迫害された。神を信じる人間はいくらでもいるからだ。しかしその神がこの世界を処刑場としか思っていないのなら、そんな神を信じる意味はあるのだろうか。


『だから神を殺すために作られたのがお前、神滅の魔女――』

「!」

 少女は目を見開き、がばっと起き上がると聖典を掴み、焚き火の中に放ろうと腕を振り上げる。

『待て! 待て! すまなんだ!』

 聖典は必死に少女に謝る。失言だった。そう呼ばれることが彼女にとってどれだけ苦痛であるか知っていた。どれだけ苦境に見舞われてきたか知っていた。

「ふん!」

 少女は聖典を横に投げると、どかっと焚き火の前に再び座る。

 ついかっとなってしまった。もう何年もその名で呼ばれていなかったから、一気に嫌な思い出が蘇って正気を保てなかった。

 神を殺すために魔女達が生み出した存在。しかしその力は魔女達にとっても都合の悪いもので、結果人間からだけでなく魔女からも命を狙われることになった。

 しかしそれも昔の話で、今はもうこの人一人生き残っていない世界では関係のないことだった。


『それで――これからどうするつもりだ?』

 その後何時間もお互い黙ったまま、焚き火の灯りが小さくなりはじめたところで、聖典が再び口を開いた。

「……」

 正直どうでもよかった。歩き続けてきたのも何か目的地があったわけではない。誰かを探していたわけでもない。

 それに薄々感じていた。もうこの命はそう長くはないと。

 魔女達から幾つもの呪いを受けている。これはおそらく死んでも解けない魂への呪縛。もし生まれ変わることができたとしてもきっとずっと死が付きまとうだろう。

 それだけが悔いなのかもしれない。死んでも安らぎがないことへの恐怖、そして憤り。

『それがお前がまだ生き続ける希望を捨てられない理由か』

「……」

 いちいち心の中を読んでくる嫌な奴だ。だがそれは正しかった。


 このまま何も成せず、未来を見ることができないまま終わるのはいや!


 それが少女の偽らざる本心だった。神を殺す目的も、呪いをかけた魔女達への復讐も、もうどうでもよかった。だが生きる希望を奪われるのだけは我慢ならなかった。


『我と世界を壊しに行かないか?』


「……は?」

 聖典の言葉に少女はぽかんとする。

『お前もさっき言ったではないか。我は罪人ではないかと』

「?」

『お前と我は似ている。求められ生まれたくせに厄介者として排除された存在。ならばお互いその力を使って世界を自由にしたって、誰にも責任は問えまい』

「でも、わたしはもう……」

『ああ、わかってる。お前の命はもう長くない。だから我を使え。我の力を使えば、何度だって世界を書き直すことができる。お前の魂にかけられた呪いはその度にお前を殺しに来るだろうが、必ず我が食い止めてみせる』

「……」

 聖典の言葉に少女は胸の鼓動が高鳴っていくのを感じる。こんな気持ちになるのは何年振りだ。いや生まれて初めてかもしれない。

「生きて……いいのかな?」

『それは我が保証する。こうして我らが出会えたのは我がそう願ったからだ。だから今がある』

「……うん」

『さあ我を手に取り願え。最強の神器と最強の魔女の我らに勝てる奴なんてこの世にいない』

「うんっ!」


 少女は聖典を手に取り、その頁を開いた。

 あまねく因果が二人の願いに解かされ、その意味を失っていく。


 そして神の目録は開かれ、世界はあるべき姿を求めて彷徨い始めた。

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トワとイツカの魔法司書 玖月泪 @Rui-09

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