第52話 選択(2)

 紫苑祭二日目も大盛況の中始まった。

 中高大合同の学園祭ということもあり、規模は大きく内外からの注目度は高い。本校は昔から魔法司書教育が盛んで、いち早く教育課程に組み込まれたことでも有名であった。大学では魔法司書資格を修得できることもあって、年々入学競争率が上がっている。

 今年の紫苑祭では午後から大学中央図書館で魔法司書協会会長、七星アヌビスの講演会がおこなわれるとあって、海外からの来場者、取材陣も少なくない。

 アヌビスもまたこの学校の卒業生であり、魔法司書課程の導入を推し進めた一人でもある。今や図書館司書としてだけでなく、エーテル技術者の先駆者としても世界中から注目されている。


「準備はいいかー?」

 中等部の図書室、教師の九重オリヒコの声が響く。

「はい!」

 一斉に図書委員達の元気のいい掛け声が返ってくる。

 図書室の中では十数人の図書委員が午前のエーテライズ教室に向けて、準備を進めていた。

 初めてエーテライズに触れる人向けの体験コーナーに、エーテライズを駆使した本の修理、収納の実演。演目は昨日と同じだ。

「先生、この子の名前なんて言うんですかー?」

 生徒の一人が部屋の隅で眠っているバクの姿のエーテルキャットを見て尋ねる。九重は滅多に呼び出さないが、今日は準備のために呼び出したため、初めて見た生徒も少なくなかった。

「あーん? タクトだよ。あんま触んなよー」

「へえ。何か由来とかあるんですか?」

「――学生の頃の同級生の名前だよ。顔が似てんだよ」

 九重は面倒臭そうに答えるが、笑っていた。

「えー。今も付き合ってるんですか?」

 生徒達から意味深なざわめきが上がり、きゃあきゃあと騒ぎ出す。

「静かにしろー。まあたまに飲みには行くかな。って、何言わせやがる」


 さらに盛り上がる女子達とそれを呆れながら戒める九重を尻目に、トワは準備を進めながら、自分の手元の赤い本に目を落とす。

 いつからこれを呼び出せるようになったのか、エーテライズを使えるようになったのかは記憶が曖昧だ。三年程前には既にできていた。正直エーテルキャットとしての性能は低く、記憶容量が極端に少ないため、収録できる書誌の数が限られているのが不満の種だ。

 それでもトワが弱冠九歳で魔法司書志望者にとって難関校である紫苑中に飛び級編入できたのは、エーテルの扱いに非常に長けているからだった。最小限の工程で驚くほど早いエーテライズは面接官達の度肝を抜いた。

 だが当の本人は満足していなかった。もっと上手くやれるはず。もっと深く、鮮明に、エーテルを編めるはず。いつもそんなもやもやした気持ちが胸中にわだかまっていた。


「彩咲―。あと任せていいかー?」

 タクトに群がる生徒達を散らしながら九重はトワに声をかける。

「はーい」

 トワが返事をすると、生徒達はいそいそと自分の作業に戻り始める。みなトワの魔法司書としての実力は認めるところで、その尊敬と対抗心の入り混じった反応にトワは今だに馴染めずにいた。だが――


