第48話 紫苑祭(8)

 紫苑女子大学中央図書館。近年建て替えられたばかりの五階建ての図書館で、その蔵書数は四百万冊以上に及び、これは国内の大学図書館では上位十以内に入るほどだ。

 外観は一面白い壁で覆われ、窓も少なめの簡素なデザインとなっている。これは機能性を重視した結果である。現代風のお洒落な図書館は往々にしてデザイン性を重視して、一面ガラス張りで日の光を多く取り入れる開放的なものが多いが、これは図書館としては実は大きな問題がある。本にとって日光は天敵で、浴び続けると日に焼ける、色飛びを引き起こしてしまうのだ。

 内部の照明や防音、気温、湿度にも気を使われており、人だけでなく本にとっても最適な環境作りへの配慮がなされている。

 そしてその蔵書構成は――


『トワ、もういくよ』

「あ、はい」

 入口でずっと恍惚の表情を浮かべて立ち止まるトワをイツカが嗜めた。

「やっぱまだまだ子供だな」

 既に先を歩いていた九重は振り返ると、トワに聞こえないように小さな声で呟き、苦笑した。


 図書館地下大ホール。図書館地下にある収容人数五百名の多目的ホールで、学会や講演会のみならず、演奏会や演劇まで可能だ。この後、魔法司書委員会による講演会が行われる。

「すごい……」

 トワはそのコンサートホール並みの巨大な広い空間に圧倒される。多数の座席が並び、二階席まである。紫苑祭ではここで様々な催しが行われていて、先程まで大学の演劇サークルの劇が終わったばかりで、まだ人もたくさんいた。

 ちなみにトワ達の演奏会は残念ながらここではなく、中等部の体育館だ。

『トワ、クオンさん来てるぞ』

 観客席の前の方に座っているクオンをイツカが見つけた。

「えっ? あっ、本当だ。どうしよう。もう時間ないし」

 トワが話しかけに行こうか迷っていると――


「あっー! オリヒーいるー!」

「先生無事でしたか!」

 トワと九重の姿を見つけたハルとウララが駆け寄ってくる。

「おう、悪かったな心配かけて。なかなかお偉いさんが解放してくれなくてなー」

 九重はわざとらしく声を上げて笑いながら、トワに話を合わせろと目配せする。

「?」

 トワは意図がわからず小首を傾げる。図書館に来る前に携帯電話で九重の無事は知らせてあった。エーテライズの力を取り戻したことも含めて。

「えぇー? 本局に拉致られてたんでしょー?」

「あっ……ハル、話合わせてあげて。トワさんに助けられて格好つかないのよ」

「あっ……察し……そうかそうかーお仕事大変でしたなー」

 ハルとウララのわざとらしいやり取りに、九重は頭を抱え、トワはきょとんとする。


「それで? 午後の講演とエーテル教室の方は大丈夫そうなのか?」

 ステージの袖に集まった一行の中、九重が問いかける。既に周りでは魔法司書委員会の職員や司書が慌ただしく準備を進めている。

「大変だったんだよ! 図書館の至る所にアレが設置してあって!」

 ハルはダンボールに積まれたエーテル増減装置を指差す。

「撤去はほぼ完了しました。不審者も委員会の人達と何人か捕まえて、先生方にも了承を得て警備の人を増員してもらっています」

 ウララが言いながら観客席を見やる。講演会を見るための客や、取材陣で一階席は半分以上埋まりつつあった。そして各出口には制服を着た警備員が配置され、物々しい雰囲気を出していた。

「イツカッチどう?」

『今のところ怪しい気配はないな』

 ハルの問いかけにイツカは答えたが、正直あまり自信がなかった。どうも大学の敷地に入ってから調子が良くない。九重の件はトワと一緒だったから問題なかったが、一人で因果を辿ろうとすると、神の目録へのアクセスが切断され未来が見えない。


