第42話 紫苑祭(2)
三十分はあっという間に過ぎ、トワ主導によるエーテライズ教室の時間となった。
『これから図書委員によるエーテライズ教室が中等部図書室にて始まります――』
ご丁寧に校内放送でまで宣伝してくれたため、図書室の中は満員、校庭側の窓の外にまで観客が立ち並ぶ大盛況となってしまった。
「あわわ……」
「おおお落ち着いてっ彩咲さん!」
「先生はやくきてー!」
さすがに萎縮するトワに慌てふためく図書委員達、生徒だけで捌くには荷が重過ぎた。
『(落ち着けトワ。これくらいオルラトルでもやってたろ)』
イツカがトワにだけ聞こえるようにそっと囁く。
「……うん。そうだった」
その声でトワはオルラトルの町に到着した日に、町の人々の前でクーリクの本をエーテライズした時のことを思い出した。ここは日本だ。あの時に比べればどうということはない。
「えー、ごほん。これからこの一冊の本をエーテライズいたします。この本はご覧のように古く、劣化も激しいです。エーテライズによって新しく作り直す工程をご覧いただきます」
トワは用意していた本を掲げ、やや芝居がかった口調で説明を始めると、集まった人々の顔を見回す。マスコミ関係者や携帯電話を掲げた客のカメラのシャッター音が次々と鳴り始める。
在校生に他校の生徒、おそらく学校見学と思われるトワとほとんど歳の変わらない子供も親と一緒にいる。魔法司書に興味を持った大人もたくさんいる。その全員が静かにトワの言葉を聞き、見守っている。
「すうー。はあー」
トワは深く深呼吸をして、右手に持った本を掲げ、左手をそっと腰のイツカに添える。
「(いくよ、イツカくん)」
『(ああ)』
二人は心の中で合図すると、エーテライズを開始する。
だが――
「!」
トワはすぐに異変に気づいた。右手に持った本が浮かび上がらない。
「えっ?」
トワは腕を下ろし、本を見つめる。まるでエーテルの流れが感じられず、本を分解することができない。前日に行ったリハーサルでは何も問題なかった。一体何が起こっているのかわからず、頭の中が真っ白になる。
「どうしてっ?」
困惑するトワに観客も動揺し始める。
「がんばって!」
「まだ子供じゃないか。教師は何してるんだ」
「まだー?」
「本当にできるの?」
「やっぱり手品かなんかじゃないの」
ざわざわと様々な声が上がり始め、トワはますます混乱する。他の図書委員の子らもおろおろするばかりで何もできない。
『ト――』
イツカが堪らずトワに大声で呼びかけようとした時――
「はいはーい! みなさん携帯電話の電源はオフにしてくださいねー!」
図書室入口にメイド服姿のハルが、その手に野球ボール大の銀色の球体を掲げて叫んだ。
その後、原因となっていたエーテル阻害装置を止め、力を取り戻したトワによって初回のエーテライズ教室は何とか無事終わり、大半の客は図書室から去って行った。まだ残って展示を見ている人影はまばらだった。
マスコミの取材も予定されていたが、時間が長引いたため次の十一時の回に繰り越すこととなり、トワとハルは受付を他の図書委員に任せ、奥の作業室にいた。
「これって――」
トワは作業台に乗せられたその銀色の球体を見て愕然とする。
『……あいつが持ってたのと同じものだな』
「図書室入ろうとしたらゴンタが拒否るから、なーんか臭うと思ったらこれ」
ハルはその球体をぺちぺち叩きながらぼやく。そのゴンタは部屋の隅でまだ震えている。
「神社本局が……?」
『俺を狙ったというより、魔法司書委員会への嫌がらせ? いや、魔法司書そのものの印象を悪くするための工作と見るべきか』
「せこーい!」
トワはアヌビスのこの事態を予見するかのような言葉を思い出す。もしかしたら委員会宛に予告状でも来ていたのだろうか。これ以上魔法司書を世に広めるなと。
「オリヒーどこ行った!」
結局九重はまだ戻ってきていない。携帯電話も繋がらない。
「まさか、何かあったんじゃ……」
「うーん、とりあえずアタシはもう次の時間があるから、高等部行ってみんなに怪しいものがないか警戒してもらう。ハルにも何か知らないか聞いてみる。トワッチは――」
