第53話 選択(3)

 校庭を抜け、大学の敷地に入る。そして教職員用の駐車場まで来ると、ゴンタとウカは立ち止まり、辺りをきょろきょろと見回し始める。

「ん? お前らこんなとこで何してんだ?」

 停まっている車の間から九重がひょっこりと姿を現す。

「オリヒーこそどっか行ってたの?」

「先生免許持ってましたっけ?」

「いんや。午前の部終わった後に取材を受けて、戻ろうとしたらこいつが突然走り出してな」

 九重の足元にはエーテルキャットのタクトがどっしりと座り込んでいた。

「しまった、こいつかー」

「うーん、そうよねー」

 ハルとウララはがっくりと肩を落とす。ゴンタとウカはタクトの跡を追ってしまったようだ。

「ここから動こうとしないんだよ。引っ込めようとしても拒否するし」

「タクトはいつも眠そうにしてるよね」

「走ってるとこなんて見たことないわね」

「そうなんだよ。こいつ目録容量やたら少ないくせにクソ重いからな」

 三人が呑気にタクトについて好き勝手言っている間、トワはゆっくりとタクトに近づく。


「……」

 トワとタクトは黙って見つめ合った。赤い瞳と青い瞳がお互いを写し合う。


『必ず見つけ出すからな! トワ!』


「!」

 誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。トワは辺りを見回すが、その声の主は見つからない。他の三人にも聞こえた様子はなくまだ談笑している。

「……この子、じゃないよね……?」

 トワはゆっくりとタクトの頭に手を伸ばす。タクトはずっとそれを待っていたかのように瞳を閉じて静かに受け入れた。




 戦いの勝利条件はネフティスの破壊、或いはアヌビスの無力化。

 この竜がアヌビスのエーテルキャットである以上、その存在をエーテライズで分解することができれば、場を支配する因果断絶結界も崩壊する。トワ達はそう考えた。

 ハルとウララが前衛に立ち、ゴンタとウカをけしかけ、ネフティスの行動を誘う。その隙を突いてトワがエーテライズでネフティスの分解を試みる。

 九重はアヌビス本体を狙い、タクトの力で昏倒を狙う。


 戦闘はトワ達優勢で進んだ。上半身しか顕現できていないネフティスの動きは単調かつ鈍重で、ゴンタとウカを捉えられず、ホールにそれなりの被害を出しつつも、トワが少しずつ分解していくことで、その身体を維持できなくなっていった。

 九重とアヌビスも睨み合いの膠着状態のまま、結果的にトワ達の自由を許した。


 だが結界の進行は無常に進み、ついにアヌビスを除く全員が動けなくなってしまう。

 イツカに手を伸ばすアヌビス。そこへデューイが飛び込む。

 しかし最後の最後で邪魔が入ることを予見していたアヌビスは、崩壊しかけたネフティスを客席で凍りついているクオンにけしかけ、デューイはそれを庇うことで霧散してしまう。


 ついにトワの手からイツカを奪い取ったアヌビス。結界がイツカに収束し、イツカを世界から切り離す。エーテルの根源を失った世界は逆流を始め、全ての存在と記憶の巻き戻りが始まる。

 アヌビスが勝利宣言をする中、九重がタクトをトワに投げつける。後ろには結界に綻びを作った消えかけのデューイ、エーテル増減装置で穴を無理矢理こじ開けた八咫ソウガがいた。

