第54話 選択(4)

「……これはまた」

「えっと、えっ? えっ?」

「……」

 当然困惑する二人に、九重は黙って聞いていた。

「あっ、その、やっぱりいいです。こんなこと聞いてもしょうがないよねっ。ははっ、そういうお話を考えてるんですっ」

 トワは言ってから後悔した。前世の記憶のない三人に話しても何の意味もなかった。ただ誰かに聞いてもらいたかっただけだった。そうでもしないと一人で抱え込むにはあまりにも辛い現実だったからだ。


「トワッチ……」

「トワちゃん……」

 二人はどう応えればいいのかわからなかった。トワの表情は真剣で決して冗談で言っているとは思えないだけに、居た堪れない気持ちになってしまっていた。


「……タクトに触れて思い出したのか?」

 だが、ずっと黙って聞いていた九重が口を開いた。その顔もまた真剣だった。

「……はい。前世で先生が残したんだと思います」

「オリヒー?」

「先生?」

 九重は指を弾いてタクトを呼び出すと、屈んでその背を撫でる。

「ずっとおかしいと思ってたんだ。こいつの記憶容量が極端に少ないことに。それが彩咲の記憶を保持していたからならあり得る話だ。現に今はすっからかんだしな」

「マジか……」

「そんな……」

 九重の言葉に二人は驚愕の表情を浮かべる。

「それだけじゃあない。こいつの中には俺の知らない俺の記憶が入っていた」

「!」

 トワはその記憶に心当たりがあり顔をしかめる。

「……その様子だと知ってるようだな。そっちの世界の向田タクトのことを」

「それって」

「この子の名前の由来の先生の友達ですよね?」

 ハルとウララが今朝図書委員の子達が話していたことを思い出す。

「ああ、今でも元気にしている。こっちの世界ではな。けど――」

「はい」

 トワは遮るように応える。前世の九重が結局取り戻す前の記憶を、今世の九重が読み取ってしまったのだ。


「昔、事故があったのは事実だ。でもこの世界のタクトは助かった。俺がその時、既に魔法司書に目覚めていたからだ」

「よかったじゃん」

「トワちゃんの話じゃ、前の世界はこの世界よりもエーテライズの普及が遅れてたみたいだし、もし本当に世界が改変されたのなら良くなったんじゃ」

「……」

 そう、七星アヌビスは実際上手くやっていた。この二人もトワが知っている限りでは前世で魔法司書故に受けた虐めはほとんどなく、いち早く魔法司書協会による保護と教育を受けたことにより、真っ直ぐに魔法司書への道を歩んでいる。


 だが、この世界には、相馬イツカが、いない。


「……彩咲、お前はどうしたいんだ? その相棒を取り戻したいのか? そうすることでこの世界はまた書き直されるのか?」

 九重は苦悶の表情で黙り込むトワに問いかけた。

「(ちょっと、オリヒー!)」

「(追い詰めるようなこと言わないでください!)」

「(はあ? だいじなとこだろ)」

 小声で言い合う三人をトワは見上げて、この三人の関係は世界が変わってもそのままなんだなと、ちょっと安心した。


「みんなはこの世界が好きですか?」

 そして問いかけた。その顔は真剣で、その手は緊張でわずかに震えていた。


「まあ悪くないんじゃない?」

「そうね。前がどうだったのか知らないから比較はできないけど、満足はしてる」

「……」

 いまいち実感が湧かず曖昧に答える二人に対して、九重だけは考え込む仕草のまま即答しなかった。


「……ですよね」

 トワはちょっと困った顔をして笑い、そして考えた。

 もしイツカを取り戻すことができれば、きっと世界はまた書き直される。つまりこの魔法司書にとって理想の世界はなくなる。


『いいかトワちゃん。人に言われてよくわからないまま何かやって上手くいくことなんかまずねえ。自分に何ができて、それが何をもたらすのか、そしてその結果全てに責任を持てると、自信を持って言える時だけやれ』


 前世でキクヲに言われた言葉を思い出す。世界を書き直す責任を持てるなんて、とてもじゃないが言えない。


「でもまあ確かにこの世界はおもしろいんだけど――」

「――誰かを犠牲にした上で成立しているなら考えものね」

 二人は相馬イツカがトワにとってどれだけ大切な存在なのか、それがトワの必死な様相から痛いほどわかった。

 そして九重がようやく口を開いた。

「……この世界になってきっと数えきれないほど多くの人が救われたんだと思う。みんなそうとは知らずにな。けど俺は知ってしまった。自分でも忘れたくなるような体験をした俺が存在することを。あっちの俺はどんなだった?」