「どうやらみんな無事みたいね」

 そこへスーツ姿のアヌビスがやってくる。

「よく言うぜ。妨害が入ることを知ってたっていうじゃねえか」

 九重が悪態をつく。

「でも問題なかったでしょう? もしこの子達に危険が及ぶようなことがあれば、うちの魔法司書で対処する用意はできていたから大丈夫よ」

 アヌビスは後ろに控える何人もの魔法司書を振り返る。みな叩き上げのベテラン魔法司書だという。

「でも炎上してるみたいだよ?」

 ハルは携帯電話に写されたSNSの画面を見せる。

「世間の注目を集めるにはそれくらいでちょうどいいわ」

 アヌビスは涼しい顔で続ける。

「まあ、悪い様にはしないから聴いてて」

 そしてにやりと不敵な笑みを浮かべると、ステージの階段を登っていく。


「こいつは荒れそうだな……」

 九重は呆れた声を上げる。一同はステージの袖で見守ることにした。

 アヌビスが現れると一斉にカメラのフラッシュが始まり、彼女はそれに手を振って応える。

「さすアヌ!」

「全く底が知れない人……」

 ハルとウララはどこか楽しそうにこれから始まるアヌビスの講演を待ち侘びた。

『……』

「イツカくん?」

 対してイツカは嫌な予感しかしなかった。妙にそわそわした。


 だが、そんなイツカの杞憂とは裏腹に講演は順調に進んでいた。

 まず魔法司書の歴史、成り立ちから始まり、スクリーンには魔法司書委員会が作成した登録魔法司書の総数のグラフが映し出される。三ヶ月前から急増している。

 これに対して各国の図書館が始めた活動の紹介、日本における魔法司書委員会の設立背景と目的、これまでの活動内容の報告へと続く。


「委員会はもっと前からあったんでしょ?」

 ハルが何気なく尋ねる。

「ああ、十年前に相馬ケイが論文発表した頃にはもう動き出してたらしい」

 九重がそれに答える。


 そして魔法司書委員会のこれからの活動内容をひとしきり話し終えた後、アヌビスは一息ついてから観客席を見回す。前列のプレス席の記者達だけでなく、後ろにも多くの教師や生徒、わざわざ海外から講演を聴きにきた図書館関係者も少なくない。カメラも回っており、配信にて全世界から視聴が可能となっている。


「さて、これから質疑応答の時間なのですが、まず先に話しておくことがあります」

 既に手を上げる気満々で目をぎらつかせている記者達を尻目に一呼吸置いた。

「既にご存知の方も多いかと思いますが、午前中二回行われたエーテライズ教室においてトラブルがありました」

 待ってましたとばかりに記者達からざわめきの声が上がる。

「まずはこれについて深くお詫び申し上げます。幸い怪我人等はおらず、無事終えることができたと報告を受けています」

「何者かに妨害されたのではという話もありますが!」

 我慢できずに一人の記者が声を上げる。

「調査中です。エーテライズは繊細な作業故、様々な要因が成否に関わってきます。また魔法司書のコンディションにも大きく左右されるため、そのケアにも十分注意を図っていきたいと思っております」

 アヌビスの紋切り型の回答に、記者達は次々と不満の声を上げる。彼らが訊きたいのはその何者かが誰であり、どうやって妨害が行われたのかという部分なのだ。


「あれ? 隠すんだ……」

 ウララも意外に感じて疑問の声を上げる。

「そりゃあ本局の連中がやった、妨害装置がありますなんて言えるわけねーわな」

 九重が既に質問責めが始まり一人一人丁寧に応対しながら答えるアヌビスを見ながらぼやく。


「魔法司書に目覚めた子供の虐めや犯罪が問題になってきています。どうお考えですか?」

 指された記者の一人が質問をする。これも待望の問いなのか、記者一同一斉に静かになる。ハルとウララは一瞬眉をひそめる。

「はい、そういう件が急増していることは私達も把握しております。そのため我々魔法司書委員会では相談窓口を用意しており、魔法司書の保護、育成に努めていきたいと考えております」

 しかしこれもまた紋切り型の回答で、記者達から次々と不満の声が上がる。

 だが――


「ただ、一つ言えるのは、魔法司書の力は決して病気や特異体質などではなく、本人の素質、才能であるということです」


 その驚くほど冷たい一言で場の空気が変わった。記者達は黙り、会場に静寂が訪れる。

「あいつ――何する気だ」

 九重もそれを感じて身を乗り出す。ハルとウララはよくぞ言ってくれたと顔を紅潮させる。

「いけない……」

 トワも不穏な予感がして思わず声を漏らす。


 だがその沈黙も長くは続かず、記者達の詰問が再開する。それはどういう意味なのか。人権無視なのではないか。選民思想なのかと、次々と罵倒が始まる。


 しかし、それらの声を目を瞑って黙って受けながら、アヌビスは邪悪な笑みを浮かべ、目を開き、両手を前にかざし、ぱんっと拍手する。

 記者達が再び一瞬驚きで黙ると同時に、アヌビスの後輩頭上の空間が大きく歪み、そこから巨大な青白い両腕が飛び出してくる。


 空間の歪みは広がり、竜の半身が浮かび上がっていく。 

 長く太い鱗に覆われた首の先には白い牙と角を剥き出しにした顔が、サッカーボール大ほどあるのではという目玉がぎょろりと見下ろす。

 閉ざしていた両翼が広がり、その風圧でホール内の機材の多くが吹き飛ぶ。

 記者達や観客は恐怖に慄き、悲鳴を上げ、逃げ出す者、放心して立ち尽くす者、狂乱の様相を見せた。


「大丈夫。危険はありません」

 そんな中、アヌビスは涼しい顔をして竜の手に乗り、その肩の上に乗せられて笑う。

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