「ヤバ、もう始まるー?」

「屋台のたこ焼きつまみ食いなんてしてるからよ」

 二人の生徒が図書室に入ってきた。片桐ハルジオンと柳葉ウララだった。

「おせえぞお前ら。俺はもう行くからな。彩咲の言うことちゃんと聞けよ?」

 九重は言いながら入れ違いで図書室を出ていく。

「トワッチ、おっはー」

「今日もよろしくね」

「はいっ」

 屈託なく話しかけてくる二人に、トワは笑顔で応える。


 ――この二人がいるおかけでトワは大分救われていた。二人に比べればエーテライズがちょっと得意なだけの自分なんて大したことない。そう思えた。



 紫苑祭二日目、午前の部は終わり、十二時からの昼休み時間に入っていた。


「ふむふむ、なかなか好評なようで」

 中等部の校舎屋上、他の生徒のいない中、校庭の屋台で買ってきたチョコバナナを頬張りながら、片手で携帯電話をいじるハルが声を上げる。

「何がよ」

 同じく高等部の出店で買ってきたドーナッツを頬張りながら、ウララが画面を覗き込む。

 学校公式のSNSでは、様々な書き込みがされていた。午前二回のエーテライズ教室は何事もなく無事終わり、その評判も上々なようだった。

「やっぱ、アタシら出ちゃうと話題独占しちゃうなー。おっと、アタシも投稿しとかないと」

「よく言うわ」

 嬉々として片手で高速の打ち込みをするハルを、ウララは呆れながら笑う。

「ん? トワッチどした?」

 自分のSNSに自撮り画像をアップロードしたハルが、少し離れて校庭の出店や公演で賑わう人々をぼんやりと見つめるトワに声をかけた。

「――えっ? いや、なんだろ?」

 トワは我に返ったようにきょとんとした顔で応える。

「?」

 ハルとウララは不思議そうな顔でトワを見つめる。

「前にも、こんなことあった気がする」

 トワは空を見上げる。昨日も今日も曇天だ。ちょっと肌寒い。

「デジャブってやつ?」

 ウララが心配そうに隣に座る。ハルもウララの後ろから抱きつき、ドーナツを一つひょいと奪う。

「たぶん。でもこれは――」

 トワは自分の両手を見つめる。何かが足りない。そんな気がした。


「二人は今の魔法司書についてどう思う?」

 そして顔を上げると二人に問うた。

「えっ? どした? 急に」

「今の魔法司書――?」

 二人は面食らったが、トワのその顔が真剣なことに気付き、何か大事な問いなのだと直感した。

「えーと、楽しいじゃん? みんなどんどんエーテライズ使えるようになってきてるし、その最先端を走ってるって気マジする」

「そうね。昔はそれで虐めとかあったらしいけど、私達の頃にはもう使えるの当たり前になってたし。いい時代になったと思う」

 二人はそれぞれ答える。

「……そう、だね」

 トワはそれを聞いて目を瞑って考えた。

 自分もそうだった。物心ついた頃にはもう世界にエーテライズは、魔法司書は当たり前の存在になっていた。

 だがトワにはずっと違和感があった。このあまりに美しい世界に。そして激しい空虚感もあった。何かが足りないのだ。

「!」

 不意にトワは屋上の入口を振り返る。

 半開きのドアの隙間から、白い猫の後ろ足が見えた。今朝見たのと同じ猫だ。

「まって!」

 猫がふいと姿を消したのでトワは立ち上がり、入口に向かって走り出す。

「トワッチ?」

「トワちゃん?」

 呆然とする二人だったが、お互い顔を見合わせて頷くと、すぐにその後を追った。


 トワは階段を駆け降りると、真っ直ぐに図書室に向かった。猫の姿は既になかったが、そこに行かねばならない気がした。

「えっと……」

 図書室の入口の前で、トワは立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回す。

 しかし、その先が見えなかった。どこに行けばいいのか全くわからなかった。

「そんな……どうして……」

 トワはその場でがっくりと膝をつく。周りの人々が何事かと立ち止まり見守る。


「トワッチ!」

「大丈夫?」

 駆け付けた二人がトワの身体を支える。周りの人々は心配そうな眼差しを向けながらも散っていく。

「とりあえず図書室に――」

「見えないんです!」

 図書室に誘おうとするウララの手を跳ね除けて、トワは叫び、立ち上がろうとしない。

「トワッチ、落ち着けって!」

 そして癇癪を起こした子供のように暴れ出すトワに、ハルは抱きついて、無理矢理抑え込んだ。

「大丈夫だから! 私達がいるから!」

 ウララもトワの手を両手で握りしめて、祈るように懇願する。


「……ごめんなさい」

 その後しばらく三人抱き合ったまま時間が経ち、ようやく落ち着きを取り戻したトワが恥ずかしそうにぽつりと呟いた。

「おけおけ、たっぷりトワッチ分補充できたから」

「……まったく、それで、一体何があったの? 屋上で誰かいたの?」

 まだしつこく抱きつこうとするハルを必死に引き剥がしながらウララが尋ねる。

「猫がいたんです」

「ねこ?」

「知ってる猫なの?」

「ううん、知らない、はず。でも、知ってる、気も、する」

 ウララの問いにトワはしどろもどろに答える。確証はなかった。ただ――普通の猫ではない。そんな気がした。

「誰かのエーテルキャットなんじゃね? 憧れのトワちゃんをこっそり盗撮とか――」

「あんたねえ……」

 ハルが何気なく言った推察にウララが呆れるが――

「それだ!」

 トワは激しく食いつく。

「お、おう?」

「……確かにそれならすぐに姿が見えなくなったのも消したから、か」

 三人は辺りのエーテルの流れに注視する。

 だが、特別おかしな痕跡はなく、誰かがエーテライズをした様子はなかった。


「ふむ、試してみるか」

「そうね」

「えっ?」

 ハルとウララは立ち上がると、手をかざしてエーテライズを始め、それぞれのエーテルキャットを呼び出す。

「キュウ!」

「キャーン!」

 呼び出されたゴンタとウカは不機嫌そうに鳴き声を上げる。午前のエーテライズ教室で活躍したばかりで、まだお昼休み中だったようだ。

「まあまあそう怒んなー」

 ハルはどうどうとゴンタの背を撫でてご機嫌をとる。ウララもウカの頭を撫でようとするがツンとそっぽを向かれる。

「あの……」

 二人がエーテルキャットを呼び出した意図がわからず、トワが声をかけると――

「キュウ?」

「キャン?」

 二匹のエーテルキャットはトワを一瞥した後、きょろきょろと辺りを見回し始める。

「おっ、いけそう」

「うん」

 二人が上手くいったとばかりに頷くと、二匹のエーテルキャットは廊下を駆け出した。

「追うよ!」

「トワちゃん!」

「あっ! はいっ!」

 そして三人は後を追って駆け出した。周りの人々が何事かと道を開ける。


「でもどうして? エーテルの痕跡はなかったのに」

 下駄箱から中等部の校舎を出て、校庭の端を走りながらトワが尋ねる。

「エーテルキャットは私達よりエーテルの気配に敏感なのよ。私達にも見えないエーテルの跡を見つけられる」

「それにこの感じだと、あの子らが知ってるエーテルキャットっぽいねー」

 トワの問いにウララとハルが答える。

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