 そしてタクトはトワの今世の全ての記憶を食べ、世界は閉ざされた。




「トワッチ?」

「トワちゃん?」

「おーい、どうした彩咲―?」

 三人が心配そうにトワの様子を伺う。

「……あ」

 トワは屈んだまま長い間タクトの頭に触れていたことに気付き、立ち上がる。

「あっ、えっと、だいじょうぶですっ!」

 そして苦笑いを浮かべながら両手を振って応える。


「そうだオリヒー、猫見なかった?」

「猫? 見てねーぞ。誰かのエーテルキャットか?」

「多分そうだけど。うーん、どうする? トワちゃん。もう少し探してみる?」

 三人は駐車場を見回す。それらしい猫は見当たらなかった。


「もういいです。気のせいだったかも」

 トワは困ったような顔をして探し続ける三人を止めた。

「そうか? じゃあ戻るか。お前ら昼飯食べたか? 奢ってやろうか?」

「マジで? 食べたけどまだ食べてない!」

「大学の食堂行ってみたいです」

 歩き出す三人の背を見送りながら、トワは黙って踵を返した。


「デューイ!」

 トワが呼ぶと、茂みの中から白い猫のエーテルキャット、デューイが現れる。

「にゃあ」

 デューイは嬉しそうにトワの胸元に飛び込む。

「あはは、デューイは覚えててくれたのかな?」

 トワはデューイを抱きながら顔を押し付けて、力無く笑う。その瞳の端から涙が零れ落ちる。

「ごめんね。ずっと待たせちゃった」

 そしてふらふらと歩きながらベンチに座り込んだ。

 頭痛が酷かった。前世の九年分の記憶を一気に思い出したのだから無理もなかった。今世の九年間の記憶と合わさって気が遠くなりそうだった。

 前にイツカが神の目録で見た記憶を切り離した理由がわかった気がした。九年間の人生の記憶二回分でもこの身にはあまりに過ぎた量だった。

「にゃあ……」

 頭を抱えて苦しんでいるトワにデューイが心配そうに鳴き声を上げる。

「……だいじょうぶ。ちょっと記憶の整理をしてるだけだから……」

 トワは額に汗を流しながら、デューイに苦笑いしてみせた。


 前世でアヌビスとの戦いに敗れ、今世に世界は巻き戻された。過去改変、並行世界、分岐した未来、どれが正しい表現なのかはわからなかったが、本来人は今世の記憶しか持ち得ない生き物として作られていることだけは嫌でもわかった。

「そうだ! イツカ君は!」

 トワは自分のエーテルキャットである赤い本を呼び出した。

 前世のイツカの本と見た目は全く変わらなかった。だがそこにイツカの意志は感じられなかった。中身も前世で集めていたコードはなく、今世で集めた記録だけで、今見ると抜け殻のような状態だった。この本を使う時にいつも感じていた空虚感の原因もそれだった。


「行かなきゃ、いけないよね」

 しばらくぼんやりと空を見上げた後、トワはゆっくりと立ち上がると、歩き出した。大学中央図書館に向かって。そこにイツカに繋がる手がかりがあるに違いない。そしてこの事態を引き起こした張本人、七星アヌビスもいるはずだ。

 まだ止まぬ頭痛にふらつきながらも一歩踏み出したところ――


「トワッチ! いた!」

「あら、その猫、見つかったんだ」

「どうした? 顔色悪いぞ」

 大学の食堂に向かったはずの三人が戻ってきていた。

「えっと……」

 トワは三人の顔を見て困惑する。前世の三人と、今世の三人は同じようで違う。今世の三人なのは間違いないが、どうしても前世の三人を思い出して記憶が混濁する。

「ちょっと、ふらふらじゃない! ほら横になって!」

 ウララがそんなトワを見て優しく背に手をかけてベンチに向かわせる。

「……行かないと」

「むりすんなー」

 ハルもデューイを預かると、嫌がるトワを優しくなだめ、先にベンチに座ったウララの膝の上にトワを寝かせる。

「……はあ」

 早く図書館に行きたいトワだったが、身体がそれを拒絶しているのを感じて、ついに観念して大人しくされるがままになった。

「大丈夫か? ちょっと飲み物買ってくるから休んでろ」

 九重はそう言うと近くの自動販売機に向かった。


「前にもこんなことあったな……」

 曇天の白い空を見上げながら、トワは独り言のように呟いた。

「えっ?」

「……三人で神田の楽器屋に行った時、わたし鼻血出しちゃって、こうやってウララちゃんに膝枕してもらったじゃん」

 トワは言いながらそれは今世ではなく前世のことだとわかっていた。今世ではその経験はない。

「えっと、そんなことあったっけ?」

「んーん? 楽器屋?」

 ウララは後ろに立っているハルに振り返り尋ねるが、ハルも心当たりなく首を振る。

「それで――」

 仲良くなって「さん」付けで呼び合うようになった。今世ではもう「ちゃん」付けで呼び合っているので、前よりも早く深く仲良くなれたのだろうか。

「ふふっ……」

 トワはそんな違いを実感して嬉しくなり、そして強烈な孤独感を覚えた。

 もう前の二人には会えないのだと――


「ほら飲め。午後のエーテライズ教室は休んどけ、俺達でやるから」

 戻ってきた九重が三人に水のペットボトルを渡す。

「……みんなに聞いてもらいたいことがあります」

 起き上がったトワは、三人の顔をじっと見回した後、ゆっくりと静かな声で告げた。

「どした?」

「あらたまってどうしたの?」

「……」

 三人とも神妙な顔をしてトワを見つめ返す。その真剣な表情から大事な話であることだけはわかった。


 そしてトワは全て話した。

 自分には前世の記憶があり、この世界は七星アヌビスによって書き直された世界であると。その原因となるエーテルキャット、相馬イツカのことを。

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