第46話 紫苑祭(6)

「イツカくん! どこから?」

『図書室の前の廊下からだ!』

 中等部の階段を駆け下りながらトワはイツカに尋ねる。九重の残した手がかりを。

 トワが九重に初めてエーテライズを見せた時、九重は修理本にあらかじめ犯人の名前を記入し、それをエーテライズで確認した上で消せるか試した。

 九重が電話で伝えたかったのはそのことで、おそらく連れ去られる時に同じように手がかりを残しているはずだった。


 図書室前の廊下に辿り着くと、そこは教室からも離れているため、出店も展示物もない平時と同じ状態で、何も異常は見られなかった。魔法司書以外にとっては。

「これか!」

 廊下の隅に本当に微細なエーテルの欠片がいくつか落ちていた。魔法司書でなければ見えない濃度で、その場所に自然発生するとは思えないので、人為的に残されたものと知れた。

『ここからあいつの記憶を辿る!』

「うん!」

 トワは左手をイツカに添えて腰を落とし、右手でそのエーテルの欠片に触れて目を瞑り、九重の記憶を探る。

「――黒い服の男の人が二人、ここから先生を連れていった。先生は特に抵抗せずについていってる」

 そして目を開けて立ち上がると、廊下の先の非常口を見つめる。

『ここに残ってる記憶だけじゃそこまでだ。ここから先は俺が因果を辿る。いくぞ』

「うんっ!」

 トワは非常口から外に出る。そこは中等部の校舎の裏で、学校の裏口の近くだった。

「まさか学校の外に?」

『いや、大学の方向だ』

 イツカは九重が歩いたことで残った足跡にすらなっていないわずかな砂の乱れ、服が触れたことで生じた外壁の擦れ、そういった全ての痕跡から彼の行動を逆算していった。当然ノイズも膨大で、その仕分けは人間の脳では処理し切れる量ではなかった。


 高等部の校舎の裏を抜け、大学の敷地に入った途端、イツカのガイドの声が止まる。

「イツカくん?」

『……おかしい、痕跡が消えている? いや、何も起こっていない?』

 イツカは九重が干渉したであろう足跡が何も残っていないことに疑問を感じる。

「もしかしてここでまたあの機械を使われた?」

 トワはエーテル増減装置を思い出す。九重が手がかりを残していたことを気付かれて、痕跡を消すために使われた可能性を考えた。

『いや、俺が辿ったのは表面的なエーテルの流れじゃなくて、あいつの関わった因果を直接だから、それを消すことなんて……』

 イツカは言いながら奇妙な既視感を覚えた。嫌でも忘れられないはずのべったりと貼り付くような悪寒が思考を混濁させる。だがそれが何なのか思い出せない。

「どうしよう……」

 トワは立ちすくむ。大学の校舎の裏で人影はない。ここから校舎に入ったのなら、広い大学校舎内を探すのは時間がいくらあっても足りない。

『くそ……』

 イツカが苦悶の声を上げたところで、救いの声が鳴り響くのだった。


「にゃー」


 そこにはまるでいつまで待たせるのよと言わんばかりのうんざり顔の猫が一匹いた。

「デューイ!」

『!』

 トワは駆け寄る。今日一日全く姿を見なかった。どうもゴンタとウカを避けているようで、ハルとウララと行動を共にすることが増えてからはめっきり現れなくなった。

「あっ」

 しかしデューイはトワが近づくのを確認すると、踵を返して駆け出した。

「もしかして先生の場所知ってるの?」

「にゃ!」

 追いかけながらトワが尋ねると、デューイはわずかに振り返り、もちろんよとばかりに小さく鳴く。

『……』

 イツカはその姿に不思議な安心感を覚えた。悪寒は綺麗に拭い去られていた。


 デューイを追いかけた先は、大学の駐車場だった。

 教職員用のものでそれほど広くはなく、停まっている乗用車も多くない。しかし紫苑祭で使う資材や食材等の搬入用のトラックが平時よりも多く、どれも大きな荷台を積んでいた。

「この中のどれか?」

 トワが逡巡すると、デューイは迷わずトラックとトラックの狭い隙間を走り出す。

『トワ、見つからないように一旦離れよう』

「うん」

 トワはデューイが見える位置にある乗用車の裏に身を潜めて隠れた。幸い見張りらしき姿は確認できなかった。

 デューイは一台のトラックの前で止まる。無地の荷台で搬入業者のものではないと知れた。運転席には誰もおらず、デューイが近づいても無事ということは、今のところ周囲でエーテル増減装置は発動されていないということだが、中に積まれている可能性は高い。