「はいっ、わたしも九重先生を探してから行きます!」
二人は確認し合うと、次の回に向けて動き出した。大人に任せて中止にするべきかもしれないが、ここまで準備を進めてきたものを辞めることへの拒否感の方が上回った。
図書室を出てハルと別れたトワは、中等部一階の職員室を目指す。既に十時半過ぎで次の十一時のエーテライズ教室まであまり時間はない。
「えっ? 九重先生ですか? 朝一度見たきり職員室には戻ってないと思いますよ」
職員室に来たトワに薗田が応える。当然九重の姿はない。
「そうですか――」
「あれ? それじゃあエーテライズ教室は――?」
「それはだいじょうぶです。なんとかやり切れました」
トワはトラブルについては話さなかった。話せば大事になるだろう。それでは全てが台無しになってしまう。それが犯人の狙いの可能性もある。
『とはいえ、どうするんだ? トワ』
職員室から出て廊下を歩きながらイツカが尋ねる。廊下は各教室の出し物や客引き、多くの来場者でごった返しており、この喧騒の中では話してても怪しまれなかった。トワの着物の格好も、仮装した者がたくさんいるためそれほど目立ちはしなかった。
「先生を探さないと。でもハルちゃんも手伝わないと――」
中等部の各教室には薗田に探してもらうことになった。もう時間もないため、トワは高等部に向かいながら、道すがら探すことくらいしかできない。
中等部と高等部を繋ぐ吹き抜けの連絡通路。人影も途切れたそこに「彼」はいた――
「また会いましたね」
「!」
『お前――八咫ソウガ!』
ソウガは先日と同じ黒いスーツの上に白いトレンチコートを着ていたが、髪はぼさぼさで、眼鏡もしていなかった。そして頬に大きな白いガーゼが無造作に貼られていた。エイゴウに殴られたところだ。
「おっと、そう身構えないでください。今日は何もしませんよ。これでも謹慎中でね。この間の独断専行でこっぴどく叱られたばかりです」
『どうだかな』
「……さっきのもあなたがやったんですか?」
二人は辺りを見回す。またあの装置を仕掛けられていたらエーテライズで身を守ることができない。
「違います。私も今回の作戦からは外されていてね。本局が具体的に何をしているかまでは知りません」
『作戦だと?』
「神社本局はもちろんあなたとアヌビスが接触したことを問題視していますが、それ以上に魔法司書の速すぎる社会認知を危惧しています。この文化祭での催しは失敗で終わり、まだまだエーテライズには問題がある。と釘を刺すのが目的でしょうね」
「そんな……」
トワは呆然として思わず声を漏らす。そんな大人の勝手で邪魔されるのは納得がいかなかった。アヌビスもこのことを知っていて放置しているのかと、疑念も湧いた。
『どいつもこいつもふざけやがって!』
そんな気持ちを代弁するかのようにイツカが悪態をつく。
と、同時に高等部の校舎から大きな爆発音が鳴り響く。
「なにっ?」
トワが見上げると、校舎三階の窓から煙が上がっているのが見えた。煙の中に青いエーテルが混じっているのが見えた。そこは図書室のある場所で間違いない。
「……どうやら謀らずも作戦の手伝いをしてしまったようですね。あなた達をここに足止めするという」
『お前!』
「急いだ方がいい。あれはエーテライズを阻害するものとは逆のもの。増大させ暴走させる」
ソウガは見上げながら他人事のように呑気に声を上げる。
「いこう! イツカくん!」
トワは高等部の校舎へと駆け出した。校舎には音を聞きつけ人が集まり始めていた。
「……一体何が目的なんだ。七星アヌビス」
そんな喧騒を横目にソウガは一人呟いた。あのエーテル濃度を増減させる装置を本局に提供したのはアヌビス自身だ。これは本局でも極一部の人間しか知らない。おそらく今回の実行犯連中も知らずにやっていることだ。
ソウガが今日ここに来た目的はそれを見極めるためだった。そしてあわよくばその邪魔をするつもりだった。
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