「……そんなに、変わらないかな。でも……」

 トワは前世の九重を思い出しながら答える。実際今まで出会ってきた人々は、前世も今世もそこまで大きな変化はなかったように思えた。それがアヌビスのおかげなのか、世界がそうさせたのかはわからないが。

「でも?」

「もう少しいい加減だった……かな?」

 トワはいつも図書室の作業室で寝転がっている九重のことを思い出して笑った。今世の九重では見られない行動だった。

「なんだそりゃ。まあいいや。でもそうなった俺はきっと辛い過去をいつか受け入れようと足掻いてるんだろ?」

「かもしれないですね」

 前世の九重は結局過去の記憶を受け入れることはなかった。いずれ向き合う日が来たのかもしれないし、ずっとそのままだったのかもしれない。


「俺はそんな俺を羨ましく思う」

「どういうこと?」

 九重の言葉にハルが疑問符を灯らせる。

「何となくわかります。辛い経験をたくさん負ってる人の方が他人に優しくできる的な」

 ウララが九重の言いたいことを代弁する。

「そんな偉い気持ちじゃあないな。単純に悔しいだけだ。俺よりいい経験積みやがってってな」

「……くやしい……」

「もちろんこんなことあっちの俺が知ったら殴られるだろうけど、この俺はそう思う。失うことで得られる未来もある。どんな世界であれ、正解も失敗もないってことだ。この世界がどんなに上手くいっているように見えても、お前の相棒が犠牲になってるのなら、お前はそれを取り戻すためにこの世界をぶっ壊したっていいってことだ」

「あっ……」

 九重はトワがこの世界を書き直すことを躊躇っているのを見抜いていた。

「トワッチはどうしたい?」

「自分に素直になっていいんだよ」

 ハルとウララもそれを察してトワに問いかける。

「わたしは――」

 トワは三人を見上げて口を開きかけ、俯き、そして再び顔を上げて宣言した。


「わたし、彩咲トワは、イツカくんを人間にして、そして共に生きていきます」


 それは世界を天秤にかけても傾ぐことのない決意。誰かに何かを言われて選んだのではない二人で決めた約束。もしそのせいで世界が悪い方向に向かうならその全てに立ち向かう覚悟と責任の言葉だった。


「じゃあいこうぜえ」

「行くってどこへよ?」

「大学図書館の地下ホール、だろうな」

 三人は歩き出し、一斉にトワを振り返る。


「はいっ! いきましょう!」

 トワは元気よく応えると歩き出す。その瞳は燃えるように赤く煌めいていた。


「にゃー」

 そんな一行を満足げに見つめて一鳴きしたデューイは、後から追いかけていった。



 紫苑女子大学中央図書館。近年改築されたばかりで、トワの記憶の限りでは前世のものとは外観に違いは見られなかった。しかしその中は大きく違い、その最たるはエーテル資料の所蔵庫があることだった。

 エーテル資料とは図書をエーテライズで分解し、一枚のディスク(形態は様々である)に再構成し、圧縮した資料のことである。利用の際は魔法司書が再び元の図書の形に再構成する。これは資料の収蔵場所の圧縮のみならず半永久的に保存できるメリットがある。しかしその保管場所はエーテルが散逸しない部屋を用意する必要があり、それなりの設備が必要となる。トワの知る限り前世では国会図書館でしか見たことはなかった。

 また館内には魔法司書がエーテライズを行うのに適した部屋もあり、そこでは大学の魔法司書課程の授業や講習、外部向けのセミナー等が日々行われている。

 これら館内でのエーテライズに適した空調にも気を使われており、一箇所にエーテルが吹き溜まらないように――


「トワッチー」

「ほんと図書館好きよね」

 ハルとウララは入口で立ち止まり前世の図書館との差異から如何に今世のこの図書館がよく考えて設計されているかを実感しているトワに呆れて声をかけた。

「はっ、はーい」

 我に返ったトワは慌てて追いかける。

「調子は戻ったようだな」

 そんなやりとりを見て九重は笑う。


 館内はいつもより人が多かった。大学図書館では紫苑祭中、学内の魔法司書達によるエーテライズ教室が終日おこなわれている。トワ達も午後の部の指導に参加する予定だった。そして今日も地下の大ホールで魔法司書協会会長の七星アヌビスのよる講演会が行われる。

 ちょうど昼過ぎの演劇サークルによる劇が終わったばかりで、地下への階段からは多くの来場者が登ってきていた。


 一階席のホールに入ると次の講演会を見にきた客や取材陣で、既に席はほとんど埋まっていた。前世の時より圧倒的に人は多く、それだけアヌビスが世界に与えた影響は大きかったのだとトワは実感した。


「きたわね」

 ステージの上で他の魔法司書と最後の打ち合わせ中のスーツ姿のアヌビスが、入ってきたトワ達を見つけて振り返った。

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