『またあれを使われるとまずいが、どうするか――ん?』

「開いた」

 二人が作戦を考えようとした矢先、荷台の後ろのドアがゆっくりと開く。デューイはささっと隣のトラックの下に隠れる。

「よっと」

 荷台の中から九重が涼しい顔で出てきて飛び降りる。

「先生!」

 トワは飛び出し、九重の下に走り寄る。

「ん? 彩咲? どうしたこんなとこで」

 心配するトワとは裏腹に、九重は意外そうな顔で驚く。

「えっ? 先生が電話で探してくれって――」

 直接そう言ったわけではないが、そういう意図であのメッセージを残したのではないのだろうか。

「……ああ、頼んでたのか。ご苦労だったな。もう昼か。大分飛んだようだな……」

 いまいち話が噛み合わない様子の九重に疑問を感じつつ、トワは荷台の中を背伸びして覗く。

 立ち並ぶモニターと通信機器に見覚えのあるエーテル増減装置、やはりここから指示を出していたのは間違いなかった。

 そして床には二人の黒服の男が横たわっている。

「……そいつらは寝てるだけだから。半日は起きないだろうよ。神社本局の奴らだろうな」

 九重はあっけらかんと言い放った。彼がやったのであろうか。


『トワ! 下がれ!』

 不意にイツカが叫ぶ。

「えっ」

 トワは反射的に荷台から離れる。

 荷台の奥から何かがのっそりと近づいてくるのが見えた。

 馬のような長い顔と口につぶらな瞳、丸い耳、全身黒い毛で覆われた身体は馬よりは小さく、下手な大型犬よりは大きい。

「バクだよ。まあ、その、あれだ。俺のエーテルキャットだ」

 九重は頭を掻きながらバツが悪そうに答える。

「へえ。あれ? でもエーテライズは――」

「ああ多分無理だ。こいつを呼び出すこと以外はな」

 九重が手招きするとそのバクは寄ってきて、頭を下げて撫でるのを受け入れた。巨体のわりにおとなしい性格のようだ。

「……こいつは記憶を食う。エーテライズで読み取れる本の記憶だけでなく、触れた人の記憶すらな」

「えっ!」

 トワは絶句する。夢を食べるばくという伝説上の獣の話は聞いたことあったが、その特性を持っているということなのだろうか。

『おい触ってて大丈夫なのかよ』

 記憶にはうるさいイツカが堪らず心配する。

「へーきへーき。三人分がっつり食ったばかりだから」

 九重はバクの頭を撫でながら何気なく答える。

「え? それじゃあ……先生も……」

「ここに連れてこられる前あたりからの記憶が飛んでるな。寝てる二人も起きた頃には数時間分のことは全部忘れてるだろうよ」

『なんでそこまでして――』

「覚えてねえけど、どうせあいつらが何か言ってきたんだろ? そうでもなきゃ俺はやんねえはず」

「……」

 トワは言葉を失った。そんな危険なエーテルキャットが存在することに驚いたし、それを躊躇なく使った九重のハルとウララへの信頼の厚さにも感心した。


「で、彩咲、悪いんだが、こいつを消してやってくれないか?」

「えっ?」

 九重はバクの顔の下を撫でて、荷台の上から飛び降りさせる。バクは顔をもたげ、トワを見上げる。その瞳はエーテルと同じ青く輝いていた。

「呼び出し方だけは絶対に忘れねえんだが、消し方を忘れちまってな。見ての通り、こいつは野放しにすると危ない」

「それって……」

 トワはその言葉が何を意味するのかわかってしまった。

 出した本人が消すというのは仕舞うのと同義で、生成する手順を逆転させることで、再び生成可能なエーテル状態に戻すということだ。

 だがその生成手順を知らない他人が消すということは、文字通り全てなかったことにしてしまうのと同じだ。

『その後、もう一度呼び出したらどうなる?』

 イツカもそれに気が付いて、厳しい声で尋ねる。

「……まあ全部まっさらに戻ってるだろうな」

 トワはそれを聞いて、意を決してバクの頭に手を乗せる。バクは大人しく受け入れた。そんな凶暴な性格には見えない。なのに何故人の記憶を食べるなんてことをするのか――

「!」

『馬鹿! 見るな!』

 トワはバクのエーテル構造を、内蔵された書誌情報を、そしてさらにその奥にある記憶を読み取ろうとしていた。それに気がついたイツカが叫んで制止する。


「……何かおもしろいもんは見えたか?」

 九重はその様子を見て全てを察した。最初からこうすることが目的でトワを呼び出したのだと、忘れていた自分の思惑をも。

「……」

 トワは黙ってそれには答えなかった。

 案の定、バクが食べた九重オリヒコの膨大な記憶は残ったままだった。彼が何故そんな不器用なエーテルキャットを生み出したのか。その理由までも――

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