第47話 紫苑祭(7)

 彼には向田むこうだタクトという友人がいた。

 まだ幼い少年の頃のことだ。

 共に学校に通い、共に放課後遊び、共に未来を語り合った幼馴染であり、親友だった。

 高校生になり、それぞれ別の学校に進んだ後も、二人の交友は続いていた。

 だがある日、タクトは交通事故で亡くなってしまう。

 九重は失意の中、魔法司書に目覚め、記憶を食べるエーテルキャットを生み出した。自分の心を守るためだった。


 ――そこから先の記憶は断片的で、もうほとんどエーテライズを使って来なかったということだった。だが一年前のハルとウララの記憶が残っていた。

 三人は出会い、お互いの境遇から惹かれ合い、その仲を深めていった。

 そして二人が大喧嘩をするのを止めるためにエーテルキャットを使い、二人の、そして自分のある記憶を食べさせ、三人の関係は収束した。その記憶とは――



「そいつを全部消しちまってほしい。自分じゃどうしてもできなくてな。消し方まで忘れる始末だ」

「そんなこと!」

 できるはずがなかった。この記憶は九重にとって忘れたい過去だったのかもしれないが、捨てられない過去でもあるのだ。消していいはずがない。


 トワは長い沈黙の後、決意に満ちた目で、左手をバクの頭の上に、右手をゆっくりと九重の胸元に伸ばす。

『トワ! 何をする気だ!』

 イツカが再び叫んで制止する。

「先生の記憶を戻す。できるでしょ?」

 トワは毅然とした声で答える。その目には何の迷いもなかった。

『――っ、それは……』

 その様子にイツカは言葉を詰まらせる。

 確かに今のトワならこのバクから記憶を抽出して、九重の元に戻して定着させることもできるだろう。だが本当にそれでいいのか?

『お前からも何か言えよ!』

 イツカもどうするのが最善なのかわからず、堪らず九重に向かって叫ぶ。

「……まあ、そうなるよな。けど余計なお世話だぜ」

「えっ?」

 九重はそう言うと、トワの伸ばした手を優しく掴み、下げさせる。

「エーテルキャットの特性は作った本人の願望に影響される。こいつはきっと俺に忘れたいという願いがあったから産まれた」

「願い――」

 トワはその言葉を重く受け止めた。今まで出会ってきた魔法司書はみな、何かしら願いを持っていた。その形は様々で、必ずしも本人の望む形ではないように見えても、やはりそれは本心からの願いであった。


「記憶を失くして立ち直れたからこそ今の俺があるんだと思う。だからもういい」

 そう言って九重はトワの手を離した。

「でも……」

『――生きている命によって産み出される未来があるのと同時に、失われた命によって産み出される未来もある』

 まだ納得できていないトワに、イツカが淡々と語りかける。

「それって――」

『ああ、神の目録で母さんが言った言葉だ。トワはあの時、自分の真実を思い出してどう思った?』

「あっ……」

 あの時、トワは思い出した。自分は本来死ぬはずの運命だった。だがイツカがその身体を譲ってくれたことで命を繋いだことを。

 それを思い出した時、自分が何故イツカを人間に戻すことに拘っていたのかを理解した。それはイツカに対する罪悪感だった。

 そしてトワは死を受け入れようとしたがイツカの言葉を受け、共に生きていくことを選んだ。


「……本当に、何も未練はないんですか?」

 トワは目を瞑り、その時のことを思い出した後、目を開き、九重を真っ直ぐ見つめて尋ねた。

「!」

 その瞳は深い赤色に輝き、それを見た九重は息を呑む。とてもまだ幼い少女には思えない迫力があった。

『……そう決めたか。観念しな。こいつは頑固だからな。納得しないと梃子でも動かないぜ』

 覚悟を決めたトワの言葉に何かを察したイツカが追い打ちをかける。

「……わーったよ。もちろん未練はあるよ。でも思い出したって辛いだけだろ? 今が変わるわけじゃねえ。別に記憶を無くさなくたって、自然と忘れてくし、大人になるってのはそういうことだ。お前らもいずれわかるさ」

 九重はじりじりと迫るトワに気圧されながら、言い訳がましく弁解する。

「やるか」

『だな』

 トワ達はそんな大人の汚い理屈には屈せず、実行を決めた。

「お、おい、落ち着け! そ、そんなことより早く図書館行かないと――って、うおっ!」

 逃げ出そうとした九重が足を取られてその場に尻餅をつく。足元にはバクが行かせまいと九重のズボンに噛み付いていた。

「だいじょうぶ、すぐ終わります。わたしたちだってつらい過去を思い出しても平気だったんだから、大人の先生なら何も問題ありません」

 トワは冷淡な声でそう告げると、屈み、左手をバクの背に、右手を転んだままの九重の胸に押し当てる。

「や、やめ――」

「イツカくん、手伝って」

『わかってる』

 トワの言葉と共に、バクの身体の分解が始まり、青いエーテル粒子に変わっていく。それは導かれるようにトワの右手に集まり、そして九重の胸の中に入っていく。

「! これは――この記憶は――」

 九重はそれを受けながら頭の中に失われた記憶が戻っていくのを感じる――


「ふう」

 エーテライズが終わり、トワは立ち上がると息を吐く。慣れない作業に緊張はあったが、イツカのバックアップがあれば失敗する気はしなかった。

『どうよ? 思い出せたか?』

「え? あ、ああ――けど」

 九重は立ち上がると、指をぱちりと鳴らす。すると足元にバクが現れ、もう一度鳴らすと、バクは消えた。

「――消し方、だけ?」

 九重は拍子抜けした間抜けな声を上げ、そして安堵で息を吐く。

「むー。それだけじゃないでしょ」

 その様子を見たトワは不満げに頬を膨らませる。

『そのエーテルキャットは記憶を食べるんじゃなくて、記憶を保管するんだよ。辛い記憶もいつか受け入れられる時が来たら引き出せるように。そう作ったのはお前だろ?』

 イツカがやれやれと補足する。それらはトワと共に記憶を読んだ時に見えていた。

「ああー! そういうことかー! あはは、わるいわるい! それも忘れてたわ!」

 九重はわざとらしく声を上げると、頭を掻いて懺悔する。


「あとは自分で思い出してください。お・と・な、なんでしょ!」

 トワは先程子供扱いされたことを根に持って、ぷんぷんと言い放つ。

「ああ、そうだな。全く大した奴だよ。ホントお前達は」

 九重はどしどしと歩き始めるトワを笑いながら追いかける。一瞬荷台の中でまだ眠りこけてる二人を見て、頃合いを見て戻してやらないとなと、今はそのままにしておいた。


「それに――大事なことは忘れてなかったんですよ」

 図書館へ向かうトワは立ち止まると、振り返った。

「そのエーテルキャットの名前は覚えていますか?」

「ん? ああ、言ってなかったな。タクトだよ。何でそう付けたかは忘れたけど」

 九重は追いかけながら、何気なく答えた。


 トワはそれを聞くと満足げに笑い、歩き出した。

「にゃ!」

 そしてずっと見守っていたデューイがよくできましたとばかりに鳴きながら、その足元に付き従った。

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